第62回3000字小説バトル

エントリ 作品 作者 文字数
1夜空の向こう、遥か彼方3000
2ピンクのイカのぼりん2928
3ゴルファーを笑えお気楽堂3000
4浪人時代深詰(霜月)3000
5こんにちは、動かない3000
6おとなりの英雄さんごんぱち3000
7『ソレの名は』橘内 潤2999


バトル開始後の訂正・修正は受け付けませんのでご覚悟を。

投票、投稿ありがとうございました

バトル結果ここからご覧ください。



  エントリ1 夜空の向こう、遥か彼方 双


「静伊!!」
叫ぶ声もむなしく、響くだけ。
「あきらぁっ!!」
二人の距離はどんどんと長くなっていく、二人の距離を何かが遠のけようとしている。
「いやだぁっ!!離せよ!!なんではなさねぇんだよ!!静伊!!静伊ぃぃいいいい!!!!」

ガバッ!!
「うわぁぁっ!!」
「きゃぁっ!」
ドサッ
勢い良く布団から飛び出した、どうやら夢だったようだ、それも悪夢。
「きゅ、急に声出すなんて・・・びっくり・・。」
「はぁはぁはぁ・・・、ごめん・・・。」
体中汗だくで最悪の目覚め。
「大丈夫?何か悪い夢でもみたの?」
「大丈夫、ちょっと風呂入ってくるわ・・・。」
そういうとそそくさと着替えを用意し、風呂場へと向かっていった。

カポーン・・・。
バシャァーッ・・・、シャカシャカシャカ・・・。
バシャァーッ・・・!
髪を念入りに洗い流し、そしてゆっくりとたっぷりのお湯の入っている浴槽の中に入る。
「はぁ・・・誰だったんだ?というよりあの夢はいったい・・・。」
そういうと俺は天井で隠れた空を見上げた。

夜空の向こう、遥か彼方

「姉さん、上がったよ。」
目の前にいるのは姉さんの未来だ、18歳にして彼氏おらずの主婦状態の大事な姉さんだ。
「何か余計な回想がなかったかい?^^」
声がとても笑ってない・・・。
「い、いや、なんでもないよ、それより俺腹減ったよ、飯は何?」
すると姉さんはふふーん♪と何やら嬉しげに鼻を鳴らした。
「聞いて驚くなよ弟よ!」
「驚かないから早くしてよ。」
「ホントに驚かないの?」
「そらまぁ多少は驚くかもしれないけどさ。」
「驚いたらダメッ!」
「いいから飯を見せてくれよ!」
少し怒り気味にいうと姉さんは、なによぉ・・・、と睨みながら皿を取り出す、それも飛び切りでかい皿を。
「・・・姉さん。」
「なんだい弟よ。」
「コレ、何。」
そう、目の前にあるのは巨大なイカ。
大王イカという生物より遥かにでかいイカ。
というより既にイカとは呼べない。
「コレか?これはだな弟よ、イカだ!」
「見たらわかるわそんなもん!」
「今日は一段と反抗的だな我がかわゆい弟。」
「止めろ気持ち悪い・・。」
こんなんが姉だと考えるのも少し今イヤになった。
それより・・・。
「この大王イカサイズのイカをどうした?」
「大したことじゃない、近くで泳いでいたら居たので捕まえれば食えると思ってしとめただけだ、気にするな。」
「大丈夫かよ・・・。」
絶対この世で信用してはならない人BEST5があるのならば姉さんがBEST1の座を取るだろう、それもほぼ間違いなく。
それも怖いのは姉さんは真顔でそういうことをいうことだ。
笑っていっているうちは冗談っぽさを感じるが大体は真顔で「平気だろう。」とか「食えるさ。」とか言い出すから怖い。
果たして今回は無事なのだろうか・・・?
「で、姉さん。」
「なんだマイファーザー。」
「意味が違う!というか適当な英語を使うな!」
「それはそれでいいが、どうしたのだ?」
「いや、このイカどうすんだよ。」
少し黙る、がすぐに口を開く。
「そんなもん斬ってでもなんでもすればいいだろう!!」
「なんで怒ってんだよ!つーか開き直んな!」
大王イカサイズのイカをどう調理するのやら、この姉は。
「こんなもんチャチャッ!と斬ったらいいだろう、まぁ見ているんだゴッドファーザー」「だから意味が違う、大体なんで俺がファーザーなんだよ、そこから離れろ。」
しかし姉さんはそんな俺の言葉をまるで戯言のように無視して包丁と呼べないくらい長い剣と化している包丁を握る。
「・・・斬ッ!」
ズバッ!
「ちょ、マテや!!」
「なんだ、シンクラウディックファーザー」
「激しくするな!それ以前にファーザーじゃねぇ!!というかなんだ斬ッ!って!」
すると頬を赤らめてつぶやくような小さな口になり
「そりゃカッコイイだろ・・・。」
「なんだよカッコイイってよ!大体姉さん女だろ!?もうちょっとおしとやかなしゃべり方しろよ!最初のほういい感じにしゃべってたのにっ!というかこのイカ、ズバッ!とかいう効果音鳴らしときながら全然切れてないし!」
「ふっふっふっふ・・・。」
何やら姉さんが笑い出した、何か悪いものでも食ったのだろうか。
「甘いなエレメンターディレクトファーザーよ!このイカをよくみるんだ!!」
「もうわけわかんねぇよ!なんだよエレメンター・・・あぁもう!大体ファーザーじゃねぇ!」
とかいいつつ姉さんの指差すほうを見る。
「いいか、良くみていろ。」
スッ・・・。
ズバンッ!!
「ぇ?」
軽く触っただけなのにイカが真っ二つに割れる。
「ほら、すごいだろう?」
少し誇らしげに胸を張る、無いくせに。
「弟君?何か言ってはならないようなことを思わなかったかい?」
「滅相もございません姉君。」
とりあえず包丁を握っている手が妙に力が入っているのがわかったので身を引くことにした。
「で、だ。」
「このイカをどう調理するか?だろう。」
姉さんもちゃんとわかってるじゃないか。
「わかってるんなら話は早いね、さっ!どうするんだ?」
何やらもじもじとしだす。
「焼くぅ?」
「何その発音。というかむっさ曖昧やな自分。」
「関西弁になっとるよ?」
「そないなことゆうたって・・・ちゅーか自分もやん。」
恐らくこの関西弁は作者の仕様だろう。
「それで調理法がわかったぞ、弟よ。」
「そうか、なら早急に頼む、腹が減りすぎて頭が痛くなったきたみたいだ。」
姉さんが何故か突然笑い出す。
「あははっ!そりゃアンタ叫びすぎだよ!あははははっ!!」
「アンタのせいだろ!!!つーかわかってんならなおさらに笑うな!!というより先に早く調理しろ!!」
すると姉さんは急に床に手を突っ込む。
バキィッ!!
気を貫く音。
姉さんはとても怪力なのです、ウルト○マンのおよそ3億倍、まぁそこまではいかないのだが。
「弟よ。」
作業を途中でやめ俺の方を向く。
「なんだ姉さん、急に作業を止めて・・・。」
「いや、なんだその今更だがもっといい方法がうかんだのだ、聞いてみないか?」
俺はもちろん即オッケーのサインを出し、コクンと頷く。
「ソノ方法というのはな、漁業組合に持っていくことだ・・・!じゃ、いってくるから、留守番よろしくぅっ!」
するとあの巨大なイカをいとも簡単に持ち上げ走っていった、そして見えなくなった直後にいろいろと思い出す。
「ぁ・・・俺の飯は!?というか最初の夢とこの終わり関係ないじゃん!何?ぶっちゃけコレイカの話だろ!題名とかまったく関係ないのにいいのかこんなんで!!」
するとお告げが来たかのように頭の中に言葉がおくられてきた。
『細かいことは気にするな、このままじゃ終わらないんだよ』
どうやら作者の仕様でオチを無理矢理作るようだ。
「大王イカをみんなで食べてねっ!」
「誰だよアンタ!!」
「ぇ、作者です。」
「出るな!作者が原作に出るな!どっかの漫画の世紀末リーダー伝○け○じゃないんだからな!今すぐ戻れ!」
「おっちゃんヒマなんやもん。」
「知るか!!」
そういうと急に作者と名乗っていたカスは消えた。
いったい何をしたかったのだろうか。
「しかし、3000文字というのは長いな。」
「知るか!つーか早く今すぐ早急に戻れ!!」
すると再び作者と名乗るヴォケは消えうせた。
二度と出るなと心から願ったのはコレが初めてかもしれない。
それにしても姉さんはあのイカをどうするのだろうか、というか売れるのか・・・?それだけを思っていた。
にしても腹へ、った・・・。
バタ。
○作者附記::最後のほうがやっつけだったり途中から飽きたりした方もいたかもしれませんが最後まで読んでくださった方はありがとうございます(ノ∀`)
これで二回目ですがどうでしたか?満足していただけたでしょうか。
感想とヵもらえたら一人でPC目前にしてテンション上がりまくるのでぜひぜひ送ってください、批判は受け付けておりません(ぁ
それでは。








