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3000字小説バトル

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3000字小説バトル
第74回バトル 作品

参加作品一覧

(2007年 2月)
文字数
1
トキオ
2945
2
3000
3
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん
4
とむOK
3000
5
ごんぱち
3000

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山吹
トキオ

山吹

登場人物 大田道灌 その家来計3名・山小屋の娘・僧 嶽然

1 武蔵国 越生のある鄙びた小屋にて

-戦国時代のある春の日、武将である大田道灌及びその一行が父である大田道真を訪ねる途中、武蔵国の越生近辺に来ている。周辺はひどく寂れて山と林のほか何もない。その道中雲行きが怪しくなり、大雨が降り始めてしまった。-

大田道灌: いや全くもって今日は途中より大雨に見舞われ、さんざんな一日であった。皆の者、とりあえずこの雨をしのぐためどこか探すのじゃ。よいか。

-道灌ら一行は雨しのぎをするため、一軒の古びた山小屋を見つける。-

大田道灌: あれに見えるは一軒の小屋ではないか。これは助かった。あの中にとりあえず逃げ込ませてもらうこととしよう。

家来の者の一人: 殿、しかし時間はそろそろ日暮れにございます。とりあえずどこか宿場に行き着きませぬと、物騒な追剥ぎや不埒な輩に遭遇しないとも限りませぬ。いかがでしょう、もし殿の蓑が一着、あの山小屋の主人から借りられることができれば。これは便利かと思われますが。

大田道灌: そうじゃのう。ひとつ頼んでみることにしよう。

-大田道灌ら一行は鄙びた山小屋の扉をたたく。-

大田道灌:頼もう。雨にあって困っている。

-暫くの時間を経て、二十歳前後の若く美しい娘が姿を現す。-

娘:何事にございましょうか。

大田道灌: 余は大田道灌左衛門大夫である。余の父君をたずねてこの近辺を旅しておるところであるが、このにわか雨に祟られ難儀をしている。すまぬがその方に、箕がひとつあれば貸してはもらえぬかと頼むのだが。

-娘、当惑した様子で奥に入る。-

その家来の者の一人: かかるあばら小屋に娘一人とは奇妙なことに御座います。

その家来の者の一人: 左様。このような辺鄙な地に何ゆえあのような娘が住んでいるので御座ろうか。だれか一緒に住んでいるので御座ろうか。

大田道灌: 左様な無粋なことを聞くまでもないことじゃ。捨ておけい。

-暫くの後、娘は一輪の山吹の花を持って大田道灌一行の前に姿を現す。-

娘: かようなあばら家にあるものは山吹の花一輪のみにございます。

-大田道灌ら一行不機嫌を呈してくる-

その家来の者の一人: この小娘の分際で何を申すか。われら一行は道を急がねばならんのだ。しかもこのような大雨に見舞われ、困るに困りきって、このように我が殿がお前にお頼み申しているのにもかかわらず、山吹の花一輪を持ち出すとはいったい何たるしぐさか。

-娘の表情が白く変化する。-

その家来の者の一人: ええい。この刃のもとに切り捨ててくれようか。

-その家来の者の一人、刀を抜き娘に切りかかろうとする。娘はたじろぎ、震えて無言のまま控えている。大田道灌が入る。-

大田道灌: (家来一行に対して。)まあよい。よいではないか。その方どもも控えるのじゃ。(娘に対して。)わしが頼んだのは箕一着であり、かような山吹ではない。おぬしの家には箕がないと申すののじゃな。どうじゃ申せ。

-娘、無言で控えながら、首を縦に振る。-

大田道灌:そうであろう。わしら一行の者は気が荒く、無粋なところがあり取り乱したところを見せて悪かった。しかしこの大雨だ。すこし雨宿りをさせてもらうというわけにはいかんだろうか。男3人が娘一人住まいに頼むのもなんじゃろうとおもうが。

