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3000字小説バトル

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3000字小説バトル
第73回バトル 作品

参加作品一覧

(2007年 1月)
文字数
1
つぶ丸
3000
2
とむOK
3000
3
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん
4
ごんぱち
3000

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一郎のブルース
つぶ丸

 プーピー プーピー プピプピ プー

 木枯らし吹く中、一郎は公園のベンチに独り腰掛け、ブルースハープを奏でていた。
 紺色のGパン、白地に赤の横縞の入った長袖シャツ、首には生成のマフラー、七三分けの前髪がサマになっていた。

 プーピー プーピー プピプピ プー

 一郎の左肩にスポットライトが灯った。
「冬至なのね」
 ミス・ウィンクヴェイルが言った。
「聖誕祭が来たということさ」
「あなたのお友達の弥次郎さんが、亡くなったんですって?」
「うん……。まあ、癌でね」
「あらまあ。あの方、お医者さまだったのでしょう?」
「金には困ってなかったから、最新の医薬はもとより、栄養をつけるんだって言って、漢方だとか世界中の滋養物を片っ端から取り寄せて食べまくってたね」
「そのくせ死んだの? 情けないわね」
「そのくせ──なのか、そのせいで──なのか、どっちなのだろう?」
「何も食べなきゃ、そもそも病気になんてならずに済むのにね」
 一郎は白い歯を見せてフッと笑った。

 プーピー プーピー プピプピ プー

「ミス・ウィンク──」
 一郎がそう呼びかけると、ミス・ウィンクヴェイルは口を尖らせた。
 彼女はフランス風に「マドモアゼール・ウィンヴェーユ」と呼ばれたがっていたのだが、一郎から見たら彼女は典型的なアイリッシュにしか見えなかった。
「独裁者のために経済が麻痺していて、国民が飢餓に苦しんでいる国のことを聞いたことがあるかい?」
「あまり聞かないわね。わたし観光旅行にはほとんど興味ないのよ」
「──その国にね、周りの国で食糧なんかを援助したりしたわけさ」
「そしたら、どうなったの?」
「独裁者たちが、腕ずくで食糧を独占した。国民は飢えてますます元気をなくし反抗する気力もない。独裁者たちは飢えてないから、余計にやりたい放題のさばるわけさ」
「だから、何も食べなきゃ、病気にならないのよ。お馬鹿さんね、人間て」
「馬鹿なのか、わざとやってるのか……」
「誰が?」
「周りの援助する国がね」
「助けたいわけじゃないの?」
「本当はそうなのかもしれない。助けるふりして、わざと癌細胞に栄養をガンガン与えて、病気をむしろ悪化させてやるのさ」
「死ぬわよ」
「死んだよ。──弥次郎は」
「……食べなきゃいいのよ」
「そう。癌を治すには、医薬は要らない、栄養も要らないのさ。《兵糧攻め》にすればいい。そうすれば、増殖活動が旺盛な癌細胞ほど、真っ先に飢え死にする」
「弥次郎さんに教えてあげればよかったのに」
「聞きやしなかったよ」
「どうして?」
「医者だから」
 一郎はフッと寂しげに笑った。

 プーピー プーピー プピプピ プー
 ジャラン……

「まあ。──がさつな音色だこと」
 ミス・ウィンクヴェイルは眉をひそめると、姿を消した。

 プーピー プー……
 ジャラン ンッジャジャ ジャン!

 一郎がブルースハープを吹くのをやめて顔を上げると、そこにはポンチョにソンブレロをかぶり、スパニッシュギターを脇に抱えた顔も眉毛も濃い男が立っていた。
「甚平」
 甚平と呼ばれた男は、ベンチに片足をかけ、片手を顎にかけてポーズを決めた。
「相変わらず独りでハーモニカ吹いてやがるか、え? 一郎」
「《流し》に行くところかい?」
「まあな。お前も一度、一緒に流してみねぇか? きっとお前なら《流し》の境地に共感できると思ってるんだが」
「遠慮しておく」と、一郎は笑った。
「弥次郎が死んだって聞いたが……」
「らしいね」
「あの野郎、医者になって金持ちになって、物欲に溺れやがったからな。世間からは先生センセイと仰がれても、当人の頭の中は、豪邸と高級車とキャバクラ嬢を口説くことで一杯だった。あれじゃあ、天罰が当たっても、仕方ないわなぁ……」
 甚平は鼻を指で押さえてすすると、やおらスパニッシュギターを掻き鳴らし始めた。

 ジャンジャカ ジャンジャカ ジャン!

