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第2回6000字小説バトル Entry13

暗殺者

 ダークブルーのスーツ姿の白人の女は、封筒から出した写真を、吉沢長治に手渡した。
「国家元首とは、思い切ったもんだな」
 吉沢は白髪頭を指ですく。七十近い年齢の割には、均整の取れた体型をしていた。
「アジファラートは度重なる国連の警告を無視し、侵略行為やテロ組織支援を続ける『ならず者国家』です」
「そしてその武力を支える、指導者トグルク・アム中将」
「彼はテロリスト時代、主にブルジョワ階級や西側諸国を標的にしていましたから、貧民層にとっては英雄です」
 女はその顔立ちに似合った、正確で綺麗な英語を話す。
「さしたる産業も技術力も持たないアジファラート共和国の唯一にして最大の力は、彼のカリスマ性です。彼を消すだけで、アジファラート政府は崩壊、自滅するでしょう」
 女は吉沢の目をじっと見つめる。
「是非、吉沢さんにお願いします」
「君もトグルクが何て呼ばれてるか知ってるだろう」
「『不死身の男』ですね」
「暗殺未遂に遭うこと十二回、うち七回は決行されたにも関わらず、トグルクはほとんど無傷で生還している。その上、実行犯の検挙率は百パーセントだ」
 吉沢は、いかにも好々爺といった笑みを浮かべている。
「引退したロートル工作員に出来る仕事とはとても思えんな」
 その細い腕では、小銃も満足に扱えないに違いない。
「ご謙遜を。内閣調査室第三分室でのご活躍、聞き及んでおりますよ。冷戦時の防諜から市民団体代表の粛正まで、失敗した仕事はないとか?」
「見え透いた世辞はやめてもらおう。その程度の仕事をした奴は山ほどいる」
 くすっと女は笑う。
「もちろん、失敗した時の保証として、引退者を選んだのは確かです。が、吉沢さんの実績は、それを抜きにしてもトップレベルです」
 筋張った両手をテーブルの上で組んで、吉沢は黙り込む。
 女はじっと彼の返事を待った。
「――君、名前は何て言ったかな?」
「ルーシー・コネリーです」
「国籍は?」
「米国です」
 もう一度吉沢は黙ったが、すぐに右手を差し出した。
「……いいだろう。不死身の男を殺すのも、悪くない」
「ありがとうございます」
 ルーシーは握手に応じなかった。

 ホテルの一室に戻ったルーシーは、クローゼットの中にあるスーツケースを開けた。
 中には、通常のものより一回り大きな無線機が入っていた。
 彼女はヘッドフォンを付け、マイクを口のそばに寄せる。
「レッドからホワイトへ」
『ホワイトだ。天気はどうだ』
 ヘッドフォンから男の声がする。
「自分で調べて」
『――どうだ、首尾は』
 途端に相手の言葉がアラビア語に変わった。
「完璧よ。あの爺さんあたしを国連の情報員だと本当に信じたみたい」
 応えるルーシーの言葉も、アラビア語になっている。
「経歴は立派だけど、ね」
『よし、後は爺さんが失敗してくれれば、トグルク閣下の名はより神聖なものになる』
「過去十二回と同じようにね」
 ルーシーの笑みには、熱狂が含まれていた。
『必要なものを全てリストアップしてくれ。計画さえ分かっていれば、対戦車ライフルだって防げるからな』
「ええ。では、トグルク・アム閣下に栄光を」
『ああ。栄光を』