-娘、無言で控えながら、首を縦に振る。-

* * * * * * * *

-暫くの後、雨は止みはじめる。が・・・-

その家来の者の一人: あの娘は我々を何者とおもうのか、茶一杯くらいのもてなしがあってよかろうはずと思えるのに。少なくとも殿に対して・・

その家来の者の一人: 先ほどからへいつくばってぶるぶると震えているではないか。

その家来の者の一人: 左様。左様。

その家来の者の一人: しかしかわいい娘じゃないか。わしらで手篭めにしてはどうかな。

-その家来の者どもは悪魔のような微笑をもらす。-

大田道灌: 者ども。わしら一行はただの客人に過ぎぬ。つまらぬ考えに染まってはいかん。

* * * * * * * * 

-夜に入り、雨もようやく止んだようである。道灌ら一行も娘の家を離れ宿場に行くときが来た。-

大田道灌: 雨も止んだ。いよいよ出かけるとしよう。娘。世話になったな。それでは、さらばじゃ。

家来たち: さらばじゃ。 

- 道灌 表に侍らせていた馬に乗る。家来一行はそれに続く。娘は相変わらず無言で控えている。娘が差し出した山吹の花一輪は玄関に置かれたままで、道灌ら一行の興味を引かぬまま、土にまみれている。道灌ら一行は漆黒の闇の間に消えてゆく。残されたのは娘一人のみである。-

* * * * * * * * *

2 ある伽藍にて。

-大田道灌、武蔵国越生であった奇妙な物語をある伽藍にて僧都嶽然に語る。-

大田道灌: いやはや、その後もわが家来が行く道を間違えてしまい、宿屋に着いた時刻が丑三つ時となって大変な一日であつた。皆の者、へとへとになってしまった。

嶽然僧都: いかにも。

大田道灌: しかし奇妙な話には御座らぬか。あのような辺鄙な土地に若い娘が一人で住んでいるということが。

嶽然僧都: いかにも。

大田道灌: さらに奇妙なこととして、その娘が山吹の花一輪を持ってきたということだ。一体どうして山吹の花をもってこなければならなかったのか、それがしには皆目見当がつかぬ。ないならばないとはっきり言ってもろうたほうが、それがしの家来をあまり怒らせることもなくて済んだと思うんだが。わしの家来はどうも単刀直入で困る部分もあるんじゃが。あの娘の歯にものの詰まったような言いぷりは、あの地方独特の風習なのか。それとも何か意味があるので御座ろうか。碩学として名高い僧都にひとつ聞いてみようと思い来てみたのだが。どうで御座ろうか。

-僧都暫く考える。-

嶽然僧都: それがしににも釈然としないところがございます。

大田道灌: どういうところだ。

嶽然僧都:「七重八重花は咲けども、山吹の実のひとつだになきぞ悲しき。」という和歌があるということを殿はご存知か。

大田道灌: いや、知らぬ。

嶽然僧都: 後拾遺和歌集にある和歌にございます。どうしてそのような山奥の辺鄙な土地の若い娘に、咄嗟にそのようなことを言うことができたのか。それがしにもよくわかりませぬ。殿が蓑をその娘にお頼みになられたが、きっとその娘も窮していたのでしょう、なき悲しみを山吹の花としてあらわしたかったのでしょう。しかし何と雅な話ではございませぬか。それに対するご家来たちの対処の仕方はなんとも無粋としか言いようがございません。

大田道灌: そうか。そうだったのか。それがしもそれとは知らず悪いことをその娘にしてしまった。

-道灌、縁に出て、伽藍の庭園を眺める。広大な庭には池があり、周りに石垣を廻らせている。池の中心には島が作られており、石垣と島をつなぐ橋があたかもあの世とこの世とをつなぎとめるかのように掛かっている。朱で深紅に塗られた橋は、あたかも天女が羽衣を着けて緩やかに昇天していくようなありさまである。周囲には何百年もわたって育まれてきた松や杉、楓の木などが鬱蒼と茂っている。蛙の声が聞こえるほか、あたりはひっそりとしんとしている-