 ヤジローよ
 ヤジローよ
 お前はどこに行ったのか
 木枯らし吹くこの街で、
 俺と一郎は、
 お前をしのんで
 泣いている。
 心の中で
 泣いている。

 ジャジャジャン ンジャッジャ ジャラン……

「それはそうと──」一郎は、甚平の横面に赤い筋が残っているのに気が付いて言った。
「ん? 野暮な話はなしにしようぜ、一郎よ」
「甚平。また女と喧嘩したのか?」
「女だとか、猫だとか、野暮な話はよそうぜって今言ったそばから……」と、甚平はがっくりと頭を垂れた。「──別れたよ」
「そっか……」
「そっか──って、ヤケに素っ気ない反応だな」
「そりゃあ、今まで五人も六人もそういうことを繰り返してる甚平だからな」
「女に音楽は理解できねえんだ! もう俺は次から『あんたのフォーク魂に惚れたわ』なんてこと言って寄ってくる女は相手にしねえ。ミュージシャンは孤独だ!」
「甚平。そろそろギターやめた方がいいぞ」
「は!? 突然何を!」
「音楽をやめるというわけじゃなくて、ギターをやめる」
「ギターをやめて、ハーモニカでもやれってか? かーっ!」
「弦鳴楽器は、人を孤独にする……」
「何じゃ? そりゃ」
「ギターのような弦鳴楽器は、自己と向き合うための楽器であって、他人に聴かせるためのものじゃないそうだ」
「フン。けっこう結構コケコッコウ! ギタリストは孤独さ。あーあ、一郎よ、お前とは孤独を分かち合える者同士だと思っていたんだがな。もういい、流してくる!」
 甚平は憤然とポンチョを翻し、駅前の方角に向かって去っていった。

 プーピー プーピー プピプピ プー

 ブルースハープを奏でる一郎の左肩に、再びスポットライトが戻ってきた。
「やっと行ったわね。デリカシーのない男」
「あれでも人間の中では良い奴さ」
「人間の中では──ね」
 ミス・ウィンクヴェイルはさも興味なさそうに言った。
「ミス、……ウィンヴェーユ」
 『ミス』──と聞いたとき、ミス・ウィンクヴェイルは口を尖らせかけたが、『ウィンヴェーユ』と一郎が呼んでくれたので、許容したようだった。
「なあに?」
「これからどこかに行くのかい?」
「まあ、どうしてわかったの?」
「君が僕に会いに来るのは、いつもどこかに出かけるときだからさ」
「あら、そうだったかしら」
 ミス・ウィンクヴェイルは唇に細い指をあてて考える仕草をした。
「わたし、一郎さんがブルースハープを奏でるときは、世界のどこにいてもその音色を聞くことができるのよ」
「そう……」
 一郎はやさしく微笑んだ。
「──そうそう、わたしがどこに出かけるかってことよね。これから崑崙に行くのよ。西王母のおばさまの所にね」
「そうかい」
「あなたも来ない? おばさま、一郎さんに興味があるみたい」
 一郎は首を振った。「崑崙なんて、人間には用のない所さ」
「そう。それは残念」
「……」
 二人の目は遠くを眺めていた。
「わたし、わたしが人間だったとしたら、きっと一郎さんの妻になってたわね」
 一郎の顔に一瞬、寂しそうな色が浮かんだ。
「君は何も憶えていないんだね」
「え? そうかしら」
「いや、だからこそ、それでいいんだけど」
「過去に束縛されるのは、人間の悪い癖よ」
「そう。まあ、そういうこった」
 一郎は笑った。
「じゃあね。わたしもう行くわ」
「じゃあ」
 一郎が手を振ると、ミス・ウィンクヴェイルは光の粒となり、西の方角に向かって飛び去って行った。
 一郎は立ち上がり、ブルースハープをお尻のポケットに入れる。
 一陣の木枯らしがその姿を掻き消した。
一郎のブルース つぶ丸

