今年の春
今月のゲスト:正宗白鳥
旧家の老主人は、中風に罹ってから、なお十年の寿を保っていた。時々身体の何処かに変調があっても、素質が強靭であるためか、いつも持ち直した。中風そのものも何時の間にか大体は癒っているから不思議だと主治医は云っていた。中風には適薬はないらしく、消化剤を与えられていたのだが、十年の間、病人は一日も服薬を欠かさなかった。卵をよく食べ牛乳をよく飲み、「わかもと」をも飲んでいた。
冬から春へ移りかけの時節は、こういう病人にはよくないのだが、今年の三月半ばの変調は、例年とは異なって、いよいよ八十余歳の長い生命も終局を注ぐる兆候らしかった。或日激烈な嘔吐を催した病人は、それから食慾を全く失った。おも湯も牛乳も、胃の腑に落ちつかなかった。
「わしはもう駄目じゃ」と云って、病人は、総領の一郎を電報で呼び寄せるように、次郎に命じた。次郎以外の大勢の兄弟は他郷に住んでいるのだが、病人は、三郎以下の子女については殆ど無関心で、むしろ、側に来られるのをいつも煩さがっていた。一郎だけは、日本古来の風習たる長子相続の観念が、病める老主人の頭にこびりついているために、死を予期するたびに、自分の側に居らせようとするのであった。健康で居た時には、一郎の去来もどうでもよかったのだが、病んでからは気がかりで、八十年住み続けたこの古い家を自分の死の瞬間から、一郎が引き受けるということに唯一の安心を求めるらしかった。人間の家に対する伝統的執着は不思議なものである。
次郎は一郎に電報を打つとともに、他の弟妹へも端書で父の危篤を知らせた。たとえ病人が望まなくっても、知らすべきところへ知らせて置かないと、後で文句をつけられるのが気遣われたためであった。それで、一郎夫妻をはじめ、その他の弟妹が次から次へとこの僻村に帰って来た。そういう時には、古朽ちた家でも、広くって畳敷が多いために都合がよかった。
「まあ二人で喧嘩をせいで、後をええようにやって呉れ」
病人は一郎と次郎とに向かってそう云っただけで、他の子女が枕頭に行った時には何も云わなかった。子供達はおりおりそっと病室に入って行くだけで、朝夕、炬燵のある居室に集っていた。彼等兄弟は、不断は滅多に会う機会がなかったので、こういう時には、いろいろな話題が持ち出された。炬燵の側は活々と賑わった。
病人は、子女の帰って来た時分から、完全な絶食状態に陥った。少量の水に口を潤すばかりで、一すすりの薬も喉を通ると直ぐに吐きだした。少しでも身体を動かすのは、苦しくもあり、少しでも口を利くのが煩わしくなった。それで、十年の間、手頼りにしていた医師の来診をも厭うようになった。今となっては、いかなる名医も、病人の死期を判断する以外に手の下しようがないことを、誰でも知っていた。病人も知っていた。病人自身、空頼みをしなくなった。
「あなたにも長いこと、お世話になりました」と、主治医に別れを告げた。
主治医も、最早分かりきった気休めは云わなかった。そして、ふと立って次の室へ行った。一郎などが随いて行くと、「もう二三日ですなあ」と、主治医はささやいた。
次郎が主唱して誰かが夜伽をすることになった。誰かと云って、次郎と、それから一郎の妻とが交代するので、外の子女は時々覗きに来るだけであった。病人の老妻は不断から病室に寝床を取っていたが、十年の看護には疲れ果てていた。
「性も根も尽きた」と、彼女は子供達に向かって呟いた。いかにもその言葉の通りで、母親を一瞥した子供達は、性も根も尽き果てた人間の一つの標本を見るような感じがした。
昼夜の看護者は、手を撫でるか足を摩るかして病人の気を紛らせるのであったが、病人は頭脳は明晰で、耳は常人よりもよく聞こえた。心臓も強かった。尿の排泄もよかった。ただ少年の頃から胃が弱かったので、死はまず胃を訪れたのだ。胃だけが死んで、外の機関は生きているのだ。箸の先につけた綿で口を湿らせる時、
「蜂蜜か何か甘いもので唇をぬらすといい。甘いものは非常に力になるんだから、少しでも喉に入るといいだろう」と、側にいた三郎が心得顔で云うと、
「講釈云うな」(屁理屈を云うなの意)と、病人は苦しい声で云った。実際滋養の摂取なんかを考える余地はなかったのだ。