  エントリ2 ピンクのイカ のぼりん


 最近は、街に出るといろいろなところで、百円ショップを見かけるようになった。子供と外出して店を見つけると、安上がりに子供の機嫌を取れる気楽さから、つい入店してしまう。とにかく何から何まで驚きの安さで、これまたついつい買わなくてもいいものまで買ってしまうのである。
 ここで一つアドバイスさせてもらうなら、百円ショップで買うマジックのタネ箱はよしたほうがいい。
 この前は、勢いで十ケースも買ってしまって、家に帰って開いてみると、あまりのショボさに自分を呪い殺したくなってしまった。いや、百円でも高すぎる。本当に頭に来る。
 さて、先日は、おもちゃのコーナーで特別面白いものを発見した。それは、全長五センチほどのピンク色のイカである。ゴムの型押しのようだが、何が面白いかと言うと、説明書きに「このイカを水につけておくと、どんどん大きくなります」と書いてある。
 ところが、どのくらい大きくなるのか、皆目わからない。私は、そのイカガワしさになんだか興味を引かれて、実験してみる価値があるかも、と思った。
 結局、子供(男の子ふたり)に買わせることにしたわけだが、後になって子供が、「十倍ぐらい」と書いてあったと主張した。が、その時にはすでに説明書をよく読みもしないで破り捨てていたから、確認できなかった。
 ともあれ、体積で十倍というのと、長さで十倍というのではまったく違った結果になる。長さで言えば、単純に五十センチにもなるわけで、途方もない大きさと言える。
 さっそく、私たちは家に帰ってイチゴのパックに水を入れ、それにイカを漬けて子供の机の上に置いた。
「よく観察するように」と子供に命令すると、アイアイサーと、彼らもやる気になっている。
 もちろん、大人には他にもいろいろとする事がいっぱいあるので、イカのことだけ気にとめておくわけにもイカない。私はその日の後半は、野球中継を見たり昼寝をしたり、サッカー中継を見たりうたた寝をしたり、プロレス中継を見たりエロビデオをこっそり見たりして過ごした。
 ―結局、昼寝をしてテレビを見ていただけなのだが―まあ、休みの日にはそういうものである。
 夕方、子供に呼ばれてイカを見に行くと、なんとイチゴパックいっぱいに膨張している。しかも、表面が水を含んでただれたようなイボイボだらけになっていて、とても不気味だった。
 一番小さい男の子が、お母さんに見せようとはしゃぐので、やめておけ、と一言いっておいた。女と言うのは(とくに妻は)こういう事には、驚くほど無関心である。この状況を、アホらしい、と冷たい一言で評価されたのでは、ロマンも何もあったものではない。
 なるほど、これはロマンである。未知のものに対するロマンは、男の子固有のものだ。女の立ち入る領域ではない。
 とにかく次は風呂へ漬けてみよう、と私が提案すると、男の子たちはふたりともラジャーと叫んで賛同した。
 その合議の途中、娘が何事かと顔を覗かせたが、即座にイカの入ったパックを勉強机の下に隠して、仮面ライダーの歌を歌ってごまかした。
 おおむね娘は妻のスパイである。先日など、娘だからとつい気を許してしまい、「あのおばさんめ」と妻の陰口を叩いたのをそっくりそのままチクられた。「おばさん、って何よ」と突然妻に凄まれ、なおかつしつこくうるさく、まったくなんの関係もない問題まで文句が飛び火して辟易した。男の子たちもその罠に嵌って、何度もひどい目にあっている。
 娘が怪しそうな顔で、あっちへ行くと、私たちはさっそく行動を開始した。飯を食い、風呂に入ったついでに、そ知らぬ顔でイカをそのまま漬けて出た。
 ふと考えた。
 妻が後で風呂に浸かったとき、巨大なピンクのイカが湯船に浮かんでいたら、さすがの彼女も平穏ではいられまい。
 わが妻は、「きゃー」なんて絹を裂くような悲鳴はあげない。きっと、ギャーだ。ゾンビ映画の、ゾンビに襲われる方ではなく、ゾンビの方の叫び声に近い。色気もなにもあったものではないだろう。

 怪奇巨大イカの逆襲!
(何で「逆襲」なのか意味もないが)