完 
山吹 トキオ

映倫を無視した同級生は、今

 帰り道、突然の降雪で下校のバスが止まってしまったことがある。西鉄バスの運転手は慇懃無礼な口調で、僕達乗客に一旦停車を通告した。自動開閉ドアを開け、自分だけ先に下りていく。運転手がタイヤにチェーンをつけている間、車内で待つ者も当然いたが、僕は下りて歩くことにした。朝から気温は低かったけれど、雪を見ると余計に寒く感じた。バスの白く濃い排気が埃っぽい雪を舞上げていた。一人バスを降りた僕は、その光景を二度と見られなくなるような錯覚に囚われて、目が離せなくなっていた。
 そして彼女が下りてきた。
「何、固まってんの、気持ち悪い」
 美麗とも不細工とも崩れたアンジェリーナ・ジョリーとも言えない容姿のロングヘアーが言い放った。「固まる」から「凍る」に移行した僕と彼女の信じられない初対面だった。あまり綺麗とはいえないほど大粒の雪の中に浮かぶ彼女は、制服姿の女子高生よりも、アイヌとかエスキモーとかで、アザラシとか熊とかの生肉をナイフでえぐりとって食べている方が似合っているような気がした。
 その後何度か彼女を学校で見かけたが、話すことはなかった。名前も知らない。昨日見たビデオの中では「あきら」と名乗っていた。
 彼女をAVで見た。もちろん、僕は盗撮などしていない。僕は高校生である身分を隠し、自分の普段の行動範囲でない遠くのビデオ店で内心ビクビクしながらエロDVDを購入しただけだ。彼女は進んでノリノリとはいかないまでも、普通に出演していた。
 授業が終わり、遠く海の見える渡り廊下から下を覗くと、「あきら」と目が合った。彼女は人気のない裏庭で煙草を吸っていた。
「何か用?」
 いいえ、という意志を表わすために首を横に振って逃げようとした僕は、一度頭を上げかけて止めた。あると言えばある、というような内容のあまり意味のない返事をした。
「何それ?」
 昨日ビデオの中で見せた艶っぽい笑顔が現実に浮かんだ。さて、どうしたものだろう。全く先の展開が思いつかない。幸い今日は暖かく、彼女の機嫌も良さそうだ。話しを切り出しても不快な思いを与えないかもしれない。いや、そんな単純なものじゃないだろう。分ってはいたけれど、やはり僕は言う、昨日ビデオを見た、と。
「何のビデオ?」
 あきらのビデオ、と。
「あ、お兄ちゃんが持ってた」
 何? 兄が。ソドムか。
「大友克洋よねえ。古いアニメ好きなの? あたしも好き」
 分っている。あきらはいかにも意地の悪そうな笑みを浮かべていた。分ってからかっているに決まってる。
 僕は息を止めて、渡り廊下を突っ切り、階段を降り、裏庭に回って、彼女と対峙した。ちょっと引いている彼女を見て、冷静さを取り戻す。何してるんだ、僕は。
「ねえ、ちょっとホントに何なの?」
 彼女の敵視が痛い。思わず目を伏せる。謝りたくなる。
 彼女が煙草片手に近づいて来る気配が伝わった。
「オドす気?」
 顔に強烈な煙草の匂いが振りかかる。彼女が煙を吹きかけたのだろう。何て、ビッチな行動。思わず昔のプロレスラーばりに片ヒザを着きそうになる。
「この不細工が」
 最悪な状況。思った以上に最悪なシナリオ。ここまで自分を追いつめることになるとは思わなかった。泣きそうになる。何故か、昂奮してくる。自己弁護のための独り言だが、僕は今まで一度も人に不細工などと言われたことがない。多少のニキビはあるが、顔の造作は至って普通、いや偏差値で言うと45ぐらいか。足が笑った。顔も多少ニヤついているかもしれない。怒りが込み上げてくる。
