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3000字小説バトル

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3000字小説バトル stage3
第56回バトル 作品

参加作品一覧

(2020年3月)
文字数
1
サヌキマオ
3000
2
正宗白鳥
3530

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もう恋なんてしないかもしれないしわかんない
サヌキマオ

 がまがえるは変なもの(たとえば、なんだろう?)を飲み込んでしまったときに胃袋を吐き出して洗って元に戻すのだが、実際の映像で見ると相当キモい。
 この「がまは胃を洗う」という知識を手に入れたのは杉浦茂の「猿飛佐助」からで、この話をするとそんな古いマンガを、と驚かれるが、世の中には文庫化というシステム(?)があって、古い作品でも簡単に購読することが可能なのだ。可愛いじゃない杉浦茂。
 なんでこんな話をしたかというと、今目の前にいるクラスメイトにして同じ演劇部の仲間である安部小星ことコボちゃんが、そんな胃袋を吐き出しそうな顔をしてスマホを覗き込んでいるからだ。二人で教室で昼飯を食っている。せっかく自分で作ったのであろう可愛らしいお弁当を可愛らしいランチボックスに収納して、そんなに消化に悪そうなものを見なくてもいいだろうに、と、
「恋ですか?」
「ほぎゃっ」
 わかりやすくボケたつもりだったのだが、コボちゃんは出し抜けにボディーブローを食らったような顔をして呻いている。
「マジか」
「あうあうあう」
「それは聞いていい話なのかしらん?」
「あうあうあ」
「云いたくない?」
「あぅー」
「ちゃんと対応しないとクラスの女子総出で安部小星恋愛対策委員会開催とす」
「や、しゃべるしゃべる。ちょっとまって」
 コボちゃんは一度開けたランチボックスの蓋を閉めると、頭を抱えて机に突っ伏した。こうして頭の中を整理しているのだ。週に一度は見かける光景である。
「この前の」
「うん」
「この前のワークショップで」
 説明しよう! この前のワークショップとは、この前にあったワークショップである[要出典]。などと独り脳内でボケていても始まらないが、先週の演劇部員向けのワークショップのことだろう。行くはずだった中学部部長の麻実ちゃんがインフルエンザになったので、代打でたまたま連絡のついたコボちゃんが休日出勤することになったのだ。
「あうあうあう」
「あーじゃないでしょ。ちゃんと最後まで喋りなさい」
 査問官に促されて、被告は突っ伏したまま(器用だ)抱え込んでいたスマホを差し出してきた。画面の上ではLIME特有の緑と白の吹き出しがいくつか並んでいる。
「このケータイを売ってくればいいの?」
「ばかやろう」
 仕方ない、読むことにする。
[再来週の日曜日(21日)ですが『もう恋』一緒にどうすか]
 なんと。
「止しなさい被告人、この映画は微塵も面白くなかった」
「被告人? なに?――え、観に行ったの?」
「曲センパイと行ったんだよ、ほら、演技の研究とかなんとか云って」
 恋愛もの、というのは世間の女子の間で流行るものらしい。映画館の前を通れば、三本ロードショーしているうちの一本は「恋愛ものです」とラベルが貼られている。もちろん実際にラベルが貼られているわけではないが、恋愛ものだとわかるように、美男美女の俳優のアップがポスターに並び、恋愛は大事、みたいな煽り文句が付いている。「もう恋なんてしないかもしれないしわかんない」絶賛ロードショー!
「しかし、初めてのデートで恋愛映画、選ぶかね?」
「いや、え、別にデートじゃないよ?」
「デートになるかもしれないから悩んでるんじゃないの?」
「ぐぁっ」
 コボちゃんはふたたび机に突っ伏した。図星だった。
 相手の男は臨海総合だかなんだか、海っぺりの方の高校からやってきた男子だ。なんとなく会話しているうちに「恋愛映画が好き」という話はしたらしい。
「じゃあアレだ、向こうの男はあんたの趣味に合わせてきたつもりなわけだ」
「そ、そうなのかなぁ? わたし、そんなに映画なんか観ないんだけど」
「だから、あんたが『映画観る』って云っちゃったんでしょ?」
「まぁ、そうなんだけど」
「で、連絡先まで交換したら、そらあ『脈アリ』って思うよ。思っちゃうんだよ。冷静に考えれば」
 冷静に考えなくても。
「そのおっぱいを好きにできると思っちゃうよ」
「できるわけないだろ! いいかげんにしろ!」
 反射的に前かがみになっても隠れないでっぱりが肉増しい、もとい憎ましい。
「できると思っちゃうと思うけど」
「いいから! 無理に話を面白くしなくていいから!――えーと、じゃあ、どうすれば」
「えーと」間を置く。こんなもの、どうもこうもあるかい。
「選択肢はふたつあります。いち、粛々と映画を見に行き、青春を謳歌してくる」
「いや、あの、ちょっとまって」
「にー。何らかの理由をつけてキャンセルする。家に自警団が乗り込んできたでもミトコンドリアが憂鬱でもなんでもいいや。とにかく『やっぱりNO』ならみんなおなじだ。NOと云える人間になる」
「まってまって、その、これ」
 青春なの? これ?
 コボちゃんは「青春」と自分で口にしてビクビクしている。先人の、神様の言葉を借りるならば、
「だめだこりゃ」であり、
「次ィ行ってみよう」だ、こりゃ。
 話の行きがかり上(話というには随分ととっちらかっているが)映画に行くのは断ることにした。通信端末を前にして、司令官が私、操舵手が安部一等兵。
「あわああわあがが」
「どうした小星君」
「せっかくチケット買ったのに、って」
「向こうも向こうで退路を断ったというわけだな! でも仕方ない、ここはすっぱり新たな彼女と出かけてもらおう」
「いやでも待って、ほんとちょっとまって」
(うるせえなこの小心デブちん)
 おっと、内心が口から飛び出てしまうところだった、でも「なに?」と嫌気だけは口をついてしまう。
「あの……『楽しみにしてたのに』って云ってるよ?」
「でも、いやなんでしょ? コボちゃん的には?」
「でも、チケットを買ってくれたんだよ? 私とデートに行けなくて残念なんだよ?」
 私は天を仰いだ。
 ただの一等兵かと思ったら、すこぶる無能な元帥だった。