 しかし、妻のごとき「おばさん」には、怪奇の程度も「ピンクのイカ」程度で十分お似合いである。
 とまあ、風呂から出て、テレビの前にごろ寝しながらそれこれを考えると、つい頬が緩んだ。
 と、そこまでは、本当に単なる夢想家の、とりとめもない幻想のようなものだ。いくらなんでもあのイカが、そんなに大きくなるはずはない。湯船にぷかぷか浮かぶ手のひら大のイカを妻が見て、こんな気持ち悪いものすぐ捨てなさい、となるに決まっている。
「誰が買ってきたの」といわれて、子供たちが「父さん」と答えたら、またしつこい小言を聞かされるはめになるかもしれない。しかし……と、ふと私はそのとき閃いた。
 あのイカが水を含んで大きくなると思っているから限界があるわけだが、例えば、水を分解し、自分の成分に同化させて膨張しているのだとすればどうだろう。
 水を含んでいく限り、その膨張は無限に繰り返される。なんてね。

 まさか……。
 そう、まさか。
 なんか、思考が混沌としてきたとき……ふと、テレビを見ると、今まさに、海岸沖で巨大なピンクの島が出現と云うニュースをやっているではないか!
 なんと、画面いっぱいに、ピンク色の巨大な塊が映し出され、その上を自衛隊のヘリが数機ぐるぐる回って偵察をしている。大小さまざまの船が、その周りを取り囲み、そこから発せられたサーチライトがあらゆる方向から物体を照らしていた。
「誰かがイカを海に捨てたのに違いない!」
 私は跳ね起きると、一直線に風呂場へ走った。
 妻の悲鳴!
 あ、いや、彼女の悲鳴は、私が風呂の扉を、突然に開けたためのものだった。
 今度は妻の怒声が爆発するまで、私はそのまましばらく呆然と立ち尽くしていた。
 私の足元には、小さくなったイカが転がっている。

「私怒ったわ!(いかったわ)」
「お、お前はイカだったのか?」
「そうじゃない、ひどく怒ったといってるのよ!」
「し、しかも、人食いイカだったのか!」
「……」

 ――なんて、駄洒落が出てくるような場合ではない(読者サービス)。
 その瞬間、よだれが顎を伝っている気持ち悪さにやっと気が付いたのである。私は、テレビを見ながら、うとうとしてしまったのに違いない。
 みごとに寝ぼけていた。
 世の中には不思議な事がいくらでも存在している。しかし、そのほとんどは、きっと夢の中の出来事なのだろう。夢と現実の接点がちょっとずれていると、今回のように、当分の間、わが妻に痴漢呼ばわりされるという訳のわからない結果になる。
 だから、あの時のよだれは、そういう意味じゃないんだぞ!
 まったくの誤解だ。 
 ……といくら主張しても、もはや後の祭りである。
 こうなると、何が正しくて何が正しくないのか、妻にも私にもさっぱわけがわからない。ただ時が忘却という波で、あのときの出来事を洗い流してくれるのを辛抱強く待つだけだ。
 ところが、少なくとも歴然として確実なことがひとつある。
 それは、近所の百円ショップに行けば、今もこの不思議なピンクのイカが玩具コーナーの片隅に並べられている、と言う事実なのである。







  エントリ3 ゴルファーを笑え お気楽堂


 ティーアップしようとしたら地面が凍っていた。
 先に打った3人が普通にティーアップしていたのを思い出して少し不思議に思いつつ、ティーグラウンドに備えてあるスキーのスティックのような形をした鉄棒を持ってきてドスンと落とし、開いた穴にティーを差してようやくアドレスに入る。フェアウェイの真ん中を狙ってスタンスを取り、一つ息を吐いて気合を入れた瞬間、素振りを忘れていたことに気がついた。慌てて一歩後ろに下がる。そそくさと二度ほど素振りをし、再びアドレスに入った。イチ、ニのサンとリズムに合わせてスイングする。手元に芯を食った感触が来たがボールは右OBへ向かってまっすぐ飛び出し、きれいな放物線を描いて谷底へ消えた。
「打ち直します」
 ティーはそこに刺さったままだったので、ポケットからボールだけ取り出し、もう一度ティーアップする。今度は方向確認もそこそこに慌ててスイングしたため、ボールの20cmも手前の地面を叩いた。反動で大きくバウンドしたヘッドがかすったボールは、チョロチョロとティーグラウンドを転がり落ちて5m先のラフに埋まった。
 カートに戻ってドライバーをバッグに戻し、スプーンを取り出す。小走りでボール位置に向かい、急いでアドレスして急いで打った。固い感触がした。地を這うように進んだボールは、50ヤードほど先で止まった。まだフェアウェイに届いていない。再度ボールまで走り寄り、もう一度スプーンを構える。思い切り打ったボールは、今度はようやく少し空中に浮き、100ヤードほど先のフェアウェイ左サイドに落ちた。

 カートは既に先まで行っていたので、仕方なくまた小走りでボールへ向かう。まだ、他の3人のティーショットに届いていない。グリーンまではたっぷり200ヤード以上残っている。持っていたスプーンでグリーン方向目がけてもう一度打つ。ボールは低い弾道で飛び出し、取りあえず残り100ヤードの表示杭は越えたようだ。
 他の3人が順番に第2打を打つ間にカートまで駆け戻り、スプーンを戻してピッチングウェッジとサンドウェッジを引き出すと、持ったまま後部座席に座った。荒くなっていた息を整えるために小さく深呼吸する。
 最初に打ち終わった一人が戻ってきて運転席に乗り込んだ。打ち終えて戻ってきた残り2人を拾って発車し、グリーン手前でカートが止まると、自分のボールの所へ急いだ。3人とも難なくグリーンに乗せていた。

 残り約70ヤード。ライはやや左足上がりのようだったが、深くは考えずピッチングウェッジを構え、ピンの位置だけ確認して振り下ろす。ボール手前10cmの地面にヘッドがめり込んだ。ボールは何事も無かったかのように同じ場所にある。心臓がバクバクし出した。めくれた芝をウェッジのソールで少し抑えて、もう一度アドレスする。ダフらないことだけを願ってスイングした。ボールは、低く鋭く右45度に出てグリーン脇のバンカーへ飛び込んだ。シャンクである。

 心臓のバクバクが更に高まった。脇に置いていたサンドウェッジを拾い上げ、バンカーへ駆け寄り、ピッチングウェッジを放り出してバンカーの中に降りる。幸いひどい目玉にはなっていない。アゴもそれほど高くない。ピンの方向を確認すると、両足をグリグリ砂に埋めてアドレスし、サンドウェッジで思い切り打った。バフッという音とともに砂が顔まで飛んで来たが、ボールは今えぐった砂の跡に転がり落ちてきた。
 頭に血が上った。再度ボールにアドレスして力任せにスイングする。今度はボールはきれいに飛び出したが、グリーンを飛び越えて反対側のバンカーに落ちた。
 上った血が今度は一気に引いてゆく。震える手でバンカーレーキを引っつかんで形ばかり足跡をならすと、反対側のバンカーへ向かう。ともかくバンカーから出さなければならない。ピンまでの距離もろくに確認しないまま、サンドウェッジを構えて三たび振り下ろす。大量の砂とともにボールは弱々しく浮き上がり、グリーンエッジに乗った。
 ホッとして大きく息を吐いた。バンカーレーキを探したが見当たらないので、仕方なく足で跡をならす。バンカーから出てパターを取りにカートへ戻ろうとすると、
「ピッチングウェッジ忘れてるよ」
 慌てて最初のバンカーまで取って返し、ピッチングウェッジを拾い上げてカートまで駆け戻った。ウェッジ2本をバッグに戻してパターを引っ張り出し、ボールの場所へ急ぐ。その間に3人とも自分のボールをマークして芝目を読んでいる。