 昨日、君のビデオを買った、と言う内容をどうしても伝えたかった。他の誰にも言えないと思ったから。それ以上でも以下でもないことを思いつく限りの言葉で伝えた。
「そう、お買い上げ、ありがとうございました」
 彼女は言って立ち去ろうとした。僕は彼女の腕をつかんで、煙草をもぎ取った。自分でもよくわからない。その煙草を吸った。焼けたゴムの匂いがした。吐気を堪え、何とか咳込まなかった。彼女はじっと、僕を見ていた。
「筋金入りの変態野郎だね」
 あきらは笑いもせずに言った。彼女は小声で、こんなやつばっかりか、とつぶやいた。彼女の言葉がいちいち脳に突き刺さる。激情が湧いてくる。
「ねえ、変態君、何がしたいの。はっきり言ってよ。お金、欲しいの?」
 付き合ってください、と僕は言った。
「ああ、体?」
 お願いします、と繰り返した。
「いくらで?」
 笑う彼女に、真顔でお金じゃないことをかろうじて伝えた。
「タダはちょっとなぁ…」
 彼女の肩をつかんで揺さぶった。言葉はもう浮かんでこない。同じ言葉を繰り返すしかなかった。純粋な気持ちなのか、性欲なのか、もうどっちがどっちなのかわからない。
「ちょっと、冗談よ。離してよ。大声だすよ」
 彼女が出す、か弱い声に、僕の昂奮は一瞬にして冷めた。立ち尽くす。瞬間、思い出した。最後の切り札があることに。僕は制服の内ポケットからそれを出す。手が震えて、なかなか取り出せない。彼女はもう明らかに怯えていて、身をひるがえし、逃げようとする。その腕をつかむ。大声を出そうとするあきらの口を左手でふさぐ。ポケットから取り出したモノを彼女に突きつけようとして、体のバランスが崩れた。倒れる、と思った。彼女が小さく悲鳴を上げた。這いずって逃げる彼女の肩をつかんで、引き寄せて、見せた。
「…何、それ」
 赤いもの。生徒手帳だった。違う。中身が問題なんだ。手帳を開いて、紙切れを二枚取り出す。
 映画を見に行きませんか。ダメですか。
「ホントに?」
 あきらは笑って、立ちあがり、スカートの砂を払った。わざと僕の顔の上で。
「もっと普通に言えないの?」
 いいんですか。ダメですか。お願いします。ビデオ、捨てますから。誰にも言わないし、忘れます。何だったら、この町のビデオ全部買うし、レンタルのは借りてパクリます。どうしてもダメですか。
 暖かな陽光がまぶしい。空しい。彼女が黙っているからだ。僕が喋りすぎなのか。昂奮はどこへやら、冷たいものが背筋を伝う。
「名前も知らないのに?」
 名前なんか関係ない、と言ってやった。「あきら」で十分だ。
「じゃあ、あたしAV女優なの? あんた、誰なの?」
 名前を言えなかった。
「あたし、多島優季。あんたは?」
 なんか言いたくなかった。
「あたし、付き合う人の名前も教えてもらえないの?」
 彼女は、またね、と言って校舎の角を曲がって行った。砂で汚れた手で自分の頬をこすると、色んな体液がついていた。汚れを制服に擦りつけた。映画のチケットをぐしゃぐしゃに握り込んだ。何に悔しいのか分らないが、泣けてきた。頭上から声がするので、ふと見上げると、何人かの生徒が笑いながら僕を見ていた。男子も女子もいた。口々に「がんばれ」とか「めげるな」とか「よかったよ」とか言っていた。僕はそいつらに罵声を浴びせた。だけど、春めいた太陽の光のせいなのか、本当はそんなに腹が立っていなかった。どこか暖かかった。体のどこかが。以前よりもずっと。