TROPiCAL prayER
とむOK

 肉厚な植物の芳香を吸った匂いの強い湿気が、一歩進むごとに肌にまとわりつく。とめどなく流れる汗からも苦い葉の匂いがしている。樹々ははるか上空を覆い、午後なのに辺りは薄暗い。予定ではもう着いて良いはずだが、村の影はおろか人の住んだ形跡すら見かけない。
 雨季を終えた森は、熱に浮かされたような濃密な呼吸とともに、水を大気に還元し続けている。

 正午にさしかかる頃、目指す森を前にして運転手は身振りで男に降りろ、と示した。
 安っぽい日本製の大衆車は、生産されて何十年も経った異国の地で、日本人の会社員である男を密林の入り口まで運んだ。男が降りると、車は錆だらけのへこんだボディをメヒルギの群生に擦りつけるようにUターンし、排気管から黒煙を上げて再び泥道を去っていった。
 男はスーツの上着を抱え直した。湿気を吐きつけながら曲がって伸びる樹々の間に、人の通った痕跡らしき筋を見つけて男は歩き始める。
 彼の生まれた村までは、歩いて三時間。

「伝えて欲しい」
 それが契約の条件だった。
「帰れない、と」
 広大な社長室に通された男は、世界に冠たるコングロマリットを一代で築き上げた彼が、東洋人としても小柄な方であることに少し驚いた。ファクスからは彼のサインを待つ書類が絶えず流れ出し、壁一面を占める液晶に映った世界地図では、彼の会社が世界の各地で行う取引の収支を示す数字が、音も立てずに踊っていた。ここに世界がある、という感想は独創的ではないが、一つの確かな現実だった。今回の契約によって、男の会社で開発された次世代集積回路が彼の複数の企業に採用され、幾つかの地点の数字がまた少し踊るのだ。
「だが、夢なのでしょう」
 男は言った。彼の浅黒い肌を穿った大きな瞳と厚い唇からは何の感情も伝わって来ない。
 お告げがあった、と彼は言った。夢に族長が現れ、村に戻るよう告げたのだと。そして村に帰らねば、大きな禍がこの天地に訪れるとも。彼の曾祖父でもある族長は、百年も昔から偉大なるシャーマンであり、今もそうあり続ける。その族長の言葉だという。彼は整った白い眉を少しも動かさずに首を振った。
「私は曾祖父の夢に入れない」

 堯々、と何処かで鳥が鮮やかに啼いた。
 数十メートルの高さに霞む樹冠で、何か大きな動物の渡る音がした。おそらく猿の類だろう。フタバガキ科の植物が、途中の枝に絡め取られなかった葉を一枚、男の往く足先に標のように落とした。
 アタッシュケースをどこかへ置いて来てしまった。ずいぶん前に上着も捨ててしまっていた。帰りに拾うつもりだったような気がするけれど、どうやらそれはできそうになかった。韓国製のアタッシュケース、中国製のスーツ。台湾製のモバイルノート。暑さと湿気のせいかひどく体がだるくて、それらはあまりに重かった。
 男のいる会社は決して大きくはないが、生産する集積回路のチップは世界でも有数の性能を誇っている。増加し続ける情報を高速で処理するため、研究部はより高性能なチップを次々と生み出す。新たなチップはTVゲームから核ミサイルまであらゆる電子回路に組み込まれ、そのたびにゲームはますますリアルになり、ミサイルはより正確に目標を破壊する。そんなことを何十年も続けていた。
 彼の巨大な財閥でも、やはり何十年もゲームやミサイルが造られていた。彼の自伝では、村を出た彼は初めに鉱夫になったという。彼の持つ最も古い会社は、今でも世界中で地面を掘り返している。長く鋭い槍を持つ巨大な掘削機械で岩盤を穿つと、蟻のように無数の鉱夫が深い底に送り込まれて一握りの希土金属を含む大量の土砂を運び出す。槍の制御盤にも新製品が使われる予定だ。新しい回路を得た新しい槍は世界のあちこちに運ばれ、より力強く、確実に大地を削ってゆくだろう。これまで何十年もそうしてきたように。それはまるで世界の始まりから定められていたように確かな事実である。男はそう思った。
 ガジュマルに似た樹が、海面から伸び上がった蛸のように、自分の背より高いところから太く曲がった根を泥に差し込んでいた。根を避けて進むと、腐食したドラム缶が何本も泥の中に沈んでいた。放置されてどれだけの時間がたったのか、色あせた黄色の張り紙に書かれた文字はかすれていた。ひどい金属臭が鼻をつき、全身から汗が噴き出した。
 幾つかの樹はドラム缶を抱え込んだまま成長していた。繰り返される雨季と乾季によって金属は腐り、長い時間をかけて生み出された圧力がドラム缶をねじ曲げ、突き破っている。その辺りの樹は一度立ち枯れて、それからまた枝を伸ばしたようであった。ケロイドのように樹皮はひきつれ、歪んだ枝が太く細く四方へと生長している。
 レディオ。
 張り紙の文字はそう読めた。足を緩めずに進みながら、男は何度も反芻した。
 レディオ。
 お告げがあったのはいつのことだったのか。彼は言わなかった。