 ナイフ、拳銃、ライフル、マシンガン、携帯ロケット弾。
 地下駐車場に作られた倉庫には、相当量の武器が置かれていた。
「しかし、吉沢さん、久し振りですね」
 店主が満面の笑みを浮かべる。
「君の店は変わらないな、中野」
 吉沢は拳銃を三丁と、それに合った弾丸を取る。
「店と言うより中立地帯ですから、ここは」
 倉庫から出ると、直ぐに射撃場になっている。跳弾防止のケブラーが、壁一面に張られていた。
 何名かの客の銃声がするが、完全に仕切られた射撃場のため、姿は見えない。
「何年ぶりかな」
 吉沢はチーフテンスペシャルを無造作に両手で構え、引き金を引く。
 五発全弾うち尽くすまでに、十秒と掛からなかった。
 標的が手元に戻って来る。
 中心の黒点を撃ち抜いた弾丸が二発、それ以外の弾丸も中心をかすっている。
「ダメだな、腕が痺れる」
「二十年もすれば、筋力も落ちますよ」
 ハーリントン&リチャードソンM九〇〇を取る。
 弾倉九発分撃ち尽くし、また標的を見る。
「まだキックが重いな」
「ここで一番軽いのは、そのワルサーPPKのカスタムモデルですが」
「四.三ミリか……」
 軽い音が、射撃場に響き渡る。
「造影剤抜きのプラスチックボディあるか?」
 標的の黒点に開いた穴は、一つに繋がっていた。
「頭蓋骨撃ち抜けませんよ?」
「護身用だよ」
「他には? 狙撃銃ならいいのがありますけど」
「銃で仕事をする気はないんでな」
 まだ熱を持っている拳銃を、吉沢は中年の男に手渡した。
「しかし、今になってどんな仕事です?」
「正義の味方、だとさ」
 吉沢は笑って肩をすくめて見せた。

「爆殺?」
 公園のベンチで、背中合わせに座った吉沢とルーシーは小声で話す。
「奴の生活は、権力者には珍しく規則的だから、予測可能だ。他に被害を出さずに狙えるポイントも見つけた」
「分かったわ。それで現地にはいつ頃――」
「今から向かう」
「えっ!? こちらでパスポートも飛行機もホテルも用意しますが?」
「滞在予定のホテルはこれだ」
 吉沢はゴミを捨てる風を装い、丸めた紙をルーシーの方に放る。
「合流出来なければこちらから連絡する。それもないまま一週間過ぎたら、死んだものと思ってくれ」
 ルーシーが紙を開けると、中にホテルの名前と住所に部屋番号、そして必要な物資がびっしり書いてあった。
「必要なのものはこれで全部ですか?」
「それと、過去のトグルク暗殺未遂事件のニュース映像があったら全部くれ。全部だ」
「はい」
 何度か確認した後、彼女は紙を呑み込んだ。
「それでは、あちらでお会いしましょう」
「ああ。君も気を付けろよ」
 それから吉沢は、表情一つ変えずにベンチを立ち、公園から去って行った。

 トルコ帝国から独立した一都市に端を発するアジファラート共和国の町並みは、中東のみならず東洋的な雰囲気がある。
 空港近くの賑やかな市街を抜けると、次第に緑はまばらになり、質素な小屋が立ち並ぶ貧民街に差し掛かる。
 だが、行き交う人々の目に暗さはない。
「終戦直後の日本と、同じ臭いがするな」
 吉沢は呟く。
 しばらく歩くと、小屋が取り壊された直後の空き地で、子供たちが遊んでいた。
「――じゃあ、おれがトグルク閣下の第七軍!」
「ずるい!」
「早いもんがちだぜ!」
「うーん、ならぼくは第二軍っ」
「ボクはぁ、ボクはぁ……」
 吉沢はその横を通り過ぎる。
 貧民街を更に進むと途端に小屋が切れ、背の高い鉄条網の柵が現れた。
「トグルクの基地か」
 軍隊に籍を置くトグルクは、若い妻、十歳になる息子と共に基地を住処にしている。これは、世界的にも知られた話だった。
「外出するのは週に一度、家族揃ってのショッピングのみ。ただ、そこを狙った暗殺は全て失敗、か」
 巨大な敷地内では、兵士たちが早足で行進している。
「装備はM一六、体さばきも悪くない」
 吉沢はそれとなく観察しながら、基地の廻りを歩く。
「三百両のT八〇があるはずなのに、装甲車一台見えん。図面通りか」
 建物に切れ目は見えるが、回り込むと別の建物が影になり、中庭に相当する部分は一切見えない。
 足を止めず、それとなく兵士の姿を見る。
「予定通りにやるしかなさそうだな」
 半周ほどした時点で、彼は基地を離れた。