 結論から云えば、私とコボちゃんは映画鑑賞とピザ食べ放題の宴を終えて駅で別れることになった。もちろん私たち女子二人が付き合っていて関係を終わらせようという話ではない。「デートと思しき映画鑑賞」が「従者付きの姫君を映画とピザで歓待する催し」に変わっただけだ。
 もちろん相手の男は面食らっていたし(申し訳ない)コボちゃんはお姫様らしくニコニコ笑ってほとんど喋らなかった。覚えている発言は相手とあった当時の「この前はどうも」と、食べ放題三人分を注文したときの「じゃあ、それで」だけだ。
 憤懣やるかたない。一日中喋っていた気がする。当然デートどころではない、あんまり面識のない者同士が、映画を見て、もくもくとピザを腹に詰め込んで、解散!
 なんだかしらないが目がしばしばする。自分では花粉症ではないと思っていたが花粉症だろうか。帰りの電車、座席に座って目を堅くつむっているとLIMEに通信がある。
「今日はありがとう■デートって大変なんだね■」
 ■部分には絵文字が挿入されると思ってよい。逆上してスマートフォンを床に叩きつけたくなるが、向かいの座席に座っていた親子の乳母車の中の赤子と目があって思いとどまる。命拾いしたな――私のスマホが!
 相手の男からはそれでも連絡が来るらしい。あのポンコツにそれでも言い募るということは――やはりおっぱいだろうか。おっぱいはすべてを凌駕するのだろうか。
「断らないの?」
「なんかほら、スマホが楽しくお話してくれると思えば」
 安部小星はこういう女なのであった。それはそれで嫌いではないけれど。
もう恋なんてしないかもしれないしわかんない    サヌキマオ

