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第8回3000字小説バトル
Entry16

爆進!

作者 : しょーじ
Website :
文字数 : 3000
 玄関を出たところに、それはあった。
「いったいどこのどいつだ。こんなもんを人の家の前に置いていっ
たのは」
 私は憤慨して辺りを見回した。しかし人影はなく、雀がちゅんち
ゅんと鳴いているだけであった。
 普段と何ひとつ変わらぬはずの朝、先日銀婚式を向かえた妻に見
送られ、いつものように会社に向かおうとドアを開けた矢先の出来
事であった。

 それはどう見ても『戦車』だった。
 重量感たっぷりの巨大な鉄の塊。黒々と小山のように横たわるそ
の姿から受ける印象は、『恐怖』であり『威圧』である。
 戸惑う私たちなどにかまう事なく、それは頑として、ひたすら圧
倒的に目の前に存在していた。
「これはしかし、本物だろうか」
 と、私は妻に向かって聞いてみた。
「さあ、どうでしょう」
 私、本物の戦車なんか今まで見たことありませんもの、と妻は予
想通りの返答をよこした。
「とにかく警察に電話だな」
「あなた、あれ」
 妻が、車体から前方へ突き出ている大砲を指差した。見ると砲身
の中程にテープで貼紙がとめてあり、そこにはマジックで
『お邪魔でしたら移動してください』
 と、書かれてあった。
 私はしばし妻と顔を見合わせたが、妻は、何しろ今のままじゃ近
所に体裁が悪くってしようがないから、そこの空き地まで移動させ
てくださいな、と私に訴えた。
「じゃあ、そうするか」
 私はしぶしぶ同意した。

「ここから入るみたいよ」
 前掛けをつけたままの妻が、いつの間にか分厚い装甲板の上に身
体を乗り上げ、入り口らしき円盤状のハッチを起こしていた。声が
どことなく嬉々としている。
 車内は薄暗く、狭かった。私は運転席とおぼしき、小さな窓が正
面を見据えている座席に尻を落ち着けた。
「それよ、そのキーを回してエンジンかけて」
 後ろの席から妻が指示してきた。どこから探し出したのか、その
手には『90式戦車----操縦マニュアル』なる分厚い説明書が開かれ
ていた。
「こ、こうか?」
 私は右手にあるキーを捻った。エンジンが唸りを上げ、計器類が
動き出した。ディーゼルの音と振動が腹の底から響いてくる。どう
考えても本物の迫力である。
「そこのレバーよ。二本あるでしょ」
「これか?」
「二本同時に、前に押すのよ。そうっとよ」
 私は両手でレバーを操作した。その瞬間、
 べりっ、ごききっ、ぐっしゃあん------
 凄まじい破壊音が後方から聞こえて来た。慌てて手を止め、ハッ
チから首を出して音のした方を見ると、家の玄関の一部に車体後部
がめり込んでいた。
「前に押せって言ったでしょ!」
 鬼のような顔で妻が怒鳴った。レバーを前に倒すところを間違え
て手前にひき、バックさせてしまったのだ。
「すまん、すまん」
 反射的にレバーを目一杯前に倒す。途端に鉄の巨体は尻から黒煙
を吐き、勢いよく前進を始めた。左右のキャタピラは強大な裁断機
と化し、側溝のコンクリートの縁石をお菓子のように噛み砕いた。
「あなた、右に旋回して、右よ!」
「うわっ、まに合わない!」
 かわす間もなく、今度は隣の家の大谷石の塀を、数メートルに渡
りべりべりとなぎ倒してしまった。
「いいのよ、こんな塀」
 妻は平然と言ってのけた。
「前から気に入らなかったのよ、私。何よ、少しばかり亭主の稼ぎ
がいいからってさ。いい気味よ! おほほほほ」
 私はそんな事を平気で口にする妻を半分呆れながらも、しかし頼
もしく思った。
「あなた、前、前!」
 妻が再び声を裏返した。空き地に入ったとたん、駐車中の白い車
が視界に飛び込んで来たのだ。
 慌ててレバーを右にきった。今度はうまくかわして止まれたよう
だ。私はほっと胸を撫で下ろした。
 が、落ち着いて目の前の車高の低い車を見て、考えを改めた。何
となればこの白い車が、近所の若い奴らの暴走族仕様の車だったか
らである。
 こいつらときたら時間も場所も関係なく、ぼんぼんでかい音を立
てて安眠を妨害してくれる。急発進、急停車を繰り返し、辺りに砂
利をまき散らす。何度10円玉でぎーと傷を付けてやろうと思ったこ
とか。
 後ろから袖を引っぱられた。
 振り向くと、らんらんと目を光らせ、片頬をひきつらせてサディ
スティックな笑みを浮かべる妻の顔があった。こんな顔は初めて見
た。彼女は決然と言った。
「あなた、やるのよ」
 妻も私と同じ気持ちだったのだ。