「こんにちは、コカ・コーラです」
 飲料メーカーの制服に身を包んだ吉沢は、基地内の売店に缶ジュース入りの段ボール箱を届ける。
 髪を染め、ほんの僅かな化粧で肌を彩っているため、四十代前半、ともすれば三十代に見える。年齢が一番現れやすい手と腕も、軍手と長袖で隠している。
「はい、ありがとう」
 店員の中年の女は、受け取りにサインをする。
「では、失礼」
 売店を離れた吉沢は、そのまま台車を押して廊下を歩く。そして人が途切れたのを見計らって、柱の陰に身を隠した。
 彼は、台車をひっくり返し、裏に貼り付けてあった平べったいバッグから、軍服一式を出して着替える。そして、飲料メーカーの制服をバッグに収めると、台車にアジファラート軍の備品番号シールを貼り付けた。
 最早その姿は、書類を運んでいる士官にしか見えない。
 それから吉沢は、何喰わぬ顔で台車を押して歩き始めた。
 途中、何人かの兵士とすれ違ったが、誰一人として吉沢を気に留める者はいなかった。

 アジファラート国際ホテルの一室に、ルーシーはいた。
『娯楽室に仕掛けられた爆弾の処理は完了した。予定通り、弱装火薬に変更してある』
 通信機に繋いだヘッドフォンから男の声が聞こえる。
「呆れるほど思い通りに動いてくれたわね、あのお爺ちゃん」
『後は起爆を待って、逮捕、処刑だが、吉沢はきちんと掴んでいるか?』
「ええ、大丈夫。この後落ち合う予定になってるわ」
『決してミスは許されないぞ』
「私が今まで一度だって任務を失敗した事があった?」
『ふふ。心強いな』

 空港の出発ロビーでルーシーの隣りに座った吉沢は、無線機を耳に当てていた。
「三、二、一……」
 無線機の傍受した軍内の無線が、爆発の混乱を伝えていた。
「よし」
「確認はされないんですか?」
「奴にまた奇跡とやらが起こったら呼んでくれ。アフターケアは必ずする」
 彼は小さなバッグを一つ持って立ち上がろうとした時。
 ゲートの方から、数名の兵士たちの姿が見えた。
「――感づかれた?」
「まさか、偶然でしょう?」
「殺気は、明らかに俺たちに向けられている」
 吉沢は、一度も振り返らずに歩き始めた。
 同時に、兵士たちもほとんど同じ早さで歩き始める。
「っ」
 吉沢は歩きながら財布を取りだした。そして、硬貨を一枚親指で弾き飛ばす。一直線に飛んだ硬貨が、天井の火災報知器に命中した。
 ジリリリリリリリリリリリリリリリ!
 防火ベルの音で動揺する人々に、兵士たちの気が一瞬逸れた時、吉沢はルーシーを連れて走り出した。
 空港の長い通路を走り抜け、ゲートを反対側にくぐる。
 吉沢の脚力は、訓練された兵士に匹敵した。
「吉沢さん!」
 ルーシーは慌てて彼に付いていく。
 そのまま空港前に停車していたタクシーに駆け寄る。
「どちらまで――」
「出ろ!」
 吉沢は運転手を引っ張り出し、運転席に座る。
 特徴はないが流れる様な無駄のない動きで、タクシーは道路を駆け抜けていく。
 兵士たちが、車に乗り込み追い掛ようとしたが、有り触れたタクシーの姿は、瞬く間に町に紛れてしまった。
「ふぅ、これで一安心ですね」
 助手席で背後をうかがっていたルーシーは、前を向い――。
「そうだな」
 銃声が鳴り響いた。
 拳銃の存在、それを出すタイミング、引き金を引く躊躇いのなさ、バックミラー越しで眼球をピンポイントで撃ち抜く狙いの正確さ。その全てが、ルーシーの想像を超えていた。
 ルーシーの手から、スタンガンが落ちる。
「任務後の口封じを予想していないとでも思ったか」
 返り血の付いた顔で、吉沢はにやりと笑った。
「この、俺が」
 吉沢は車を止め、息絶えたルーシーの内ポケットから盗聴用のマイクを引っ張り出す。
「射撃のチャンスは『見えた時』だ。次に兵隊を使う時は言っておけ」
 盗聴器を窓から捨てた後、彼はルーシーの荷物をざっと確認する。
「アジファラート政府関係者か。やはり、クーデターか」
 橋に差し掛かった所で、吉沢はドアを開けルーシーの死体と荷物を捨てた。
 それから再び無線機を入れる。
「――なに?」
 無線機が傍受した通信は、トグルクの無事を知らせていた。
「なるほど、不死身か」
 吉沢は車を捨て、道から外れて行った。

