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3000字小説バトル

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3000字小説バトル stage3
第59回バトル 作品

参加作品一覧

(2020年6月)
文字数
1
サヌキマオ
3000
2
李孝石
3200

結果発表

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コミュニケーション

QSHOBOU掲示板

customer’s Voice I
サヌキマオ

 俵村諭はヨシナガサユリが道端に落ちているのを見つけた。厳密に云えば「ヨシナガサユリの印刷された紙」であり、ヨシナガサユリの顔の部分がちょうど表面に来るように綺麗に折りたたまれて落ちている。来たときにはなかったはずだ。この一時間か二時間の間に、誰かが落としたのだろう。拾わなかった。
「何?」
 背後から歌江の声がする。諭の妻だ。
「いいや」
 駅前の道すがら、諭は「あれは本当にヨシナガサユリだったろうか」と考えている。そもそも「吉永小百合」だったか「吉長紗百合」だったかもはっきりしなかった。弁護士のくせに顔と名前を覚えるのが苦手なのだ。
「なんで今、ヨシナガサユリの話なの?」
「いや」
「親の欲目?」
 説明が面倒だった。
 駅ビルの最上階にあるレストラン街のそば屋に入った。そんなの調べたらいいのよ、と歌江はスマートフォンを操ってヨシナガサユリの写真を見せてくれたが、今となっては路上の女性と同一人物かどうかがよくわからなくなっている。
「まさか」
「じゃあ、どうでした、役者としての娘は?」
「役者というか、あの着ぐるみが実際に役に立っているのを見たのは初めてだよ」
 あの着ぐるみ、というのは、たまに娘の部屋をのぞくと勉強机の横に吊してある、ずいぶん年季の入ったウサギの着ぐるみだ。諭の娘は高校の演劇部に入っており、夫婦はその公演を観た帰りというわけだ。
「ずいぶんとあの学校も様変わりしちゃったな」
 公演の行われた視聴覚教室のある図書館棟は、まだ諭が高校に通っていた四十年以上前と同じ姿を保っていたが、最近出来たという新本館は、もともと校庭のあったところに威容を誇っていた。そもそも、諭の通っていたころは男子高だった。三人の息子はおろか、自分の娘も通うようになるとは思いもしなかったが……
「で、娘のことはどうなんです。学校のことはいいですから」
「曲は……まぁ、あれは」
「照れてしまって直視できなかったとか?」
「そんなことはないが」
 テーブルの端に店員がいけぞんざいに置いていったコップを取り上げて一口飲む。
「あれは、あれでいいのか」
「あれ、といいますと?」
「あまりにも普段の曲と変わりがないように思うんだが」
「いいんですよ、あそこの演劇部は、顧問の先生が全員に役を当てて書くんですから」
「それは――」
 言い出して、諭はいったん引っ込めた。もっといい表現はないか逡巡する癖がある。
「それは、先生も大変だな」
「大変でしょうけどね」
「それで」
 云いかけたところで店員がおしぼりを持ってきた。
「曲は、何になるんだ」
 歌江は諭の声が聞こえていないかのようにおしぼりで手を拭いている。
「なあ」
「なんでしょう。それでヨシナガサユリの話を?」
「いや、そうではなくて――いや、そうか。そうかもな」
「わかりませんけど」
「何がわからないんだ」
「何って、吉永小百合ではなくて曲の進学の話でしょう? あの子、話しませんもの」
「役者になるのかな」
「さあ。ならないと思いますけど」
「役者になれるのかな」
「落ち着いてください」
 云われるがままに、落ち着こうと卓上のメニュースタンドを観る。なんとなく天そばを頼んだが、鴨せいろの方が良かったかもしれない。
「今」
 再び歌江と目が合った。
「天そばじゃない方がよかったかな、とか思ったでしょう」
「いや」
 そこまではっきりとは、と言いかけて口をつぐむ。
「曲も、そういうところはあなたにそっくりですよ」

