追儺(紫式部日記より)
今月のゲスト:紫式部
与謝野晶子/訳
十二月の二十九日に自分は実家から宮中の中宮御殿へ参った。初めて御奉公に出たのもこの十二月の二十九日と云う日であったと思い出して、その時分に比べて人間が別なほど宮仕えに馴れたものになっている。自分は悲しい運命の女であるなどとしみじみ思った。宮様の御謹慎日であるため御前へも出ずにそのまま部屋で心細い思いをしながら寝に就くと、近く眠っている人たちの中の誰かが、
「御所は外とは違いますのねえ、どこに居てももう今頃は眠られるものですがねえ、よく聞こえる沓の音と云うものが眠入っていても直ぐ目を醒まさせてしまうのですものね」
と浮気者らしく云っているのを聞いて、
年くれて我世ふけゆく風の音に心のうちのすさまじきかな
と歌った自分は、自己の老いをほかの形で歎いているのに過ぎないと自ら憐れまれた。
三十日の夜に追儺の式が早く済んだので、自分は部屋で歯を染めることなどをしている所へ弁内侍が来て話などをしているうちに、彼女は寝てしまった。下段の室の方では御裁縫係の女蔵人が童女のあてきの仕立てている重ね物の折り目を附けてやったり、縫いどころを教えてやったりするのに熱心になっていた。ふとこの時に御前の方でけたたましい人声が起こった。内侍を起こしたが目を醒まさない。恐ろしい目に遭っているように泣く女の声がするので、自分はどうしていいか度を失った。火事が起こったのかと思って見たがそうでもない。自分は縫い物のお師匠さんの女蔵人に同行を求めた。
「ともかくも宮様が御殿においでになる時なのです。私たちは参って見なければなりません」
と内侍を荒く揺り起こして三人が慄え慄え、廊下を踏む足の感覚もないほど恐がって藤壺へ参ると裸体の女が二人いた。靭負と小兵部である。それと見て自分達は一層の恐怖に囚えられた。御厨子所に勤めている男達も今夜は皆な外へ出ていた。宮様附きの侍も瀧口の武士も追儺が果てるのと同時に自宅へ帰ってしまったので、どんなに手を叩いても答える者がない。ようやく出て来たのはお台所係の老女であった。
「御常御殿へ参って、兵部丞と云う蔵人を呼んでおいで」
と自分は恥も忘れて知人の名前を口づから云ったのであった。老女は帰って来てその人の居ないことを報じた。自分は折の悪さが恨めしくてならなかった。式部丞資業が駆けつけて来た。その人は元気よく一人であるだけの灯に油を注して廻った。侍女達の中には意識を失った人のように、ただ目だけを向かい側の人と見合わせたまま呆としているものもあった。陛下からお訪ねの使が参ったりした。どんなにこの晩と云うものが自分に恐ろしかったか知れない。陛下は納殿にしまわれた物の中からお出させになって、盗人に遭った二人の侍女へ衣服を下賜あそばされた。その人々の春著に盗人は手をつけなかったので、朔日の朝の二人はさり気ない風をしていた。しかし自分はその人々の裸体だった時の幻影をその人々から離すことが容易に出来なかった。自分は見るたびに恐ろしさが更に呼び起こされて、可笑しかったと評し去ってしまうことも出来ずに、めでたい元日に怖えた昨夜の話を朋輩としないわけにはゆかなかった。