「よっしゃあ〜!いっくぞお〜〜!」
「行けーーっ!!」
 妻が車長席から勇ましい声を上げる。私はパワーを最大にして鋼
鉄の破壊マシンを繰り出した。ぎしゃぎしゃと音を立て、暴走族の
白い車体はあっというまにキャタピラのシュレッダーにかけられた。
「やった!」
「ザマーミロってのよ!」
「わはははは」
「おほほほほ」
 私たちは高笑いした。どうしようもなく、笑いが止まらないのだ。
二人とも身体の中で何かがはじけたようであった。
 私たちはそのままの勢いで表通りに飛び出していた。往来の車を
蹴散らし、中央分離帯を乗り越え、大型のダンプカーを引き千切り、
電柱をなぎ倒し、ガードレールを飴のようにひん曲げて街中をじゅ
うりんした。私たちは無敵だった。
「わはははは」
「おどき!どくのよ!おほほほほ」
 妻を見ると、その顔は完全にイッてしまっていた。私は25年間連
れ添ってきて初めて見る妻の姿を「こんな一面もあったのか」と恍
惚の思いで見とれていた。
 妻はとても美しかった。
 私たちの傍若無人なふるまいは、燃料タンクが空になるまで続い
た。

「馬鹿な事をしたものよのお」
「本当ですねえ」
 薄もやに朝日が差す縁側で、私たちは並んで腰をおろし、遠い昔
の苦い思い出に浸っていた。
「ばあさんたら『大砲よ、大砲よ』言うてなあ」
 私は、妻が、装備された120ミリ滑腔砲を操り、辺りのビルやら
牛丼屋の看板やら目がけて阿修羅のごとく撃ちまくっていたことを
思い出していた。
「ほほほほ」
 そんなこともありましたわね、と妻は笑った。
 あれから30年。私たちはあらゆる意味で罪の償いを余儀なくされ
てきた。金婚式を迎えたのは留置場の中だった。怪我人が一人も出
なかった事が救いであったが、犯した罪は『若気のいたり』の一言
で済まされる事では到底なかった。
 何故あの時あんな行動に走ってしまったか、自分でも今だによく
わからない。
「あの立場になったら、誰だって私たちと同じ事をしますよ。誰だ
ってね」
 と、妻は言う。
 私は曲がった腰を上げ、散歩に出かけるべく妻を促した。

 玄関を出たところに、それはあった。
「いったいどこのどいつじゃ。こんなもんを人の家の前に置いて行
ったのは」
 私は憤慨して辺りを見回した。しかし人影はなく、雀がちゅんち
ゅんと鳴いているだけであった。
 F-15戦闘機。
 翼の下を覗き込むとミサイルが8本搭載されていた。そして機体
には、
『お邪魔でしたら移動してください』
 の貼紙が----。
 何であろう、この気持ちは....。身体中の血が熱くたぎる感覚は
....。魂の奥底からふつふつと沸き起こって来る、身の震えるよう
な衝動は....。
「あなた」
 妻の凛とした声が響いた。
 見ると背筋をぴんと伸ばし、全身に生気をみなぎらせた妻が立っ
ていた。顔は血色よく艶があり、とても八十に近い女とは思えない。
 私と妻は、互いの目を見て大きくうなづいた。
「行くわよ、あなた!」
「行かいでか!」
 私たちは複座式コックピットに身を沈めるとエンジンを始動し、
マッハ2.5で大空へと飛び立った。