 ピンまでは――15m、いや20mぐらいあるだろうか。距離も芝目もさっぱり分からない。皆が待っているので歩測している暇はない。ままよとばかり力一杯打つ。ボールはピンまでの距離の半分程のところで止まった。一人がマークの位置にボールを置いている。あっちの方が遠いようだ。急いでマークしてボールを拾う。相手は1mショートし、再度マークした。
 見回すと、残りの2人よりまだこちらの方が遠いようだ。ボールを置いてマークを拾い、アドレスに入る。残り距離が何mかも分かっていないが、さっきと同じだけ打てばちょうどいい計算だ。さっきの感覚を思い出してパッティングする。同じくらいの強さで打ったはずのボールは、カップ左10cmを通過すると速度を上げ、5m近くもオーバーしてやっと止まった。カップの向こうは下りになっていたようだ。
 別の一人がボールを置いている。慌ててマークしようとボールに向かっている間に、5m以上あったパットを一発で沈めてしまった。
「ナイスバーディー!」
 他の2人が声を掛ける。
 あと一人は3mにつけていたので、マークする間も無くこちらの番である。さっき行き過ぎたラインを思い出して、カップまで目でなぞる。大して上っているようにも見えなかったが、オーバーしていった時のスピードを考えて慎重に打った。それでも、芝が逆目なのかボールはのたのた登って、カップまでまだ2mも残して止まってしまった。再度マークする。3mの人がパッティングした。惜しくもカップを舐めて縁で止まったボールを、タップインして拾い上げる。
「ナイスパー」

 さぁ、あと2mだ。ボールを置いてカップを見る。2mの距離感を意識しつつ、強めに打ったつもりのパットは40cm程ショートした。
「お先に」
 そのまま続けて打つ。ボールはまたも10cmショートした。大声で叫びたい衝動をぐっとこらえて慎重に流し込み、ようやくホールアウトした。
 最初にパッティングした人が薄く溜息をつきながらボールを置いた。二度ほど素振りをして打ったボールは、カップまで後5cmというところで止まってしまった。身体を起こしてボールに近づきながら、チラッとこちらを睨んだような気がした。小さく舌打ちする音ははっきり聞こえた。5cmをタップインして、
「ボギーです」
「惜しかったね」
 バーディーだった人が声を掛けながらピンを持って近づき、カップにピンを差すとフェアウェイ方向に向かって手を上げた。振り返ると、後続組が既に残り150ヤード地点に来ている。慌てて小走りでグリーンから出てカートに乗り込んだ。

 1番ホールを後にしてようやく少し落ち着いた。まだスコアを申告していないことに気がつき、思い出しながら指を折って数えた。
「あのー、17打です」
「…………」
「…………」
「…………」

 まだ17ホール残っている!







  エントリ4 浪人時代 深詰(霜月)


 去年の四月、現役で大学に行った友達と西麻布でベトナム料理を食べる約束をしていたので、予備校の帰りに六本木交差点そばのマツモトキヨシの前で待ち合わせををしていたら、黒い服を着た背の高い男の人に声を掛けられた。いま時間に余裕ありますか? 阿部寛みたいな人だった。最初は風変わりなナンパだと思っていたが、僕はキャバクラのスカウトですと、その濃い顔がほとんど垂直にあたしを見下ろして名刺を差し出した。スカウト担当矢部寛。こんど予備校で、誰かに話す良いネタになりそうだ。
 キャバクラは裸になって、いやらしいことをする場所だと思っていたが、お客さんの話し相手をしたり、ウイスキーの水割りを作ったり、普段あたしがお父さんやおじいちゃん相手に家でしていることをするようなお店だとは知らなかった。見た目が派手なこの矢部寛も、話してみるとすごく普通で、どっちかと言えば真面目そうなタイプだと思う。アルバイト感覚で効率よく短期で稼いでいる女の子もたくさんいるんですよ、六本木は本当はすごく治安も良いし、夜に働くには実は、とてもよいところなんですよ、まだ開店前ですから、ちょっとだけお店の様子を見て行きませんか?
 よくわからないうちに友達もいっしょにすぐそばのお店に案内されて、腰よりも膝のほうが高くなってしまう高級そうなソファに座り、ミニスカートをはいて来た事をちょっと後悔しながら、美味しそうなケーキと紅茶の香りを横目に、仕事内容の説明を聞いた。いつの間にか貸し衣装代は天引きで時給二千五百円、お店を開ける夜七時前の開店準備から終電直前まで、週に一日、アルバイトをすることになっていた。
 サイズの合わない淡い水色のドレスを着て、髪をスプレーで固め、いつもより濃い目にお化粧をして、初めて付いたお客さんは、いつも開店と同時にお店に来てビールを一本飲んで、かならずきっちり一時間で帰っていく常連さんだった。矢部寛が、きょうが初出勤の新人のヒトミさんです、よろしくお願いします、そう紹介してくれた。あの、どうも初めまして、ヒトミです。
 髪が黒くて着ている服もおしゃれで、放送業界か何かで働いている五十過ぎの人だと思っていたが、年齢を聞いて驚いた。今年で七十歳になったという。こんなジイサンが来たんでびっくりしただろ? いいえ、あたしも家でおじいちゃんのお酒の相手をよくするんで。わたしの孫も、貴女とそう変わらない年齢だと思うがね。
 まるで本当に自分のおじいちゃんと話しているみたいだった。家では一杯だけビールを飲ませてもらえるが、あたしは未成年なのでお店では絶対にお酒は飲ませてもらえない。セキグチと名乗ったおじいさんは、美味しそうにグラスのビールを一気に空けて、静かに楽しそうに話し、ドレスが似合うとほめてくれた。空になったグラスに、細くて小さい、瓶ビールを注ぐ。あたしはウーロン茶を飲む。ビール瓶が空になったころ、ちょうど一時間が経った。
 ほとんど緊張もしなかった。というよりむしろ、楽しかったぐらいだ。これで勢いがついたのか、あちこちのテーブルを言われるままに回って先輩やお客さんに釣られて笑っていたら、あっと言う間に上がりの時間になっていた。ドレスのせいか自分じゃない自分が面白くて、何とも言えない充実感のようなものがあった。
 最初は本当に週に一日だけだったが、セキグチさんから指名をもらえるようになって、少し出番が増えた。きっちり一時間、文芸誌の新人賞の最終選考に残った若かった頃の話をして、ビールを一杯飲んで、帰る。あたしはあまり本を読まないので分からないことが多くて、いつも質問するばかりだ。それでもうれしそうに、セキグチさんは話をしてくれる。更衣室で化粧の仕方を教えてくれるお店の先輩が、それがいいのよ、と口紅を塗り直した真っ赤な口唇を色っぽくとがらせた。
 最初にもらった十万円近いアルバイト代は、優しいけど勤務態度にはすごく厳しい店長に連れて行ってもらった水商売用の衣装があるブティックで、お店のおばあさんが選んでくれた、肩と胸元が大きく露出した赤いドレスを買った。自分で持っていた下着では絶対にはみ出してしまうので、次の日、渋谷でヌーブラと見せブラを買った。
 そのうちセキグチさんが知り合いを連れてきてくれるようになって、指名も増え、店長にお願いされて、夏前には週に四日以上お店に入り、予備校に行く日も、少しずつ少なくなった。お店に出た日の勉強時間は帰りの地下鉄のなかぐらいしか取れなくて、英語の授業についていけなくなり始めていた。その代わり時給が倍ぐらいになった。