 最後の彼女の言葉が優しかったような気がしません? まだチャンスはあるだろうかって当時の僕は思ってたな。あると思う人、手を上げて。多いのかな、少ないのかな。
 答えを言うと、まあ、友達にはなれました。今だにあの時のことは言われますが。あんたは昔から割りと卑怯だったって。彼女は今、二児のお母さんです。
映倫を無視した同級生は、今 葱

(本作品は掲載を終了しました)

軌跡
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 仕事帰りに立ち寄ったコンビニを缶コーヒー片手に出ると、きんと冷えた夜気に骨の奥がひりっと締まった。そんな風に無防備な子ども時代の心に引き戻される時、僕が思い出すのは決まって叔父のことだった。
 叔父と時間を過ごしたのは僕が小学校を卒業する前のほんの一時期だけだった。三十過ぎて独身の叔父は父よりも年上なのに随分と若く見え、ひとりっ子だった僕は年の離れた兄弟のように慕っていた。その頃叔父は天体写真に凝っていた。僕は週末になると慌しく夕食を済ませ、走って五分の叔父のアパートに向かい、カメラと三脚を担いだ叔父の後をくっついて近所の公園へ出かけていった。ジーンズにダッフルコートで、長めの前髪をおろしている叔父の姿は、まだ大学生と言っても通用しそうだった。
 とっくの昔に遊ばなくなった小さな公園だったけれど、色あせた昼間とは空気からして違っていた。片隅にたった一つある街灯の下だけがほのかに光り、そのあたりを除いて後はいちめんに影が覆う。どの遊具も黒々と静止している。小さな滑り台の階段は、手すりの青ペンキが指に触れるだけでぱりぱりと落ちた。上まで登って錆びた柵の間から星空に向かって息を吸うと、肺の底がしんと凍るようでとても神秘的だった。僕は南の空を指差して、オリオンダイセイウン、とつぶやく。勇者オリオンは冬の天空で大きな長方形を象り、腰帯に白く並ぶ星は「三つ星」と呼ばれる。これに対してオリオン大星雲は腰布の真ん中あたりで縦に三つ並んだ星のように見えるので「小三つ星」と呼ばれる。とてもささやかな隊列である。都心に近い住宅地は街の灯で空が明るく、オリオン大星雲はとても寒く澄んだ夜にだけ肉眼でやっと見える。図鑑で見た大星雲は黒々と浮き出た巨馬の頭を戴いた雄大な紅いガス星雲だった。天空の小さな隊列が叔父のカメラを透過してつややかな平面に投影される時には、無数の星に彩られた紅い宝石となって手のひらで輝く。そんな風に堂々たる姿が叔父の技によって写し出されるのだと思っていた。
 だが実際は、決して図鑑のようにはならないのだ。オリオン大星雲をそんな風に撮るためには望遠鏡にカメラを取りつけて、西へ駆けてゆく勇者を自動追尾装置で追いかけなければならないのだ。叔父のカメラは50ミリの標準レンズがついたごく普通の光学一眼レフだった。それを知ったのは最初に叔父が写真を見せてくれた時だった。
 公園の真ん中でカメラを三脚に固定し、叔父は大きなレンズをぐいと空に向ける。ファインダーを何度も覗き込み、構図が決まるとシャッターボタンに取りつけた三十センチくらいの銀色の細い縄(レリーズと言うそうだ)の先についたスイッチを押し込む。シャッターを開け放しにするためだ。シャッターが開いて閉じる「しゃくん」という音の前半分くらいの「しゃっ」という音がして、カメラが星空を写し始めると、レンズの中をゆっくり西へ移動する星々は、ネガフィルムの上で幾つもの黒い軌跡になる。出来上がる写真は天球上を移動する星々の白っぽい弓形の軌跡で、オリオン大星雲どころか、オリオン座も足元を付き従うおおいぬ座も見分けがつかなかった。けれど僕はそれからも叔父にくっついて深夜の撮影に行った。
