杉田探霊事務所――憑いてるね悩ってるね
ごんぱち
「ごまんえん、かぁ……」
杉田慶子は棚のCDボックス「中田健 深夜ラジオ全集 全五〇巻」を見上げる。ショートカットにスーツ姿で、一見美人OL風だが、襟元や髪型などにどことなく緩さがある。
「買わないんですか、慶子さん?」
隣の伊能清過が尋ねる。顔立ちはかなり整っているが、太い三つ編みにトレーナーという、いかにも公立大学生的な野暮ったい風体をしている。
「あたしの金は、事務所の運転資金でもあるのよ。そう簡単に――」
その時。
「っと、とすみません」
「!」
「あ」
学ラン姿の高校生らしき少年が、遠慮がちに棚に手を伸ばし、「中田健 深夜ラジオ全集」をレジへ持って行ってしまった。
「――べ、別に、聴きたかった訳じゃないんだからね!」
「いい大人が、ツンデレ女学生の真似とかしないで下さい」
「分かってるよ、ジョークだよ」
「だとしたら」
清過は慶子の手に視線を向ける。
「どうして今、音声も聞き取れる強行偵察用のバッタの式さんを折っているんですか?」
折り上がったバッタの折紙が、ぽんっ、と、本物のバッタの姿になって飛んで行った。
自分の部屋に戻った大橋彰は、震える手でCDコンポにCDを入れ。
再生ボタンを押す。
テーマ曲の前奏が流れ始めると。
ヘッドフォン端子にヘッドフォンを接続した。
『スピーカー使え!』
『スピーカーで聴け!』
「うおうっ!?」
バッタの式と――もう一体霊魂が、彰を怒鳴りつけていた。
杉田探偵事務所の応接セットのソファーに、慶子・清過と、彰と霊魂が向かい合わせに座る。
「――つまり、あんた、森里英実さんは」
慶子は霊魂の女、森里英実を指す。
「CD聴きたさに、生き霊になった、と」
『ええ、どうやら』
英実は頷く。
『これもチャンスだし、CDを聴き終わるまで彰君の家に居候させて欲しいな、と』
「断る」
『酷いっ、同居を断るなんて、あんた鬼だよ、鬼嫁だよ!』
「あのな、生き霊が一つ屋根の下ときたら」
彰のこめかみに血管が浮く。
『?』
「その生き霊は、美少女であるべきだろう!」
大きい鼻と口、小さい目、バサバサの髪にジャージ。英実は、嫌悪感までは持たれないが、決して美しいとは言えない姿だった。
『生き霊になるほどの強い想いをそんな理由で!』
「同居を嫌がってるだけだ」
彰は慶子に向き直る。
「英実さんをこの事務所に泊めてやって貰えませんか。CDは、慶子姐さんに貸すんで」
『あ、なるほど。アタシもそれなら。どんなもんでしょう、慶子姐さん?』
「まあ妥当な落としどころだね。CD、あたしも聴きたいし――でもさ」
「はい?」
『はい?』
「……何故に姐さん?」
「それが合う気がしたんで」
『そんな雰囲気だったんで』
数日が過ぎた。
「あー、やっぱり最高だな、中田健」
風呂場の脱衣所で服を脱ぎながら、彰は呟く。
「根っこにある妙なコンプレックスが最高だな」
『そうそう、言葉の一つ一つが臆病とも言える慎重さに満ちていて』
「――って、何食わぬ顔で入りこんでんじゃねえ!」
彰が振り向くとすぐそこに英実がいた。
『でもさ、アタシもてないから、こういうチャンスに男の裸見とかないと』
「お前がもてないのは、多分こういう事をするからだ!」
「――その後、午前〇時ぐらいまで一緒にCD聴いて、帰って行ったんですが」
翌朝、杉田探偵事務所に彰が来ていた。
「二の式の監視網にも引っかからないとなると」
窓から舞い込んで来た蝶の式を、慶子は手に留まらせる。
「『夜間業務』の警官に逮捕された可能性が高いね」
「あのバカ」
彰は頭を抱える。
「あたしは面が割れるとヤバイからサツは無理だけど、あんたが独りででも助けたいっつーなら」
慶子は折紙のシャツおると、本物の警察の制服になった。
「試作品の式だよ。本当にタダの服と一緒だから気を付けて」
「……何でもアリですね、その術」
「一応色々ルールはあんのよ」
書類封筒を小脇に抱えて警察の制服を着た彰が、上鷹野市警察署に入ると同時に。
「おい、お前」
(ば、ばれた?)