今年の春
今月のゲスト:正宗白鳥

 旧家の老主人は、中風に罹ってから、なお十年の寿を保っていた。時々身体の何処かに変調があっても、素質が強靭であるためか、いつも持ち直した。中風そのものも何時の間にか大体は癒っているから不思議だと主治医は云っていた。中風には適薬はないらしく、消化剤を与えられていたのだが、十年の間、病人は一日も服薬を欠かさなかった。卵をよく食べ牛乳をよく飲み、「わかもと」をも飲んでいた。
 冬から春へ移りかけの時節は、こういう病人にはよくないのだが、今年の三月半ばの変調は、例年とは異なって、いよいよ八十余歳の長い生命も終局を注ぐる兆候らしかった。或日激烈な嘔吐を催した病人は、それから食慾を全く失った。おも湯も牛乳も、胃の腑に落ちつかなかった。
「わしはもう駄目じゃ」と云って、病人は、総領の一郎を電報で呼び寄せるように、次郎に命じた。次郎以外の大勢の兄弟は他郷に住んでいるのだが、病人は、三郎以下の子女については殆ど無関心で、むしろ、側に来られるのをいつも煩さがっていた。一郎だけは、日本古来の風習たる長子相続の観念が、病める老主人の頭にこびりついているために、死を予期するたびに、自分の側に居らせようとするのであった。健康で居た時には、一郎の去来もどうでもよかったのだが、病んでからは気がかりで、八十年住み続けたこの古い家を自分の死の瞬間から、一郎が引き受けるということに唯一の安心を求めるらしかった。人間の家に対する伝統的執着は不思議なものである。
 次郎は一郎に電報を打つとともに、他の弟妹へも端書で父の危篤を知らせた。たとえ病人が望まなくっても、知らすべきところへ知らせて置かないと、後で文句をつけられるのが気遣われたためであった。それで、一郎夫妻をはじめ、その他の弟妹が次から次へとこの僻村に帰って来た。そういう時には、古朽ちた家でも、広くって畳敷が多いために都合がよかった。
「まあ二人で喧嘩をせいで、後をええようにやって呉れ」
 病人は一郎と次郎とに向かってそう云っただけで、他の子女が枕頭に行った時には何も云わなかった。子供達はおりおりそっと病室に入って行くだけで、朝夕、炬燵のある居室に集っていた。彼等兄弟は、不断は滅多に会う機会がなかったので、こういう時には、いろいろな話題が持ち出された。炬燵の側は活々と賑わった。
 病人は、子女の帰って来た時分から、完全な絶食状態に陥った。少量の水に口を潤すばかりで、一すすりの薬も喉を通ると直ぐに吐きだした。少しでも身体を動かすのは、苦しくもあり、少しでも口を利くのが煩わしくなった。それで、十年の間、手頼りにしていた医師の来診をも厭うようになった。今となっては、いかなる名医も、病人の死期を判断する以外に手の下しようがないことを、誰でも知っていた。病人も知っていた。病人自身、空頼みをしなくなった。
「あなたにも長いこと、お世話になりました」と、主治医に別れを告げた。
 主治医も、最早分かりきった気休めは云わなかった。そして、ふと立って次の室へ行った。一郎などが随いて行くと、「もう二三日ですなあ」と、主治医はささやいた。
 次郎が主唱して誰かが夜伽をすることになった。誰かと云って、次郎と、それから一郎の妻とが交代するので、外の子女は時々覗きに来るだけであった。病人の老妻は不断から病室に寝床を取っていたが、十年の看護には疲れ果てていた。
「性も根も尽きた」と、彼女は子供達に向かって呟いた。いかにもその言葉の通りで、母親を一瞥した子供達は、性も根も尽き果てた人間の一つの標本を見るような感じがした。
 昼夜の看護者は、手を撫でるか足を摩るかして病人の気を紛らせるのであったが、病人は頭脳は明晰で、耳は常人よりもよく聞こえた。心臓も強かった。尿の排泄もよかった。ただ少年の頃から胃が弱かったので、死はまず胃を訪れたのだ。胃だけが死んで、外の機関は生きているのだ。箸の先につけた綿で口を湿らせる時、
「蜂蜜か何か甘いもので唇をぬらすといい。甘いものは非常に力になるんだから、少しでも喉に入るといいだろう」と、側にいた三郎が心得顔で云うと、
「講釈云うな」(屁理屈を云うなの意)と、病人は苦しい声で云った。実際滋養の摂取なんかを考える余地はなかったのだ。