 「しゃっ」と押してしまうと、撮影が終わるまで何もすることがない。でも高価なカメラを置いて家に帰るわけにもいかず、叔父と僕はカメラの見えるところで寒さをしのがなければならなかった。この公園には小さな山に土管を通した遊び場があった。土管の中は大人が十分座れる高さがあり、叔父と僕はいつも並んで缶コーヒーを飲んだ。
 叔父はやっぱり変わった人だったのだと思う。週末の夜を一緒に過ごす恋人もなく、小学生の甥を連れて毎週のように冬の夜の公園に行き、カメラのシャッターを開けている数時間ものあいだ、缶コーヒーを両手に包み、ちびちびと飲みながら座って待っているのだ。父は叔父のことを、仕事も生活も張りのない男だ、とよくこぼしていて、僕が遊びに行くこともあまりいい顔をしなかった。父は現実的で責任感を尊ぶ人だったから、いつまでも独身で気楽にしている叔父が許せなかったのだろう。
 撮影が終わるまでの間、僕は叔父とおしゃべりをしたり、その頃習っていた空手の型を練習したり、公園の隅々を探検してまわったりした。叔父の話は星とか写真についての豆知識みたいな話ばかりで、ほとんどは聞いてすぐ忘れてしまった。普通のカメラで天体写真を撮る方法のように覚えているものもあるけれど、僕の生活で役立ったものはなかったと思う。でもそういうことは関係なく、僕は叔父の話を聞くのが好きだった。泉の底にひっそりと何年も取り残されていた小さな気泡が、何かの拍子にほたりと水面に浮かび上がり、古い空気を少しだけ大気に戻すような、ぽつりぽつりとした叔父の話し方が好きだった。二つの毛布に並んでくるまり、手の中に缶コーヒー、そして体の半分に叔父の体温を感じながら、僕は叔父の小さな声に耳を澄ませた。それは、テレビ番組速報のような同級生のおしゃべりや、新聞の社説を読み上げるような父の説教、リビング中をまんべんなく絨毯爆撃する(隅でうずくまる飼い猫のメルまで)母の小言とも違っていた。彼らの言葉は僕に向けられている言葉でありながら、それぞれが自分の正しさを確認するための言葉でもあった。言葉にはそういう複雑なベクトルがある。それはずっと後になってようやくわかったことだ。その頃の僕は自己と他者ということの意味を肌触りの悪い布のように感じるようになってきたばかりで、それらを聞き流すこともできずにいた。
 叔父の話し方はまるで暗い空を静かに廻る星のようだった。穏やかな声で、確かな言葉で、そして決して僕を脅かさなかった。僕は、ただぼんやりと何時間も何時間も待っていなければ見えないものもあるのだということを、そんな叔父から何となく感じ取っていた。
 結局のところ、叔父が撮った星空の写真はそれほど巧くはなかった。レンズは地上の光も一緒に拾ってしまうので、できあがった写真はどうにもぼうっとした印象だった。けれど、肉眼では数えるほどしか見えなかった星が、写真の上では幾つもの楕円の軌道を描いてちゃんとそこにあった。色も白ばかりでなく、薄く黄色がかったものや、ひときわ赤く輝くものや(ベテルギウス、と叔父は呼んでいた)、背景の空に溶けてしまいそうな藍色のものもあって、太さも濃さも全て違っていた。オリオン大星雲は、何本かの太い光線に囲まれながらぼんやり三つ並んだ軌道を描いてフィルムに薄く写っていた。僕はそれを、叔父に教わってようやく見つけることができた。
 次の年、叔父は仕事を変えて北海道に引っ越した。嬉々としてカメラを持って行った叔父から、その後しばらくの間あまり上達しない写真が送られてきた。その写真は、それでも東京より多くの星々の軌跡が澄んだ空にはっきりと写っていた。そのうち飽きてしまったのか仕事が忙しくなったのか、僕が高校に入る頃には写真も手紙も届かなくなった。
 高く凍てついた空を仰ぐ夜には、見えない星の軌跡を辿ってみる。すると叔父の声が静かに聞こえる気がする。手の中の缶コーヒーはまだ温もりを残している。僕が誰かにとって叔父のような存在になれるのかはわからない。あの頃の叔父の年になるには少し時間がある。
軌跡 とむOK

