かかり祭りの日に
小笠原寿夫さん
感想: 「犬止め」「高床喧嘩」「小袋流し」いいぞいいぞ、この真顔で適当を云う感じ。もっとやれ。
ただ、もっと欲しい。高床喧嘩だけで1000字書いていきたい感じだ。
最後「筆を折る」だけはちとよくわからなかった。「筆を措く」に対するボケだったのか、本当に間違えているのか、ちとわからない。
「OH HAPPY DAYS」
めずらしくよく夢を覚えていたので、なるべく忠実に書き起こしました。それ以上のことはないです。
「赤ちゃんが乗っています」
話の主題がどこにあるか、というと「じゃあどうしたらええねん」であろうか。勤務先のこと、凍結した路上を走ること、「赤ちゃんが乗っています」に対するリアクション。そうした「いろいろ」が短期間に脳裏を去来するところを書いていて「あるある」という感想を持つ。
もうちょっと類推される状況を想像してみたが「ヨイトマケの歌」とか「山谷ブルース」とかを考えれば「仕事が辛かった」の先が要るだろうという感じではある。
よくわからん感想になってしまったけど。
「卓球の母エース」
「壁打ちが出来ることになった」というところがひとつの到達点であるが、読みようによっては老女育成ゲームのように見える。いや、そういう話なのか?
そのあたりの方向性が今ひとつつかめず、この「義母」も、「育ての親」なのか「夫の母」なのかでちょっとニュアンスが変わってくるなーと思うのだった。
ちょっと穿つと「ヤングケアラーかな?」という読み方もやや生じてくる。
「野の声」
引っ越しハイというか、田舎に引っ越してきたテンションで掃除をし、ひとしきり喜んだあとで急にスン、となる感じ。アレ、なんだろうね。概ねの気持ちは長く続かないということでもあり、まぁ書く側のそのへんの「スン」が書きたかったんだろうなぁという気はする。
一人称で書かれていることがちゃんと生きていて、風景の見かたがテンションに寄って上下する、そういうテクニックの部分がめぼしいかしら。
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感想: 何か奇妙な話。何が何だか分からないけれど、分からないものを分からないままで組み上げていこうという妙な執念がある。存在しない祭り(たぶんそうだと思うしそういう事にしておく)、そこに郷里の文化や歴史、そして自分の青春を映して、熱く言葉を重ね、祭りの中に飛び込んでいく「私」。あれ、それじゃ一番存在が疑わしいのは祭りの存在がアイデンティティとなった「私」じゃないか(笑)
こんな話を目の前で語られたら、こっちの存在もあやうくなりそうだ。
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