 そう、諭にとって、そもそもの問題は女優が誰だったかではなかったのだ。
 なぜ、綺麗に折りたたまれた女優の写真があんなところに落ちていたか、だったのだ。あれから家に帰るまで考えていたが、ふと、ポケットティッシュだったのではないかと思い至った。ポケットティッシュのビニールに挟み込まれた広告であれば、あのサイズに折りたたんで挿入してあっても不思議ではない。だがしかし――当然、別の疑念がある。アレはあくまでも「写真」であって「なになにの宣伝でございます」とは一字一句も書かれていなかったのだ。ポケットティッシュにしてはサイズが大きかった気もする。
 だとしたら、なんだろう。

「曲」
「はい」
 宵になって帰ってきた曲が風呂から上がってきた。女だてらに、と昔ならば云ったかもしれない。ハードな運動部かと見まごうばかりに髪を短く切った娘だ。これだったらもうすでに社会人になった息子三人の方がよっぽど長い。タンクトップにショートパンツ。そういえば女物の下着をしているとことも見たことがないような気がする。
「今日は大変だったな」
「そういえば見に来てくれてたんだっけ。ありがとね」
 何か感想のようなものを期待されているのが、曲の表情からひしひしと伝わってくる。
「で」
「うん」
「お前は、楽しかったのか。やってて」
「え? まぁ楽しいよ。毎回楽しい」
「そうか、ならいいんだ」
「――え? 私、なにかやらかしてた?」
「やらかしてたって?」
「や、何かありそうだから」
「何か、って?」
「ええと、そういうのやめてよお。えーと何かって、不満とか」
「不満」
「駄目出しとか」
「駄目出し」
「そういうんじゃ、ない?」
「いや……まぁ、お前はあんなもんなんじゃないかな。うん」
 お前はどこまでも曲だった。
 全く腑に落ちていないようで曲は身体の向きを変えると、諭の向かいの椅子に座って相対した。
「あの」
「うん」
「何かあるんでしたら、ハッキリと云ってもらえますか」
「ううん」
 諭は手元にあった、適当なコップの麦茶を取ると口をつけた。誰の飲みさしだってかまうものか。
「曲は、演劇を続けたいのかな」
「それって、ブカツをやめてからってこと?」
「ひいてはおまえ、高校のあと、どうするのかな」
「どうすんだろう、ね」
 曲はしばらくうつむいて考え込んでいたが、ちらと諭に視線を合わせてきた。
「わかんないや」
「役者、というのは?」
「え、無理無理無理無理。努力してないもん。同じ代にはダンスのレッスンに通ったり、もっと真剣に先のことを考えてる頭のいい子もいるし、そんなのに比べたら全然」
「でも、役者自体は楽しいんだろう?」
「まぁそりゃあそうだけど。でも、それだって、あれはイブセンが、顧問が着ぐるみを着て暴れるような役を作ってくれているだけだから」
「たとえば、大学に行って、自分で劇団を立ち上げようとかは考えないのかね」
「まぁない、かな。ああいう舞台になっているのは、いろいろな大人が裏で動いてくれているおかげだから。集団としての信頼があって、初めてお客さんは来てくれるから」
(と、顧問には常々云われているわけか)
「好きなら続けたらいいんじゃないかね。好きだったら多少のことは我慢できるし、端から見ていたら苦行にしか見えないことを平気でやるのを『才能』って云うと思うんだけど」
「私、演劇、好きなのかなぁ」
「うん?」
「演劇が好きというよりも、あの舞台で、あのメンバーでやることに意味がある気がしてるんだよね」
「そういう感じか」
「うーん、例えばお父さんから見て、私は何をやったらいいと思う?」
 このタイミングでスマートフォンに着信が来た。来週末からのややこしい案件で、そちらに応対しているうちに曲のことはうやむやになってしまった。
 諭としては舞台上で活躍する娘が観られるのは当然嬉しいのだが、一方で自分の娘がティッシュの裏面になって道端に捨てられているのは嫌だなぁ、と思っている。
customer’s Voice I    サヌキマオ