杉田探霊事務所――憑いてるね悩ってるね
ごんぱち

「ごまんえん、かぁ……」
 杉田慶子は棚のCDボックス「中田健 深夜ラジオ全集 全五〇巻」を見上げる。ショートカットにスーツ姿で、一見美人OL風だが、襟元や髪型などにどことなく緩さがある。
「買わないんですか、慶子さん?」
 隣の伊能清過が尋ねる。顔立ちはかなり整っているが、太い三つ編みにトレーナーという、いかにも公立大学生的な野暮ったい風体をしている。
「あたしの金は、事務所の運転資金でもあるのよ。そう簡単に――」
 その時。
「っと、とすみません」
「!」
「あ」
 学ラン姿の高校生らしき少年が、遠慮がちに棚に手を伸ばし、「中田健 深夜ラジオ全集」をレジへ持って行ってしまった。
「――べ、別に、聴きたかった訳じゃないんだからね!」
「いい大人が、ツンデレ女学生の真似とかしないで下さい」
「分かってるよ、ジョークだよ」
「だとしたら」
 清過は慶子の手に視線を向ける。
「どうして今、音声も聞き取れる強行偵察用のバッタの式さんを折っているんですか?」
 折り上がったバッタの折紙が、ぽんっ、と、本物のバッタの姿になって飛んで行った。

 自分の部屋に戻った大橋彰は、震える手でCDコンポにCDを入れ。
 再生ボタンを押す。
 テーマ曲の前奏が流れ始めると。
 ヘッドフォン端子にヘッドフォンを接続した。
『スピーカー使え!』
『スピーカーで聴け!』
「うおうっ!?」
 バッタの式と――もう一体霊魂が、彰を怒鳴りつけていた。

 杉田探偵事務所の応接セットのソファーに、慶子・清過と、彰と霊魂が向かい合わせに座る。
「――つまり、あんた、森里英実さんは」
 慶子は霊魂の女、森里英実を指す。
「CD聴きたさに、生き霊になった、と」
『ええ、どうやら』
 英実は頷く。
『これもチャンスだし、CDを聴き終わるまで彰君の家に居候させて欲しいな、と』
「断る」
『酷いっ、同居を断るなんて、あんた鬼だよ、鬼嫁だよ!』
「あのな、生き霊が一つ屋根の下ときたら」
 彰のこめかみに血管が浮く。
『?』
「その生き霊は、美少女であるべきだろう!」
 大きい鼻と口、小さい目、バサバサの髪にジャージ。英実は、嫌悪感までは持たれないが、決して美しいとは言えない姿だった。
『生き霊になるほどの強い想いをそんな理由で!』
「同居を嫌がってるだけだ」
 彰は慶子に向き直る。
「英実さんをこの事務所に泊めてやって貰えませんか。CDは、慶子姐さんに貸すんで」
『あ、なるほど。アタシもそれなら。どんなもんでしょう、慶子姐さん?』
「まあ妥当な落としどころだね。CD、あたしも聴きたいし――でもさ」
「はい?」
『はい?』
「……何故に姐さん?」
「それが合う気がしたんで」
『そんな雰囲気だったんで』

 数日が過ぎた。
「あー、やっぱり最高だな、中田健」
 風呂場の脱衣所で服を脱ぎながら、彰は呟く。
「根っこにある妙なコンプレックスが最高だな」
『そうそう、言葉の一つ一つが臆病とも言える慎重さに満ちていて』
「――って、何食わぬ顔で入りこんでんじゃねえ!」
 彰が振り向くとすぐそこに英実がいた。
『でもさ、アタシもてないから、こういうチャンスに男の裸見とかないと』
「お前がもてないのは、多分こういう事をするからだ!」

「――その後、午前〇時ぐらいまで一緒にCD聴いて、帰って行ったんですが」
 翌朝、杉田探偵事務所に彰が来ていた。
「二の式の監視網にも引っかからないとなると」
 窓から舞い込んで来た蝶の式を、慶子は手に留まらせる。
「『夜間業務』の警官に逮捕された可能性が高いね」
「あのバカ」
 彰は頭を抱える。
「あたしは面が割れるとヤバイからサツは無理だけど、あんたが独りででも助けたいっつーなら」
 慶子は折紙のシャツおると、本物の警察の制服になった。
「試作品の式だよ。本当にタダの服と一緒だから気を付けて」
「……何でもアリですね、その術」
「一応色々ルールはあんのよ」