 少しだけ空が明るくなって、目の前に突然ニクズクの倒木が現れた。ごく最近のスコールになぎ倒されたらしく、生々しい傷跡に血の色をした独特の樹液が染みていた。根本から森の奥へ向けて濁った川ができていた。巨大な淀みのように、流れのない川だった。
 その畔で、男は少女の姿を見た。
 空高く弧を描いたニクズクの根の一つに少女は座っていた。妊婦のようにゆるい長衣を着ている。小柄な肢体に長衣のサイズは合っていない。袖のない薄い生地から痩せた脇腹がのぞいて、むき出しの腕も足もニクズクの樹液で赤く染まっている。
 少女はいびつな形をした金色の果実を齧っていた。
 男はニクズクの根を登り、少女に近づいた。汗と泥に汚れた男に顔を寄せて少女は接吻する。口の中の軟らかい実が男の舌にねっとりと絡みつき、唇の間からこぼれた蜜が肉の薄い浅黒い胸元に滴る。崩れるほどに熟した熱帯の没薬。少女の痩せ細った腕を流れる赤い液体はニクズクの樹液ではなかった。あちこちの小さな傷から少女は血を流し続けているのだ。男の頬をぬるい水が流れた。甘い果実の匂いと、血の匂い、そしてぬるい水の匂い。
「帰れない」
 男は言う。それが彼の伝言だ。それは彼の伝言だったはずだ。
 帰りたいの? 少女が口を開く。男に少女の言葉はわからない。声を聞いたのかすら定かではない。唇が、瞳が、そう尋ねたような気がした。男にはわからない。男はただ、ここまで来てしまっただけだ。彼との契約で。腐食したドラム缶を踏み、歪んで立ち枯れた根をくぐって。スーツも、アタッシュケースも、パソコンも、今頃は旺盛な植物に絡め取られているだろう。連綿と続くあらゆる生の営みを、森はそのまま受け容れ、枝を伸ばし葉を繁らせる。それは世界の始まりから定められている確かな事実であり、この世界の姿そのものであった。
 男は少女に跪き、痩せた腹の上に顔を乗せた。少女が男の頭を抱いた。堯、とまた何処からか鳥の声がする。堯。堯。幾度も幾度も、鐘のように。上空で飽和した水は無限に続くコーラスのように樹幹を流れ、樹皮を削り、葉を打ち鳴らしながらやがて穢れた川にそそいでゆく。
 腹に押しつけた男の耳に少女の心音が届いた。か細い心音は男のそれと異なるリズムで響く。交じり合わぬまま、同じ耳の中で少女と男は鼓動を刻み続ける。ぬるい水が男の頬を絶え間なく濡らす。一切が溶け合い、甘く苦い匂いが乳香のように男を濃く包み込んでいた。
TROPiCAL prayER とむOK

(本作品は掲載を終了しました)