 夏期特講に行く前にATMで定期券代を下ろし、明細に記載されていた残高に驚いて、思わず「えっ?」と声を出してしまった。六十六万三千二百五円。少し怖くなって、もうキャバクラは辞めようと思ったが、代わりに働ける女の子を連れてきてくれないと困るとか、あと一ヶ月だけ続けてくれとか言われて、そのままずるずると居続けてしまい結局、年を越してしまった。いつの間にかお店の女の子はあたしより後輩のほうが多くなっていた。銀行の残高は三百万円近くになった。一緒に入った友達は、すでに辞めていた。センター試験の結果も、良いとは言えなかった。
 店長にお願いして、第一志望の受験までの二週間だけ、休みをもらうことになったら、いつも指名してくれる常連さんが三十人ぐらい、合格祈願だと言って全国各地のお守りとかモンブランの万年筆とか自分じゃ持たないような高価なバッグや腕時計とかネックレスとか可愛いイタリア製の下着とか化粧品をくれた。早く女子大生になってお店に帰ってきてくれよ。でもそんな目立つものを家に持っては帰れないので、お守りと化粧品以外はお客さんに内緒で、後輩の女の子に言い値で売ってあげたら現金で百万円以上になって、お金を持つ手がぶるぶる震えてしまった。
 次の日の昼に出来るだけ目立たない服装とトートバッグを持って銀行に行き、ATMで預けようと思ったら一度には全部入らなくてあせってしまい、困っていたら警備員みたいな制服を着た親切そうな係員のおじさんが、どうしました? と近寄って来た。これ、全部入らなくて、あの。係員があたしの手に握られていたお札を見て驚いて窓口を案内してくれたが、お札をトートバッグに仕舞うところを見た女子高生たちが、スッゲーと声を上げた。列に並んでいる人達が、みんなあたしのことを見ている。怖くて、恥ずかしくて、泣きたくなった。
 窓口の綺麗なお姉さんがあたしの差し出した現金とキャッシュカードを見ながら何かの端末であたしの口座情報を調べたらしく、失礼ですがこのお金はどうされたのですかと尋ねられ、キャバクラで働いてたらたまってしまったと正直に答えたら表情も変えずに、お預かりしますと残高は五百万円を超えますが定期預金になさいませんか、と別の窓口に移動させられ、たまたま印鑑も原付の免許証も持っていたので言われるままに手続きをした。

 もうすぐ第一志望の大学の受験なのに、あたしはお店で常連さん達に壮行会を開いてもらって大騒ぎしている。合格できるとは思えないが、なぜか落ちる気もしない。先なんて全然見えない。でも、三月の始めには常連さんと、時給一万円でスカウトされた別のキャバクラで合格祝いか残念パーティをしていることだけは決まっている。







