Entry6
町のお姫様
今月のゲスト:小川未明
昔、ある処に、寂しい処の大好きなお姫様がありました。どんなに寂しい処でもいいから、人の住んでいない、寂しい処があったら其処へ行って住みたいと言われました。
お侍の者は、お姫様のお言葉だから仕方がありません。たとえ人の誰も住んでいない、山の中にでも、お姫様の行かれる処へはついて行かなければなりません。
人里を遠く離れた、山の中へいよいよ、お姫様は移ることになられました。そして、お侍の者もついて行きました。
お姫様は、大変に歌をうたわれるのが、好いお声でありました。また、大変に鳴物をならすことが上手でありました。琴や、笛や笙を鳴らすことの名人でありました。だから平生、歌をおうたいになったり、鳴物を鳴らしたりしておいでなさる時は、決して、淋しいということはなかったのであります。
けれど、お侍の者は、寂しい山の中に入って、毎日、つくねんとしていて、退屈でなりませんでした。其処に来ました当座は、外に出て、山や、渓の景色を眺めて珍しくも思いましたが、直ちに、同じ景色に飽きてしまいました。また、毎日、お姫様のうたいなさる歌や、お鳴らしなさる鳴物の音にも飽いてしまって、それらを聞いても,決して昔のように感心しないばかりか、またかという風に、却って退屈を感じさせたのであります。
お姫様は、この世の中に、自分程、好い声の者はないと思っておられました、また、自分程音楽の名人はないと考えておられました。そして、そう思って、実際に座って、山に出た月を眺めながら、好い声で歌をうたい、琴を鳴らしておられますと、辺りはしんとしてすべての草木までが、耳を澄まして、この好い音色に聞きほれている如く思われました。
この時、ふと、お姫様は、おうたいなさる声を止め、お鳴らしなさる琴の手を控えて、ずっと遠くの方に、耳をお澄ましなされました。すると、それは、自分よりも、もっと好い声で、歌をうたい、もっと上手に琴を鳴らしている者がありました、
「はて、この山の中に、誰が、歌をうたい、琴を鳴らしているのだろう」と、怪しまれました。そして、そのことをお侍の者におたずねなされますと、
「いえ、誰も居る筈がございません。また、私共の耳には、何も聞こえません。ただ、聞こえますものは、松風の音ばかりでございます」と、お答え申し上げました。
「いえ、そうじゃない。誰か、きっと私と腕をくらべるつもりで、あんな好い声で歌をうたい、琴を鳴らしているにちがいない」とお姫様は申されました。
お侍の者は、不思議に思って、耳を澄ませますと、やはり、松風の音が、遠くに聞こえるばかりでありました。
夜が明けて、太陽が上がりますと、小鳥が窓の際近く来て好い声で囀りました。お姫様は、眉をお顰めになって、
「ああ、やかましくて仕様がない。もっと何処か淋しい処へ行って住まなければならない」と、申されました。
お姫様は、山はやかましくていけないから、今度は、誰も住んでいない海のほとりへ行ったらきっといいだろうと思われて、荒海のほとりへお移りになりました。
お侍の者は、また行った、二三日は、気が変わってよろしうございましたけれど、直に淋しくなってたまらなくなりました、お姫様は、やはり、歌をうたい、楽器を鳴らしなされました。するとある夜、海の上に、振り撤いたような星影をご覧なされて、
「ああ、やかましくて仕様がない、ああ、毎晩、星が歌をうたったり、鳴り物を鳴らしているのでは、少しも私は、自分の歌や、音楽に身が入らない、どうして、ああ好い声が星には出るのだろう」と、申されました。
お侍の者は、私共には、ただ、淋しい、淋しい波の音しか聞こえませんと申し上げました。
お姫様は、もっと淋しい処が、ないものかとお考えなされました。お侍の者は、もうこの上淋しい処へ行ったら、自分等はどうなることだろうと思いました。その時、お侍の者の二人の中の一人は、
「お姫様どうぞ何にも言わずに私共についてお出で下さいまし」と申上げました。
お侍の者は、お姫様を賑やかな街の真中にお連れ申しました。お姫様は、はじめは、びっくりなされましたけれど、もはや、其処では、自分の歌の真似をするものもなければ、また、もっと好い声を出して、お姫様と競争をして、お姫様を苦しめるものもありませんでした。
お姫様は、結局、気楽に思われて自分が一番歌がうまく、音楽が上手だと心に誇られながら、その町にお住みなされたということであります。