雄鶏
今月のゲスト:李孝石
蛮人S/訳

 このところウルソンは、憂鬱な心に鶏の世話をも怠るようになっていた。こまめに世話をしていたあの鶏たちに全く目も呉れず、心を動かすこともなかった。餌はおろか、庭先をうろつく姿を見れば棒を拾って掉り上げるようになった。片づけられない鶏小屋の中は汚れている。
 二羽を売ると、一か月の授業料になる。小屋の中の鶏がだんだんと減っていくのはさほど切ない事ではなかった。むしろ然るべき時に持ち去られる運命を辿れず、ひと月後の殞命を免れて小屋の中をうろつき回る二羽の姿が目障りだった。学校へ行かない、そのひと月分の授業料が延ばされたということだ。
 その二羽の中でも醜い一羽の雄鶏――最もみすぼらしい姿だった。不格好なうえ、隣の鶏と戦えばその都度負けた。噛み付かれた鶏冠とさかには、いつ見ても血が新しく流れていた。瞼は厚ぼったく垂れ、片方の脚を引き摺る。肩の羽が不揃いで、尻尾さえ短かった。ある時は、雌鶏にさえ追われた。雄としての役目を果たせぬ雄鶏は、見るからに哀れなものだったが、最近に至っては哀れを越えて目にしたくもなかった。その上ひと月の命脈を、小屋の中でさらに得たことがウルソンには憎らしく、醜く見えるばかりだった。
 学校に行けない心が、とても息苦しかった。

 林檎を取って楽園を追われて泣くのは伝説だが、学園を追われて泣くのは現実だ。
 農場の林檎は禁断の果実だった。
 ウルソン達は、その律則を破ったのだ。
 仲間の誘いに陥ちたというより、ウルソン自身が林檎の誘惑に負けたのだ。林檎は贅沢な欲望ではない。必要な食欲だった。
 当番は五人であった。蚕をみな上げたあと、別にやるべき仕事もなく暇であったのが問題を起こす始まりだったのかも知れない。雑談で深夜十二時になるまで待って、一斉に部屋を出て行くと闇の中に身を隠し、果樹園の金網を越えた。
 食い残しをかまどの焚き口に入れるまでは全く良かったのであるが、最後の一つを部屋の隅の桑の葉の中に大事にしまっておいたのが失策だった。
 翌日朝、果樹園の中の足跡が問題になった時、偶然にもその桑の葉の中の一個が発見された。
 捜索の道筋は明らかであった。昨夜の五人の当番が、順番に班担任の前へ呼ばれることとなった。
 堅く口約を交わしておいても、いつだって同じく、何処からか巧みに崩れていく。弱い一人の同志の口からとうとう事実が吐かれたようだ。一人ずつ繰り返し呼び出されて行った。
 二度目の呼び出しが始まった時、ウルソンはおかしな所に居た。
 身体が辛くて入ったのではなく、しばしの面倒な時間を避けようと、わざわざ其処を選んだのだった。
 一人が入って辛うじてしゃがみ、坐るばかりの四角いその狭い空間――窮屈ではあるけれど、最も気楽な場所も其処だった。其処に坐れば、まるで海の中に沈んでいるのと同じように、身体がずいぶん軽くなるからだ。
 外の運動場では、仲間らのしゃべる声、笑い声、走る音に混じって、ボールの転がる軽い音が絶えず聞こえて来て、身体はその楽しい音に乗って浮かび上がるようだった。
 ウルソンは、現在取調べを受けている当番の同志らのこと、自分の状況さえも忘れ、悠々とポケットの内から煙草を一本拾って火を点けた。実際、すなわち煙草も林檎と同じく禁断のものであったが、律則を破る事は人類の祖先が与えた美しい功徳だ。しかも、其処で一服吸うのは無上の歓びだとウルソンは思うのだった。
 これも其処の特異な風俗として、壁には服を着ない時の男女の原始的な姿態が幼稚な筆致で落書きされている。簡単な下手な絵ながら、それは一種の歓びだった。
 ウルソンも分からない誘惑を受けてポケットの中から鈍い鉛筆を探し出し、香ばしい煙を長く吹きながら、想像を傾けて絵を描き始めた。
 林檎を食べたうえ、煙草を吸って、落書きをして――違反を重ねるあいだに、ウルソンはふっと学校は嫌だという思いを浮かべた――例えば学校で林檎を盗んだ子に尋問した教師は、いったん家に帰った時、隣の家の畑の林檎を盗んだ幼い息子にはどんな方法で処罰するのだろう、また彼自身が林檎を盗んだ少年時代を思い出すとき、どんな感想と反省ができるのだろう。またあるいは学校で節制の美徳を教える教師自身が不義の情欲に陥ったとき、その境遇をどう説明するのが正しいだろう――まるで十戒を説教する牧師自身が姦淫の罪に苦しむにも似たその場合を。
 我が身で思えば、特殊な科学と技術を習ったって、そいつを利用する自分の農地さえもない状況ではないか。
 みすぼらしい、落ちこぼれ。ちっぽけな報酬のためにこの屈辱を受けているより、いっそ狭い窮屈な束縛を抜け出して、どこへでも広い世の中へ走りたい。
 ウルソンの空想は手綱を離した馬のように、止まるところを知らなかった。
 長い時間を過ごしたようだ。
 下校の鐘の音が煩わしく鳴った。