  エントリ5 こんにちは、動かない 荵


 あんたなんかには一生、分からない、と妻が言った。だから義春は、今日と言う日をいつもとは違うものに捧げることにした。罪悪感からだろうか、いらだちからだろうか。何のためにそうしているのかは本人にもよく分かっていない。その点、すでに妻の言う通りだった。
 今日は付き添いには行かないと決めた。家からも出ないことにした。ベットからも起きあがらない。24時間、身動き一つしてはいけない。ある意味で逃避行動と他人に罵られるかもしれないことは覚悟の上だった。
 義春は午前七時半すぎに目を醒ました。昨夜は午後11時には床に入った。睡眠は十分だろう。しばらくは呆然として、自分の決め事を反芻した。そうしているうちに二度寝してしまう。次に目を醒ましたときには、午前10時になっていた。のんびりと眠る自分に半ば飽きれてしまう。この分なら今日の11時まで、ずっと眠って過ごせるんじゃないか、と、つい甘い考えがよぎる。それでは全く意味がない。しっかりと目を醒まそうと思い、タバコを探る右手を止める。
 正午には完全に目が冴えていた。トイレに行きたくて仕方がない。食事もとりたくなる。テレビをつけて、気を紛らわすこともできない。寝返りも意識的にうってはいけない。段々と、自分のバカさ加減に嫌気がさしてくる。尿意なのか、性欲なのか、陰茎が勃起している。むずがゆいが、どうしようもない。
 なんとか午後一時までは我慢した。異常に神経が高ぶっていた。目は冴えに冴えて、到底眠りに逃げることなんて出来なかった。
 義春は尿を寝たままもらした。むしろ三十分も前から積極的にしようとしていたのだが、出なかった。自分の意思に逆らって、膀胱は液体を押し出そうとしなかった。出たときには、尿道に強い痛みを感じた。ほっとしたのも束の間、下半身の生暖かい感触に、何かを失った気がした。酷い羞恥心の衰えが襲う。体だけが、何も出来ない赤子に戻ったような無力感に、陰茎が萎えていく。妻への思いも萎えていく。かわりに憎しみが湧きあがる。体中が震える。いっそ何も考えられない精神の病になってしまえないかとすら思った。
 ひたすら怒りに震え、普段考えつかないほどの悪口雑言をあたりかまわず、わめきちらした。喋ることなら妻にもできる。義春は気づいて、独り言をいう自由を自らに許した。妻はいつもイライラしていた。看護婦や夫に当ることもしょっちゅうだった。今、彼もその行為を知らず知らずになぞっていた。
 ひとしきり言い終えて、義春の声が止まった。午後三時。タバコが吸いたくて吸いたくて仕方がなくなった。怒りは収まっていた。ただ、腹が減っていた。下半身にまとわりつく尿の匂いにむかつきを覚えたが、そう簡単に激情は戻ってこない。
 目と共に頭を冴えてくる。義春は妙に冷静になる自分を感じた。今、午後三時半前。自分の戒めを解く時間まで、八時間を切っている。もう、半日も無いじゃないか、と自分を慰める。ふと思考の隅にひっかかるものがあった。妻は一生そのままだということだ。自分には関係無いと思おうと逃げる声が聞こえた。誰の責任でもないじゃないか、と。あえて言えば、自己責任ではないか、と。自分の責任を他人に押し付けて、何をバカ言いいやがる、といった気持ちが沸き起こる。起きてしまえ、起きてしまえ、俺がそんな責任を負う必要はない。離婚してしまえ、捨ててしまえ、こんな馬鹿げたことは止めてしまえ。
 尿で塗れた下半身が冷えてくる。暖房も入れることはできない。掛け布団を押しのけることもしない。不快感は拭いがたい。眠りたい。眠りたいが、ますます頭が冴えてクルクルと必要以上に回る。たった一日放置されるだけで、こんなにも屈辱感を覚えるものなのか、と義春は他人事のように感じる。
 午後五時。カーテンの切れ間からさし込む日の光が、橙になる。日が暮れることがこんなに希望に思えることは、かつてなかった。彼は自分を誉めてやりたくなった。急に空腹感が耐えがたくなる。無性に何かに誤りたくなる。
 義春は気がつくと、すまん、すまん、ごめん、誤るから、としきりに繰り返していた。次第に涙声になる。大声で泣き始める。プライドが無くなっていく。そうしていると、不思議と空腹感がなくなった。
 いつのまにか、寝ていた。部屋の中はほぼ暗闇になり、テレビの上のデジタル時計だけが、ぽっかり浮かびあがっていた。午後十時。
 すっかり冷えた下半身はもう感覚がない。寒くて仕方がないというのはこういうことなのだ、と義春は初めて感じた気がした。体の震えは感情を無視して収まらない。あと一時間、もう何も考えまいと思った。空腹感はすでになく、タバコを吸いたいとも思わなかった。全てがどうでもいいと感じた。妻という存在も何だかわからなくなった。あっという間に一時間が過ぎた。
 義春はあっけなく体を起こした。自分の意志でそうしていたのだから当たり前だ。たった一日で後遺症など出てこない。それでも体の節々に痛むところがあった。習慣になったタバコを吸う。言いようのない快感と安らぎを感じる。自分が生きた人間の世界に戻ってきたのだという実感が湧く。妻のことなど頭に回らない。軽く頭が麻痺していた。一服したあと、下半身の違和感に気づき、風呂に入らなければと思った。
 何度か、立ちあがろうとして、転んだ。足が寒さで痺れていた。這いずって服を脱ぎ、浴槽に倒れ込んだ。湯を張る余裕などなく、シャワーで体を洗い流した。急に腹が鳴りだし、刺すような痛みが走った。ド派手な放屁が浴室に響く。我慢する間もなく、大便が浴槽を詰まらせた。
 風呂から上がり、着替えてから、義春は浴槽の掃除を始めた。風呂掃除などしたのは何年ぶりだろう。今日汚す前まででも、十分に浴槽は水垢にまみれていた。部屋の中からも、尿の匂いが流れてくる。
 涙が出た。義春は掃除しながら、しばらくはそのことに気づかなかった。シャワーの水はねだろうぐらいに考えて、何度か鬱陶しそうに淡々と頬を拭った。腹が減ってたまらなかったのを思い出した。
 深夜三時になっていた。部屋を換気して、何とか異臭は薄まった。自転車に乗って、コンビニに行った。
 義春の気分は晴れ晴れとしていた。明日は日曜日である。妻の見舞いに行こうと思った。いままでよりもっと優しく接することができるのではないか、と素直に思えた。妻の責任の一部を自分も共有できたと思えた。
 コンビニ弁当を食べながら、新婚旅行の時のDVDを見た。食い物の味は、あれほど欲していたにも関わらず、あまり分からなかった。妻は、義春にカメラを向けられて少し迷惑そうな顔をしていた。義春には自分のはしゃぐ声が、微笑ましく感じられた。妻が怒ってカメラを奪い取り、自分の姿が画面に映し出された。彼女の低い笑い声が大きく聞こえる。義春は満面の笑みで、目を泳がせていた。風が拭き、レンズの前に彼女の長い髪がかかった。
 明日、義春は妻に提案しようと思っていた。もちろん、彼女の体との相談もあるから、一概には言えないが、やるだけやってみようと、積極的になれていた。今の自分は彼女に一歩近づいているという慢心だったのかもしれない。
 子供を作らないか?
 妻はどう答えてくれるだろうか?
 義春はテーブルに突っ伏して、また眠った。
 ビデオの中から彼女が言った。
「がんばろうね、なんとかなるよ」







  エントリ6 おとなりの英雄さん ごんぱち


 お隣の国立さんの家の玄関の前に、大きなバッグが置いてあった。
 薄い黄土色というか、砂漠の砂色というか、そんなバッグ。薄汚れて大きい。でも、この家でこんなのを使う人って言ったら――。
「おっ、麻紀ちゃん、久し振り」
「にーさん!?」
 玄関ドアから、バッグを取りに出てきたのは、祥一にーさんだった。
「あっ、わっわっわっ、どうして、ど、ど、どどどどど、どうして?」
「細かい事は話せないけど、一時帰還命令が出たんだよ」
 静かに祥一にーさんは笑った。
「そうなんだ」
「麻紀ちゃんは部活の帰り?」
「うん。剣道部入ったんだよ。レギュラーになれそうなんだから」
「そっか、もうそろそろ中学二年生だもんね」
「そーだよ」
 そこまで返事をしたところで、あたしは自分の制服と、かついでいる竹刀と、その他モロモロが、えらく汗臭い事を思い出した。
「それでさ――」
「あっ、ご、ごめん、にーさん。ちょっと、急ぐんだった!」
「そっか、引き留めて悪かったね」
「まだ、こっちにいるんでしょ?」
「……うん、しばらくは、家にいると思うよ」

「パーティー?」
 朝ご飯を食べていたあたしの手が止まる。
「そ。自治会で決まったのよ」
 お母さんが、食器を片付けながら応える。
「そんな大ごとに?」
「そりゃそうでしょう。祥一君は、アミリア市の作戦に参加した英雄さんよ?」
「英雄……」
 目玉焼きを折り畳みながら、あたしは首を傾げる。
 英雄、英雄……。
 英雄ってぇと、ゲームとかに出て来る言葉ってイメージがあって、どう考えても祥一にーさんに付ける言葉じゃあない。
「それで、アミリア市ってどこだっけ?」
「アジファラートの前の首都でしょう。祥一君が派兵された時には、よく地図見てたくせに、あんた地理全然ダメねぇ」
「地名って難しくて覚えられないんだもん」
「難しい事ないでしょ。アミリア市はトグルク・アムにちなんで、アム−イリアでアミリアよ」
「トグルク・アムって誰?」
「あんたねぇ……」
 呆れ顔に腹が立つ。分からんから聞いてるんでしょーが。
「アジファラートの元首相でしょうが。五年前に暗殺された」
「知らないよ、その頃まだ八歳とかそんなだもん」
「その頃だって、大ニュースだったわよ。不死身の男が暗殺されたって」
 ……不死身の男ってフレーズは聞いたような。でも、小学校三年生に社会情勢に対する記憶力を求められても困る。
「とにかく、パーティーであんまり恥ずかしい事言ってると、祥一君も気を悪くするわよ」