「苦しい」と、病人は屡々つぶやいた。「いつお参りが出来るだろうか」とつぶやいた。しかし、病人の苦しさの内容は傍の者には分からなかった。病人はかねて、「死ぬるのは恐れんが、ただ苦痛無しに死にたい」と云っていたのだが、その苦痛が訪れたのだ。人間は苦痛なく死ねるようにつくられてはいないのだろう。
五日立ち七日立った。苦痛はますます加わったが、病態は依然としていた。
「人間は一啜りか二啜りかの水で生きていられるのだろうか。不思議なものだなあ」
「身体が頑丈で出来てるんだな。これで胃が普通だったら、百まで生きる」
「不断身体を楽に扱ってたせいだろう。それに酒を飲まなかったからな。酒を飲んでたら心臓麻痺を起こすんだろうが」
「一口でも水を飲んでるうちはまだいいが、水も飲まなくなるとコロリといけなくなると、医者が云っていた」などと、傍人はささやき合った。
病人は、手も足も胴も、薄い板のようになった。血は何処にあるのかと思われた。だが、頭脳に狂いはなかった。血に水気が薄くなるにつれ、身体が痒くなるらしかった。それで、看護者がアルコールで拭いてやると、
「ああええ」と、呟いた。
病人は次第に水が飲めなくなった。熱い湯を望んだ。熱湯が舌に触れるのが快いらしかった。「もっと熱く」と望んだ。「火傷しちゃいけないでしょう」と注意すると、
「講釈云うな」の例の言葉を漏らした。
その熱湯も口にしなくなった。だが頭脳は明晰だった。五日立っても六日立っても病態は依然としていた。
「絶食以来殆ど一ヶ月だが、人間は空気さえ吸ってれば生きていられるのか知ら」と、傍人は不思議であった。
「あんなに苦労をしなければ、人間は死ねないんですかね。……瓦斯自殺やカルモチン自殺をする人を一概に哂えませんよ」と、一郎の妻は看護の間に自分達の部屋に戻って嘆息した。
「人間は七八十までも生きてれば、枯木が折れるように楽に死ねるのかと思ってたら、そうじゃないんだね」
一郎は、老病父の生の苦死の苦を想像して、それが万人の苦であると感じた。こういう場合のために、うまく発明された宗教の阿片も、この老病父には何の効果もなかった。
口を利くに困難を覚えだした病人は、指の先で空中に字を書いて、看護人に自分の心中を発表するようになった。
「シニタイ」「シネヌ」
死人の手の如くなっている両手を、目の前に並べて、病人は見入った。「もう身体中に水気が無くなった」と、微かな声で云った。その言葉通りに、身体中がカサカサしていた。だが、最後の血の一滴が消費されるまで頭脳は働いているようだった。
「人間は、耄碌した方がいいんだね。こういう風に身体が死んで、頭だけが生きていちゃたまらん」
「人間は脆いものだが、強いところもあるんだな」
「業で死に切れないものもあるんだろうか」母親は嘆声を洩らした。
病室の外には、次第に春が䦨になった。朗らかな光が、柳の葉影を縁側に映していた。繍眼児があちらこちらで鳴いていた。村の子供が黐竿を持って庭を覘いた。
「葬式は出来るだけ簡単にした方がいいね」
「身内以外の者には後で知らせることにしよう」
炬燵のあたりでは、その下準備が評議されたが、病人は、発病以前に、すでに堅牢な棺桶を造り、墓穴をも掘らせていた。戒名も選んでいた。ただ、墓碑を造ることだけは躊躇していたそうだ。
「親爺は、苦しい時の神頼みをしたり、南無阿弥陀仏を唱えたりなんかしないが、ああいう無信心も珍しいのじゃないだろうか」
「しかし、お寺とかお宮に寄附するように遺言しとるのは、いくらか宗教心を有ってるためじゃないだろうか」
「いや、それはちがう。この村のお寺やお宮は貧乏で、いつも、檀家や氏子が、いや応なしに寄進をさせられるので、皆んな困ってる。だから、親爺の考えじゃ、少しづつでも基本金を拵えて置いて、村の者の負担を軽くしたいという訳なんだ。御信心のせいじゃない」
こういう批評が、子供達の間に取りかわされているうちにも、病人は、骨と皮だけの手で虚空を掴んで苦しんでいた。その手は、ふと、看護している一郎の妻の胸元に向かった。その襟にしがみつくような態度を示して、
「お前は東京へ帰るのか」と、相手が聞き取りかねるような微かな声を絞りだして云った。
「いいえ」
「帰っちゃならんぞ。ええか、この家に居るんじゃぞ」
看護者の手に触れる病人の身体は水よりも冷たかった。