非国民一代男
ごんぱち

 公民館に『住民無料健康診断』の看板が掲げられる。
 四谷京作が中に入ると、私服だが明らかに軍人というひげ面の男が、受付をしていた。
「あの、これ」
 受付葉書を、四谷は受付に差し出す。
「うむ、活躍を期待しているぞ」
「……徴兵前の健康診断、ですよね? 結果次第では」
「心配には及ばん」
 男は爽やかに笑う。
「お国を守ろうとする大和魂さえあれば、腕の一本、内臓の一つなくなっていても歓迎するぞ!」
 四谷は曖昧な笑顔を浮かべる。
「お前も早く立派な超巨大日本帝国軍人になって、アメリカ大教国正義推進猛烈軍と一緒に、アメダバ帝国主義民主人民共和連合王国の連中を軍属民間問わず一人残さず殺し尽くし、地上に平和を取り戻そうではないか!」
 言って、男はじろりと四谷を睨んだ。
「まさかお前、徴兵を嫌がっているのではあるまいな?」
「な、ななな、ないないない、そんな事はナハアイですよホオ?」

 茨城前線練兵場で、四谷たちの訓練が始まった。
「遅れるな! 足が遅いと攻撃にも防御にも間に合わんぞ!」
 竹刀を持った教官が駆け足をする四谷たちを追い回す。
「痛いっ、痛いっ痛いって!」
 四谷たちは、ばしばし頭を叩かれるが、疲れ切った足はそれ以上早くは動かない。
「オラオラオラオラ!」
「痛いからっ!」
 四谷の頭は割れ、血が噴き出している。
「貴様の大和魂はそんなものか!」
「ひぃぃぃ!」
 殴られ過ぎて、訓練兵の有坂在視が倒れる。
「サボるとはけしからん!」
 教官は、倒れた有坂にヤクザキックを連発する。鋲の付いた軍靴に蹴られる度、有坂の身体が変形していく。
「貴様、ワシが好きでこんな事をやっていると思っているのか! これは愛国の鞭なのだ!」
「軍曹殿!」
 血まみれの肉塊のようになった有坂は、ゆっくりと立ち上がる。蹴り壊された骨が、脇腹からはみ出している。
「感動致しました、自分の大和魂が奮い起こされました!」
「うむ、分かってくれて嬉しいぞ!」
 教官は涙を、有坂は血と内臓をズルズルと流しながら、抱き合った。

 訓練が終わり、四谷たちは宿舎の十二段ベッドの間にもぐりこむ。
「……うーむ、動けない」
 パン焼きの棚のように狭いベッドは、寝返りはおろか身じろぎ一つ出来ない。
「しかし死んでも頑張るなんて、お前凄いなぁ」
「いやぁ、ネットで調べたブードゥーの『死んだらゾンビになる術』を使っておいたんだ」
「へー、オレはてっきり、精神で頑張ってるのかと思った」
「今時、精神論なんて流行らないっつーの」
 有坂は苦笑する。
「しかし、オレはゾンビにはあんまりなりたくないなぁ、そもそも戦闘に巻き込まれたくないし」
 寝返りも打てないので、四谷は肩をすくめる。
「おれも戦闘は怖いなぁ」