「へーんだ、祥一にーさんは、そんな事で怒るような人じゃないよーだ」
 呟きながら、あたしは中学の図書室で古い新聞をめくる。
 アジファラートへの治安出動の記事は、いっぱいあった。
 けど、やっぱり読み難い。
「あら珍しい。水沢が勉強をしているわー」
 綱島桜が新聞を覗き込んで来た。
「勉強じゃないけど、別に」
「あなた、学校の課題を片付ける事だけが勉強とでも思ってるの? だからあなたの成績は伸び悩みを見せているのよー」
「どさくさにまぎれて、あたしの成績を批判すなっ!」
「ふむふーむ、アジファラートの記事ね」
「って、人の話きーてないし」
「お目当ては、アミリア作戦かしら?」
「うん、まあ」
「じゃあ、こっちよ」
 綱島は、新聞の一つを取る。
「これが掃討戦に使われた、戦術核の模型写真」
「爆弾とかは別にいいから」
「じゃあこれ。アミリアに出撃する日米連合軍」
「へぇ、これが」
 新聞には、整然と進軍する戦車と兵士の写真が載っていた。兵士は、映画俳優並の顔立ちをしている。戦車の上から顔を出しているのは、美人の女兵士だ。
「この作戦で、アミリア市に潜伏していたテロ組織『ブラーク』の支援者二万人は掃討されて、アジファラート平和活動は、一段落付いたと言われてるわねー」

 コミュニティセンターに作られたパーティー会場は、大々的に飾り付けられていた。
 折り紙の鎖――なんかじゃなくて、生の花がいっぱい。万国旗じゃなくて、日の丸ばっかしのがあっちこっちにぶら下がっている。
 一番前のテーブルには、自衛軍の制服姿の祥一にーさんとその家族。それから何か、偉い人が何人か。
 あたしは、出来れば同じテーブルに付きたかったけど、それも無理なので、ローストビーフとかが置いてあるテーブルの前に陣取った。
「では、これより、国立祥一一曹の戦勝帰還祝賀会を行います。始めに、国立祥一一曹からご挨拶です!」
 マイクを受け取った祥一にーさんは、敬礼をする。それだけで、一斉に拍手と完成が沸き上がる。
「この度は、これほど素晴らしい祝賀会を開いて頂き、まことにありがとうございます。今後とも、愛する我が国のため、何よりご近所の皆様のため、粉骨砕身戦ってまいります」
 ピシリと一礼した。
『がんばれよ、にーちゃん!』
『カッコイイぞ!』
『敵なんか皆殺しにしちまえ!』
『よっ、男前!』
 歓声が上がる。
「続いては、内原市長です」
「ご紹介にあずかりました、内原です。国立祥一一曹が参加した作戦は、非常に危険が伴い、そして同時に多大な効果のあるものでありました。このような作戦で活躍された人間が、わが市の一員である事は、非常に誇りと感動を呼び起こさせるものであり、その勇気、情熱、愛国心は、未来を担う若者そしてその先の未来を担う子供たちが大いに見習うべきもので――」
 なげーよ!
「――私の父親は太平洋戦争で戦死しましたが、大陸で敵スパイを何百人も処刑しました。その愛国心と勇敢さは、立派に受け継がれ――」
 うー、終わらん、もうダメ。
 あたしは腰をかがめ気味にして、会場から出ると、ロビーのソファーの端っこに腰掛け――たと同時に、眠気が押し寄せて来た。

「……ふぁ?」
 目が覚めると、周りは真っ暗だった。
 真っ暗は良いんだけど、何だか揺れてる。
 そんで暑い。
 そもそも体勢がなんだかこう、うつ伏せというかなんというか。
「ああ、目が覚めたね、麻紀ちゃん?」
 祥一にーさんの声がやけに近いところから……。
「どわああっ!」
 ここ、祥一にーさんの背中だよ!
「ずいぶん疲れてたみたいだけど、昨日ちゃんと寝たの?」
 祥一にーさんは優しく尋ねる。背中全体が、声と一緒にビリビリ震えて、身体に染み込むみたい。
「ちょっと部活で疲れて」
「そうか。だったら乗ってな」
 祥一にーさんの背中は、見た目よりもずっとがっしりしていて、あたしをおぶっているのにビクともしない。
「パーティー、主役がいなくていいの?」
「大丈夫大丈夫。僕はお酒弱いから」
「そうなんだ」
 空は暗くて、星は見えなかった。
「のさ」
「なに?」
「英雄なんて、凄いね」
「……英雄、か」
 祥一にーさんは黙り込んだ。
 え?
 何か、怒らせる事言った?
 あたしを十二分に不安にさせた後、ようやく祥一にーさんが次の言葉を言った。
「人を殺したんだよ」
「だって、町に隠れた悪い人をやっつけたんでしょ? 立派なことだよ」
「アミリア市の人口は」
 祥一にーさんの声が、聞き取りにくかった。
「二万人だったんだ」
「全員悪い人だったんだ、怖いね」
「……大丈夫だよ」
 顔は見えなかったけど、祥一にーさんは、笑ったみたいだった。
「麻紀ちゃんは、僕が守ってあげる」

 翌週、祥一にーさんはまた出撃した。そして一年後に戻って来た時には、勲章をいっぱい付けて、とっても楽しそうに、悪い人を何百人もやっつけた話をしてくれた。
 ずっと元気で。
 あたしはとても安心した。







