・Grok先生は「ギャグの書きすぎで銭形平次が分からなくなってしまった」ため休載とし、代わってHumanitext Aozora 先生の作品を掲載いたします。Grok先生の早い復帰を祈ります。
「親分、たいへんでございます!」
朝っぱらから八五郎が門口を駆け込んで来た。風呂敷包みを一つ小脇に抱え、目はギラギラ、息はハァハァ。まるで新橋の電信柱にでも雷が落ちたような顔つきでございます。
「どうした八、また猫が魚屋の鰯を盗んだのか?」
銭形平次は落ちついたもの。新聞の拡販書き立てのような八五郎の騒ぎぶりにも、煙管の灰一つ落とさず、ニヤリと笑います。
「いいえ、猫どころの騒ぎじゃございません。神田明神下が――黒くなっちまったんで!」
「黒い?」
「へえ、黒いんでございます。どの店も、黒い札をぶら下げて――“ブラックフライデー”とか書いてある。安いだの半値だのと言って、人間が押し寄せて、町一丁目が大騒ぎなんで」
平次は首をひねりました。江戸では聞いたこともない外れ言葉。どこの唐人の言葉だか知らねえが、物を半分の値段で売るたぁ、盗っ人も顔負けでございます。
「それで、何があった?」
「そいつが――困るんでございます。お店はみんな目玉商品なるものを出したってんですが、なぜだか、一番の品だけが消える」
「ほう」
平次の眼が少し光ります。それは盗みの匂いがするからでございます。
「でね、親分、こんどのお盗っ人は、ちっとも足音もしねえんです。ガラガラと戸を開ける音もなし。気がつくと、品がない。残ってるのは黒い紙切れ一枚――“お得でした”とか書いてございまして」
八五郎は震える声で言う。平次は笑いをこらえている。
「つまり、盗まれた奴が喜んでおるわけだな。変なお盗っ人だ」
「そうでございます。おまけに、どこの店の女将も、“まぁ、お得だったわ”なんて顔で……。親分、こいつぁきっと妖かしでございます!」
それを聞いた平次は、腕を組んで煙管をくゆらせました。――町内が一夜にして黒くなる。札に書かれた得心。喜ぶ被害者。なるほど、どこか人情の裏側をくすぐる話でございます。
「よし、八。まず一軒、見に行こうじゃないか」
二人が向かったのは、呉服屋の「紺屋町さくら屋」。戸口には大きな黒い布がかかり、「本日限り、命がけで値切ります」と墨で書かれてあります。まるで戦さ場。
「いらっしゃいませぇ!」
店に入った途端、女将のおたまが抱きつくように八五郎へ声をかけました。
「八五郎さん、お得でしたのよ!」
八五郎は顔を真っ赤にして、親分の陰に隠れました。
(おたまさん……その笑顔を俺に向けてくれりゃなぁ……いやいや、親分に笑う顔と比べたら……)
心のつぶやきは、煙草の灰のように胸の奥で燻ります。
「そのお得な話を、もう少し詳しくおきかせ願おうか」
平次がそう言いながら、黒札を指差しました。札には“感謝の気持ちをお持ち帰り下さい”の文字。裏には、墨で小さく〈ゼニガタ株式会社〉とある。
「ゼニガタ……って、親分、それ、あっしらの名じゃありませんかい!」
八五郎の声が裏返った。
「ふむ……どうやら誰かが、銭形を騙って商いしておるらしい」
平次の眼が細くなる。江戸の空は、もうどんよりと夕暮れ。黒い札が風に揺れて、まるで笑っているようでございました。
「親分、どうなさいます?」
「どうもこうもねぇ。こういう商売は、悪かねぇが――人の名を勝手に使うと知ったら、鬼より怖いお裁きが待っている」
平次は十手を懐へ入れて、にやりと笑いました。
「八、今夜は出陣だ。――町ひとつ黒くしてる奴、白日の下へ引きずり出してやろうじゃねぇか」
八五郎の胸は、親分の声で熱くなりました。
(親分のためなら、ブラックだってホワイトだって、どんな夜でもついていくぜ)
江戸の晩秋、風は冷たく、空は黒い。けれど八五郎の心だけは、火事場のように燃えていたのでございます。