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第10回チャンピオンofチャンピオンバトル小説部門 Entry10

遅延二十分、日照雨


 薄く丸い僕の影を、里美の赤い傘がホームに縫いとめている。
 ふるいの水を切るようなまばらな雨が、まだらに曇った空から落ちて屋根を鳴らしている。夜中に通り過ぎた局地的な嵐の名残りだ。
「――線は安全確認のため、二十分ほど遅れが出ています」
 隅の柱に取りつけられた電光掲示板に赤い文字が愛想もなく流れる。少しの雨でも遅れる単線の無人駅は、通勤時間も近いのに僕と里美のほか誰もいない。ここに屋根があるのは親切すぎるくらいだけど、気まずく延びた時間を濡れないですむ。
「何考えてるの」
 里美は尖ったヒールで傘の先を蹴っている。くたびれたベンチに座って、僕は里美のかかとを眺めている。
「かかしのこと」
 かつん。細いかかとがまた傘を蹴った。いつもそうだ。僕は問題解決とはほど遠いことばかり考えてしまう。
 里美は先月で三十を迎えた。僕は来月だ。粘り強く仕事を続けて、ようやく編集の企画を任されるようになった彼女と比べて、僕はアルバイトの合い間に発表のあてもない文章を書き散らしているばかりだ。
「かかしは麦畑の守り人だ。日焼けしてるけど、色合いのいい服を着て、いつも空を見つめてる。素敵なかかしだ」
 明け方、強い雨音に瞼を開けると、卓袱台の黒い影の奥で里美が背を向けて服を着ていた。電灯もつけず、窓の薄明かりで化粧をさっと直してコンパクトを閉じる。頬のあたりで揺れていた光が、ひゅっと消えた。
 僕らの未来は今のところ、夜明けの卓袱台のようにひっそりと僕らに挟まる影でしかない。
「例えばもぐらなんかが、かかしの隣に並んで青い空を見つめてみたい、なんて願ったりするんだけど」
「けど?」
「まあ、もぐらだからね」
 傘を蹴る音が止まった。黄金の波を膝にそよがせたかかしと、足元の土を掻き回すだけのもぐら。僕は卑怯者だった。せめてもぐらの話というべきだったのだ。
 踏切が鳴って、二両ばかりの短い電車が僕らの前に停止した。電車はふた呼吸ほどホームに滞在し、無言のまま足早に去って行った。雨はやんでいた。
 ホームの灰色が明るくなり、影が濃くなった。
「知らなかったんでしょうけど」
 僕の影から傘を離して、里美は振り向いた。
「かかしはね、物分りもあきらめも悪いのよ」
 ぽん、と目の前に大きな赤い花が開いた。里美はくるんと傘を上げて、赤い小さな日陰に僕を入れた。
 彼女のスーツと、遠ざかる急ぎ足の雲のあいだで、雨に洗われた青空がまぶしかった。



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