 書類封筒を小脇に抱えて警察の制服を着た彰が、上鷹野市警察署に入ると同時に。
「おい、お前」
(ば、ばれた?)
 ロビーに入るなり、黒いコートに、黒いスーツの男が声をかけてくる。
(いや、一般市民か?)
「八代署の新人か、俺は捜査四課の下田だ」
(刑事だっ。ヤバい、一緒にいるとバレる!)
「大橋です、その、届け物です、届け物」
「ご苦労さん。どこの課だ?」
「地域課へ」
 彰は封筒を見せる。
「ならこっちだ」
 下田は手招きして、階段へ歩く。
「トイレ寄るんで、ここで」
 彰はトイレに入り口を指す。
「そうだな、俺も行っておこう」
(だああっ!)
 ――トイレから出た彰と下田は一緒に歩く。
「下田さん!」
「あ?」
「会計課にも用事があるのを思い出したので、ここで!」」
「ん、ポケットに領収書が? 奇遇だな、俺も行かねえと」
 ――また一緒に廊下を歩く。
「会計課、やっぱり僕行かないでOKなので、ここで!」
「領収書かと思ったら、煙草の空き箱か。俺も用がねえや、地域課行こう」
 ――またまた一緒に廊下を歩く。
「今日は東の方角が悪いので!」
「うわ、東の廊下を黒猫が横切った!」
 地域課のドアが近付いて来る。
(こうなったら!)
「あっ!!」
 彰は廊下の窓の外を指さした。
「何!?」
 下田が指さした方向を向いた瞬間、彰は全力で走って振り切ろうとする。
「こらこら、外出るなよ。生き霊は見えやすいんだぞ」
「がははは、ごめんなさい、ヒマでさぁ」
「のああっ!?」
 窓をすり抜けて入って来たのは――英実だった。
「あれ、どしたの彰。昭和の漫画みたいなコケ方して」

 私服に戻った彰と英実は、杉田探偵事務所へ歩く。
「心配かけてごめんね」
 しゅんとした顔で英実は頭を下げる。
「あの後、映画観たり、ラブホ覗いたり、ホストクラブでポルターガイスト起こしたりしてたんだけど、夜間業務中の下田さんに会って、ヒマならちょっと寄ってけって、つい宿直室で宴会を」
「何一つ同情出来ない理由をよくまあ、いけしゃあしゃあと」
 怒り顔の彰は、しかしふっと表情を和らげる。
「まあ、無事で良かったけどさ」
「彰……」
 英実は少女漫画のように目をキラキラさせる。
「じゃあ、お詫びのキスを」
「そういうのは、外見の良い婦女子だけに許されるものだ!」
「チッ!」

 杉田探偵事務所の居室のラジカセから、最後のCDが取り出される。
「これでおしまい、かな?」
 笑い涙を慶子が指で拭う。
「そうですね」
 彰はCDのパッケージを確認する。
「天才ですねぇ、中田さん」
 満足気に清過は何度も頷く。
『あー、笑った笑った』
 英実がため息をついた、その時。
『お?』
 英実の姿が、下の方から薄くなり始めた。
「……本当にCDにしか未練ないのな、お前」
 少し呆れ顔で、彰は笑う。
『そうみたいだね』
 くすっと笑ってから、英実の姿は完全に消えた。

 彰が帰った後、慶子は事務所の所長席に座り、ノートパソコンを開く。
 応接セットのソファーに腰掛け、清過は夕刊を広げる。
「慶子さん」
「ん?」
「あの二人、本当は――」
「じゃなきゃあの娘、CDが終わった瞬間に消えてるって」
 慶子はキーを叩きながら笑う。
「でもそれぐらいの薄い想いってのは、そこら中に溢れてるもんでさ。この後どうにかなるもならないも、巡り合わせ次第でしょ」
 「中田健」と書かれた真新しいラベルの付いたMDを、慶子はヘッドフォンステレオに挿入する。
「それなら私たちは」
 清過は夕刊をめくる。
「幸せでありますように、とだけ祈っておきましょうか」