「苦しい」と、病人は屡々つぶやいた。「いつお参りが出来るだろうか」とつぶやいた。しかし、病人の苦しさの内容は傍の者には分からなかった。病人はかねて、「死ぬるのは恐れんが、ただ苦痛無しに死にたい」と云っていたのだが、その苦痛が訪れたのだ。人間は苦痛なく死ねるようにつくられてはいないのだろう。
 五日立ち七日立った。苦痛はますます加わったが、病態は依然としていた。
「人間は一啜りか二啜りかの水で生きていられるのだろうか。不思議なものだなあ」
「身体が頑丈で出来てるんだな。これで胃が普通だったら、百まで生きる」
「不断身体を楽に扱ってたせいだろう。それに酒を飲まなかったからな。酒を飲んでたら心臓麻痺を起こすんだろうが」
「一口でも水を飲んでるうちはまだいいが、水も飲まなくなるとコロリといけなくなると、医者が云っていた」などと、傍人はささやき合った。
 病人は、手も足も胴も、薄い板のようになった。血は何処にあるのかと思われた。だが、頭脳に狂いはなかった。血に水気が薄くなるにつれ、身体が痒くなるらしかった。それで、看護者がアルコールで拭いてやると、
「ああええ」と、呟いた。
 病人は次第に水が飲めなくなった。熱い湯を望んだ。熱湯が舌に触れるのが快いらしかった。「もっと熱く」と望んだ。「火傷しちゃいけないでしょう」と注意すると、
「講釈云うな」の例の言葉を漏らした。
 その熱湯も口にしなくなった。だが頭脳は明晰だった。五日立っても六日立っても病態は依然としていた。
「絶食以来殆ど一ヶ月だが、人間は空気さえ吸ってれば生きていられるのか知ら」と、傍人は不思議であった。
「あんなに苦労をしなければ、人間は死ねないんですかね。……瓦斯自殺やカルモチン自殺をする人を一概に哂えませんよ」と、一郎の妻は看護の間に自分達の部屋に戻って嘆息した。
「人間は七八十までも生きてれば、枯木が折れるように楽に死ねるのかと思ってたら、そうじゃないんだね」
 一郎は、老病父の生の苦死の苦を想像して、それが万人の苦であると感じた。こういう場合のために、うまく発明された宗教の阿片も、この老病父には何の効果もなかった。
 口を利くに困難を覚えだした病人は、指の先で空中に字を書いて、看護人に自分の心中を発表するようになった。
「シニタイ」「シネヌ」
 死人の手の如くなっている両手を、目の前に並べて、病人は見入った。「もう身体中に水気が無くなった」と、微かな声で云った。その言葉通りに、身体中がカサカサしていた。だが、最後の血の一滴が消費されるまで頭脳は働いているようだった。
「人間は、耄碌した方がいいんだね。こういう風に身体が死んで、頭だけが生きていちゃたまらん」
「人間は脆いものだが、強いところもあるんだな」
「業で死に切れないものもあるんだろうか」母親は嘆声を洩らした。
 病室の外には、次第に春が䦨になった。朗らかな光が、柳の葉影を縁側に映していた。繍眼児めじろがあちらこちらで鳴いていた。村の子供が黐竿もちざおを持って庭を覘いた。
「葬式は出来るだけ簡単にした方がいいね」
「身内以外の者には後で知らせることにしよう」
 炬燵のあたりでは、その下準備が評議されたが、病人は、発病以前に、すでに堅牢な棺桶を造り、墓穴をも掘らせていた。戒名も選んでいた。ただ、墓碑を造ることだけは躊躇していたそうだ。
「親爺は、苦しい時の神頼みをしたり、南無阿弥陀仏を唱えたりなんかしないが、ああいう無信心も珍しいのじゃないだろうか」
「しかし、お寺とかお宮に寄附するように遺言しとるのは、いくらか宗教心を有ってるためじゃないだろうか」
「いや、それはちがう。この村のお寺やお宮は貧乏で、いつも、檀家や氏子が、いや応なしに寄進をさせられるので、皆んな困ってる。だから、親爺の考えじゃ、少しづつでも基本金を拵えて置いて、村の者の負担を軽くしたいという訳なんだ。御信心のせいじゃない」
 こういう批評が、子供達の間に取りかわされているうちにも、病人は、骨と皮だけの手で虚空を掴んで苦しんでいた。その手は、ふと、看護している一郎の妻の胸元に向かった。その襟にしがみつくような態度を示して、
「お前は東京へ帰るのか」と、相手が聞き取りかねるような微かな声を絞りだして云った。
「いいえ」
「帰っちゃならんぞ。ええか、この家に居るんじゃぞ」
 看護者の手に触れる病人の身体は水よりも冷たかった。