「姿勢を乱すな、馬鹿者!」
 ずらりと整列した訓練兵の一人を、教官が軍刀で真っ二つにする。
 三人ほど斬られた後、楽隊の演奏と共に尾張正道総理大臣が演台上に現れた。癖の強い髪をした、鋭い眼付きの男だった。
「諸君、アメダバは、現在虫の息である。我らがもう一押しすれば、全滅させられる」
 大きな抑揚を付けて、尾張が演説をする。
「奴らも同じ人間である、という論説もあるが! 奴らは我らを殺そうとしている! 殺されるのと殺すのとどちらが良いか! 捕虜になるのと、捕虜にするのとどちらが良いか! カレーとうんこ、どっちを喰うか! 簡単な二択である!」
 歯切れの良い演説に、兵士たちの表情も高揚している。
「元々、アメダバの国名に『アメとか使ってんじゃねえよ』と、文句を付けたアメリカが先制核攻撃をしたのが発端であり、日本はそんな侵略戦争に追随すべきではない、という論説があるが! 今正に、茨城まで攻め込んでいるアメダバに、日本全土を黙って差し出すのが良いか、それともアメダバ領をアメリカと折半するのが良いか! 答えは明白だ!」
 教官は感じ入っているのか、涙を拭いている。
「勝利の為には、アメダバ兵十億、国民四十億を殺せば良いだけである! 日本国民一人が百人づつ殺せば、充分お釣りが来る計算だ、有坂君!」
 手はず通りに有坂が壇上に引っぱり上げられる。
「あ、えーと」
「練度や武器は問題ではない、彼のように大和魂だけで戦いを続ける兵士がいる。皆、彼を見習い、死んでも戦うのだ! そうすれば、神の祝福がある、絶対勝てるのだ!」
 尾張は有坂の手を両手でがっしりと握る。腐り切った手に、尾張の指がめり込んだ。
「この戦いは負けられない、絶対に負けられない戦いなのだ、勝つ為なら死んでもかまわんのだ!」
 怒号のような歓声が、訓練兵たちから沸き上がった。
 ――否。
 砲撃だった。
 前線が突破され、練兵場が戦車の射程に入っていた。

「怯むな突撃しろ!」
 教官が怒鳴りながら、逃げようとする訓練兵を次々にピストルと軍刀で殺していく。
「総理はこちらへ」
 血刀を肩に担ぎながら、教官が尾張に声をかける。
「何を言っている」
 尾張はニヤリと笑って歯を光らせた。
「君たちが命がけで戦っているのに、どうして私一人が逃げ出せようか?」
 秘書が、バックパック型のバッテリーの付いたガトリングガンを尾張に差し出す。
「アメダバの連中、残らずミンチにしてやる!」
「で、ですが、総理が亡くなっては!」
「私は国の礎になるのだ、死ぬ事など怖くはない! 正義は我にあり!」
 尾張はガトリングガンを乱射しながら、突撃していった。

「……あれ、総理じゃないか?」
 塹壕に隠れていた四谷は呟く。
「そうみたいだなぁ」
 有坂は、突撃銃を抱えて応える。
「うわ、戦車が穴だらけになってんぞ」
「あれだな、大和魂がこもってるんだな」
「大和魂ってそういうのなのか?」
 次々に戦車が爆発していく。
「うわっ」
 戦車のカケラと、バラバラになった人体が、四谷たちの塹壕の上に数百も降って来た。
「うひぃぃぃぃぃ!」
「あわわわわわ!」
 四谷と有坂は、突撃銃を捨てて、逃げ始める。
「こらあああっ、敵前逃亡は重罪だぞ!」
 教官が怒鳴って、四谷と有坂に防御用手榴弾を投げまくる。
 手榴弾は爆発し、飛び出した金属片が、他の兵士や、基地の外を通りかかった子供と犬に次々と当たる。
「いっそ、捕虜にでもなった方がマシだ!」
「死にたくねえっ、ゾンビだけど!」
 四谷と有坂が走って、走って、走って、走って、走り抜いた時。
 成層圏から落ちる、一筋の雲が見えた。
 次の瞬間、二テラトン級の水爆が爆発した。

『この勝利は、アメリカ並びに日本の正しさが証明されたものである! 核兵器の使用を批判する者に問おう、戦争に勝利した方が良いか、それとも敗北した方が良かったか!』
 焼け野原に出来た闇市では、売り声に混じってラジオの音が聞こえていた。
「兄さん、良いアメダバ焼きあるよっ!」
 ドラム缶で、肉を炙っていた男が、四谷と有坂に声をかける。
「いや」
「非国民焼きがお好みかい?」
 男は、二つに切られた非国民の赤ん坊を、火にかける。
「あー、違う、文無しでね」
「だったら、そんなとこで立ち止まるんじゃねえよ! この非国民!」
「あんたが呼び止めたんじゃないか」
「そうだそうだっ」
 四谷は頭蓋骨だけになった有坂を頭に載せ、立ち去った。
『これより、日本は、アメリカを助け、アメダバテロリストが大量に逃げ込んでいると占いで出た、オーストラリアに攻撃を開始する。諸君、これもやっぱり負けられない戦いだ!さあみんな、靖国神社で英霊と握手!』