 トグルクの外出日。
 繁華街は、普段以上の活気に満ち、指導者の姿を一目見ようと集まった民衆が、押し寄せる。
 トグルクとその家族をSPたちが固め、群衆たちを黒服の男の部下たちがチェックしている。
「狙撃可能なビルのいずれにもヨシザワの姿はありません。爆発物等も発見出来ませんでした」
 部下が、黒服の男が乗った車に報告に来る。
「地下は?」
「二分前に異状なしの定期連絡が入っています。航空機の機影も確認出来ません」
「よし、警戒を続けろ」
「逃げたのでは――ありませんか?」
「奴が資料通りの工作員だとすれば、絶対にそれはない。配置に戻れ」
「はっ」
 黒服の男と部下たちの警戒も気にならぬ風に、トグルクと家族は店を見て廻る。その様子は、実に楽しげで、暗殺を予感しているようには見えなかった。
「一体、どこだ」
 黒服の男は助手席に座ったまま、爪を噛む。
「狙うタイミングは、他にはない筈だ。どこから狙撃する? それ以外の手があったとして、どこから?」
 二時間が過ぎた。
「――諦めた、か」
 黒服の男は、車のシートから腰を浮かせる。緊張で背中と尻がびっしょり濡れていた。
 と、その時。
 ズン!
 振動が腹に響いた。
「!!」
 彼は車のエンジンを掛けながら、無線機のスイッチを入れる。
「どうした! 何があった!」
『ガス爆発です! 小規模な爆発ですから、被害はありません! トグルク閣下たちは避難されました』
「――な、なんだ」

「ここまで来れば安全だな」
 トグルクは足を止めた。
「ええ」
 SPが振り向く。
「――ん、貴様見慣れない顔だ、な」
 トグルクの胸に、深々とナイフが突き刺さっていた。
「い、いつの間――」
 他にSPは誰もいなかった。
「あんたの暗殺未遂の光景は、テレビへの露出が多すぎた。SPの行動分析もできるし、変装だってな」
 トグルクの心臓は、すでに止まっていた。
「?」
 SPは小首を傾げる。
「爆発に巻き込まれた割には、傷がやけに小さいな」
 彼は呟きながら振り向く。
「ま、こうなっては些細な事、か」
 トグルクの妻が、震えながら息子を庇っていた。
「安心しろ。あんたたちは標的じゃない。少なくとも今はな」
 にっと笑ってSPは、身を翻した。

 二週間後。
 日本の寂れた商店街の電器屋のショーウィンドウのテレビが、正午のニュースを伝えていた。
『――暗殺されたトグルク・アムの息子、アジフ・アムの即位式が行われました』
 一人の老人が、テレビの前で足を止める。
 画面には、調印式の会場を埋め尽くすアジファラート国民と、美しい少年支配者の姿が映っていた。
『いやあ、無事に即位式が終わってよかったですね』
 キャスターがアシスタントに話を振る。
『ええ。トグルクが暗殺された時の様子は、本当に世界中の涙を誘いましたからね』
『父親の死という哀しみを乗り越え、立派な国家を作って行って欲しいものです』
「立派な国家を、か」
 老人はテレビの前から立ち去った。
「トグルク時代には決して言われなかった台詞を……もうクーデターの余地もなかろう」
 彼はふっと笑う。
「ルーシーも残念がってるだろうな」
 商店街の人波に紛れ、老人は瞬く間に見えなくなって行った。
「まあいいさ。仕事は終わりだ」

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