  エントリ7 『ソレの名は』 橘内 潤


 彼女に憑いたソレは「やあ、宇宙人だよ」と名乗った。
 地球から遠くはなれた星で名うての女結婚詐欺師だったソレは、当局に追われて星系外に高飛びしたはいいけれど、船が壊れて地球に不時着。船も身体も傷ついて、治すのに時間がかかる。その間、原住民に精神だけ取り憑つかせて退屈しのぎをするのだ。
 ――ソレは長々とそう説明してくれた。
 はじめは彼女が唐突に思いついた冗談を言っているのかと思ったけれど、彼女の頭じゃ逆立ちしても解けっこない数学の超難問を五秒で完璧に解いてみせたから、ソレが彼女の作り話じゃなくて本当に別人なのだと信じるに至った。
「ようやく信じたか、愚か者め」
 ソレは彼女が絶対にしない横柄な態度でぼくを見た。
「で、宇宙人さんはどのような暇つぶしをご所望で?」
「それが問題だ。この星にはどんな娯楽がある?」
「娯楽ねえ……」
 漠然とそう言われても難しい。ぼくにとっての娯楽といえば、カメラを片手に自転車を走らせて、変な建物や面白い風景を撮り溜めることだけど、他人にはつまらないことかもしれない。すくなくとも彼女に話して聞かせたときは、
「ふぅん」
 と、これ以上ないくらい完璧に聞き流されたことを覚えている。
 ぼくは彼女の姿をしたソレを見つめて溜息を吐いた。こうして彼女のことを考えると、つい溜息が零れてしまう。彼女はだれにでも微笑みを向けるけれど、人目がないときはとても素気ない。ぼくから告白して付き合い始めて三ヶ月だけど、素気ない彼女でいる時間がどんどん長くなっている気がする。
 不意に、不快色した声がぼくを叩いた。
「いつまでそうして凝視している? わたしの身体でないとはいえ、気色悪いぞ」
「あ、ごめん」
 思わず一歩下がったぼくの背中を、ぼくと同じ学生服を乗せた自転車がベルを鳴らして掠めていった。ぼくと彼女は下校途中のはずだった。べつに手をつなぐでもお喋りするでもなく歩いていたら突然、彼女が立ち止まって「あ」と言い、その後にソレが現れたのだった。
「あ」
 彼女の口がまたその一文字を発した。
「今度はなんでしょう、宇宙人さん」
「宇宙人……?」
 怪訝そうに眉を顰めたソレに、ぼくは溜息混じりに聞き返した。
「宇宙人なんでしょ? え、違うの?」
「……わたしのバカさ加減は地球人レベルじゃない、とでも言いたいわけ?」
 不機嫌。不快。気分悪い――彼女の顔はそう言っていた。ぼくはようやく気がついた。さっきまでの尊大で横柄な雰囲気がいつの間にか消えていたことに。
「あの、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
 ぼくはできる限りへりくだって聞いてみた。
「――ふぅん。あなたは自分から告白して付き合いだした相手の名前も忘れちゃったのね」
 最悪。最低。信じられない、消えて――彼女の目がそう言っている。かなり怖い。正直、足がぶるっと震えた。過剰なまでに愛想がいいか、眠ってるみたいに無愛想かどっちかの彼女が怒っているのを、ぼくは初めて見た。もしもこの瞬間に別れてしまわずに済んだなら、今日という日をふたりの記念日に加えよう。
 ついうっかり、そんなことを考えていたのがいけなかった。
「黙ってないで何とか言いなさい!!」
 彼女の怒号で下校途中だった下級生が「ごめんなさい、許して!」と泣き叫んで走っていった気がするのは幻覚だろうか否か――はっ、あぶない。また思考の一軒家に引き篭もってしまうところだった。
 ぼくは弁解を試みる。
「いや、その、まあ」
「……」
 蛇の目で睨まれた。蛙のぼくは脂汗がだらだら。舌の根が張りついて動かない。瞳孔が収縮して血管が広がる。心臓のポンプが大活躍して震える筋肉に酸素を運ぶ。
「ふぅん、言い訳もしないんだ」
 冷たく濡れた蛇の舌がぼくの首筋を舐めた。もうだめだ――ぼくが破局を覚悟したとき、三度目のそれが起きた。
「あ」
 小さく仰け反った彼女は、大きく息を吐いた。
「まさか精神支配に抗して消えずにいたとは……未開の部族と侮っていたぞ」
「……宇宙人?」
「それはもう先ほど話しただろうが。貴様はクンドゥアレか?」
 クンドゥアレが何かはわからなかったが、たぶん鶏みないな生物だろう。どうやら今の彼女は、彼女じゃなくてソレに戻ったようだ。いや戻るというのは間違いで、再びソレになった、と言うべきか。
「ぶつぶつうるさい。言いたいことがあるなら複式呼吸で滑舌よく発言しろ」
 怒った彼女に比べたら、ソレの言動もまだ可愛げがある気がする。いや、そんな感想よりも聞くべきことがある。
「ねえ宇宙人さん、いま精神支配って言いましたよね。しかも、“普通は元の人格が消えちゃうもの”みたいなニュアンスに聞こえたんだけど、聞き間違いですよね。ね?」
「ほぅ。クンドゥアレよりはマシな脳味噌のようだ」
 ソレは皮肉を言っても否定はしなかった。つまり彼女の非常事態だ。怒った彼女は筆舌に尽くしがたいほど恐かったけれど、やっぱり好きだ。何とかしないと。
「宇宙人さん、提案だ」
「なんだ? 特別に聞いてやろう」
「彼女が消えたら、ぼくは生きていけないから、彼女の代りにぼくに取り憑け」
「そうしたら貴様の精神が消えてしまうのだから、同じこと。意味のない提案ゆえに却下だ」
 即答された。ソレの目がぼくを嘲笑した。ムカついた。
「じゃあ言い方をかえる。彼女が消えてしまうのは嫌だから、ぼくに取り憑け」
「ふむ……」
 ソレは、今度は考える素振りをしてから鷹揚に頷いた。
「よかろう。この女の強靭な精神に免じて、望み通りにしてやろう。いくぞ」
「いきなり!?」
 言い終わるや否や目を閉じたソレに、ぼくは慌てた。覚悟を決めたといっても、これは不意打ちだ。心の準備が終わらないまま、ぎゅっと目を瞑ってソレが心の中に入ってくるのを待った。ああ、どうせ消えてしまうのならお年玉を貯金するんじゃなかった――。
「……?」
 いつまでたっても何も起きないので目を開けてみると、ソレが狼狽した顔で立ち尽くしていた。ぼくの視線に気づいたソレは、さっきまでの尊大さはどこへやら、生まれたての仔猫のような目で見つめてきた。
「あのね、あのね……戻れなくなっちゃった。えへ」
 可愛らしく小首を傾げたソレに、ぼくはソレ本人の言葉を思い出していた。“名うての女結婚詐欺師だった”という自慢話を。
 それからソレは身振り手振りに涙まで交えて、要約すれば「あたしを助けて」という趣旨の独演会をはじめ、最後はぼくの腕に縋りつくことで締めくくった。彼女が絶対にしてこない甘え方に、頬が緩むどころか引き攣った。
 彼女ひとりにさえ振り回されているというのに、これ以上厄介な特典なんていらない。のだけれど、ソレを見捨てることはできない選択だ。なぜなら、ソレが取り憑いているのは他でもない彼女なのだから。
「きみを助ける代りに、とりあえず二つ条件がある」
「何でも言って。あなたが望むならあたし、この身体を差し上げてもいいわ」
「きみの身体じゃないでしょ。条件その一、今みたいな言動は慎んで彼女の身体を大事にすること」
「勿論よ。あたしとこの子、一心同体だもん。もう一つは何?」
「きみの名前を教えてほしい。ずっと宇宙人さんやソレじゃ呼びにくいんで」
「いいわ――あたしの名前はリスィールよ」
 ソレ改めリスィールは花咲くように微笑んだ。

 リスィールが“嘘”という意味だと知ったのは、だいぶ後になってからからのことだった。