ロビーに入るなり、黒いコートに、黒いスーツの男が声をかけてくる。
(いや、一般市民か?)
「八代署の新人か、俺は捜査四課の下田だ」
(刑事だっ。ヤバい、一緒にいるとバレる!)
「大橋です、その、届け物です、届け物」
「ご苦労さん。どこの課だ?」
「地域課へ」
彰は封筒を見せる。
「ならこっちだ」
下田は手招きして、階段へ歩く。
「トイレ寄るんで、ここで」
彰はトイレに入り口を指す。
「そうだな、俺も行っておこう」
(だああっ!)
――トイレから出た彰と下田は一緒に歩く。
「下田さん!」
「あ?」
「会計課にも用事があるのを思い出したので、ここで!」」
「ん、ポケットに領収書が? 奇遇だな、俺も行かねえと」
――また一緒に廊下を歩く。
「会計課、やっぱり僕行かないでOKなので、ここで!」
「領収書かと思ったら、煙草の空き箱か。俺も用がねえや、地域課行こう」
――またまた一緒に廊下を歩く。
「今日は東の方角が悪いので!」
「うわ、東の廊下を黒猫が横切った!」
地域課のドアが近付いて来る。
(こうなったら!)
「あっ!!」
彰は廊下の窓の外を指さした。
「何!?」
下田が指さした方向を向いた瞬間、彰は全力で走って振り切ろうとする。
「こらこら、外出るなよ。生き霊は見えやすいんだぞ」
「がははは、ごめんなさい、ヒマでさぁ」
「のああっ!?」
窓をすり抜けて入って来たのは――英実だった。
「あれ、どしたの彰。昭和の漫画みたいなコケ方して」
私服に戻った彰と英実は、杉田探偵事務所へ歩く。
「心配かけてごめんね」
しゅんとした顔で英実は頭を下げる。
「あの後、映画観たり、ラブホ覗いたり、ホストクラブでポルターガイスト起こしたりしてたんだけど、夜間業務中の下田さんに会って、ヒマならちょっと寄ってけって、つい宿直室で宴会を」
「何一つ同情出来ない理由をよくまあ、いけしゃあしゃあと」
怒り顔の彰は、しかしふっと表情を和らげる。
「まあ、無事で良かったけどさ」
「彰……」
英実は少女漫画のように目をキラキラさせる。
「じゃあ、お詫びのキスを」
「そういうのは、外見の良い婦女子だけに許されるものだ!」
「チッ!」
杉田探偵事務所の居室のラジカセから、最後のCDが取り出される。
「これでおしまい、かな?」
笑い涙を慶子が指で拭う。
「そうですね」
彰はCDのパッケージを確認する。
「天才ですねぇ、中田さん」
満足気に清過は何度も頷く。
『あー、笑った笑った』
英実がため息をついた、その時。
『お?』
英実の姿が、下の方から薄くなり始めた。
「……本当にCDにしか未練ないのな、お前」
少し呆れ顔で、彰は笑う。
『そうみたいだね』
くすっと笑ってから、英実の姿は完全に消えた。
彰が帰った後、慶子は事務所の所長席に座り、ノートパソコンを開く。
応接セットのソファーに腰掛け、清過は夕刊を広げる。
「慶子さん」
「ん?」
「あの二人、本当は――」
「じゃなきゃあの娘、CDが終わった瞬間に消えてるって」
慶子はキーを叩きながら笑う。
「でもそれぐらいの薄い想いってのは、そこら中に溢れてるもんでさ。この後どうにかなるもならないも、巡り合わせ次第でしょ」
「中田健」と書かれた真新しいラベルの付いたMDを、慶子はヘッドフォンステレオに挿入する。
「それなら私たちは」
清過は夕刊をめくる。
「幸せでありますように、とだけ祈っておきましょうか」