 翌日、父親は一張羅の服を着て、学校へと呼ばれて行った。
 無期停学の処分だった。
 父親は呆気にとられたようだった――わが子に鞭打つ事もできなかったので。
 ウルソンは家の鶏を全部叩き売って逃げ出したい気持ちを火のように起こしたが、それも叶わず手ぶらで家を出た。
 隣村をさまよい、三日ぶりに再び家に戻ってきた。
 畑仕事も疎かに、数日は白痴のように過ごすほか無かった。
 小屋の中の鶏たちが目に見えた。中でも醜い雄鶏の姿は一段とみすぼらしい。辛味噌コチユジヤンに飯を混ぜて食わせたって、隣の鶏に負けてしまう哀れな身上は、見るからに不憫だった。
 無様な雄鶏、俺の姿じゃないか――ウルソンに怒りが湧いた。
 忙しくないのなら、ポンニョとは何度も会う事ができる身ではあったが、気まずい心から逆に躊躇された。
 確かにポンニョは、ウルソンの処分を良くは思っていない表情だった。
 ポンニョはしっかりした女性だった。半年間の原蚕種製造所の研修生講習を終えたところで、来春からは村の蚕業指導生として出る身であった。放っておけば怠けがちなウルソンに勉強を勧め、鞭打ってくれるポンニョだった。学校を修了したら二人で稼ごうという約束だったが、ウルソンの今度の失敗がポンニョを失望させたのは確実だった。無能な男――ポンニョにこれほど意味のないものは無かった。
 ある夜ポンニョを訪ねた時、ウルソンは全てをはっきり知った。
 出てきたのはポンニョではなく母親だった。
「これからは互いに出入りも絶えるかと思うと、寂しい事この上ないね」
 訳がわからず突っ立っていると、ポンニョの母親は話を継いだ。
「なんとか良い人を一人さがしてみたよ」
 千斤に等しい銑鉄が背筋へ打ち落とされた。
「組合に落ち着いた人が居るというから、もう掘り下げずに決めてしまった」
 ポンニョに尋ねようとも考えず、ウルソンはふらふらと走り出た。
(ポンニョの意思だろうか、母親の仕業であろうか)
 水も欲しくなかった。
 目の前は暗く、天地が崩れるようだった。
 幾日の間は、目に何も映らなかった。
 虚ろなイガ栗のような現実。
 ひと月が過ぎても学校からは復校の通知もない。
 夕刻であった。
 鶏が小屋の中に入ってそれぞれの寝床を占めた時、村に行った雄鶏がゆらゆらと帰って来た。
 また戦ったようだった。
 裂けた鶏冠には血が生々しく、ねじれた肩の羽が逆立って伸びている。
 足を引き摺るのはいつものままだが、歩いて来る方向が定まらない。よく見ると目が片方潰れているのだった。閉じた目から血が流れて羽毛を染めた。
 残酷な姿だった。
 痛ましい気持ちはたちまち憎しみの感情に変わった。ウルソンに火の怒りがカッと湧き上がった。
(そんなザマで生きてて何になる)
 殺気を帯びた手がぶるりと震えた。手に触れた何かを、鶏に投げた。
 運悪くも命中し、瞬間、脚を伸ばしてもがく姿から、ウルソンは目を背けてしまった。
 絶えては継がれる哀れな悲鳴が、ウルソンの五臓を揺さぶるようだった。