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第39回中高生1000字バトル

エントリ 作品 作者 文字数
真っ赤に染めあげて 亜高 由芽 1000
あー、よく死んだ 紅花花屋本舗 1000
お空の上から眺める人に 篠崎かんな 1000
祈る少女 lapis. 1000
幸せの風が吹くとき 雪雀 1000
TIME yuki 1000
リメインド 神代高広 1000
悲鳴 芦野 前 1000
お前と言う名の現代人へ 夢野ねこべ 996


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エントリ1  真っ赤に染めあげて   亜高 由芽



「手伝ってほしいんだ」
 信号待ちして立ち止まっているわたしに、声をかけてきた。その少年の歳は、十七、八くらいか。
「何?」
「僕は血に飢えているんだ」
 意味が分からなかった。でも、彼は少し可愛かったので、ついていくことにした。
 そして何の特徴もないアパートの一室に招き入れられた。
彼は上着を脱いだ。白いシャツから出ている両腕の筋肉は、自然についたもので美しく、肌は病弱なほどに白かった。短い茶の髪を掻くと、その手でナイフを持った。
「僕を抑えていて」
 少年はそう頼んだのだ。これから何をするのかわかった。
 白いベッドの上に二人で座ると、わたしは両腕を彼の白い体に巻き付けた。自分と同じ温度が腕から伝わってくる。
 彼の体が動いた。彼は腕を切り始めた。ざくざくざくざく、何度も、切る。でも、死なないだろう。死ぬつもりのある人間の手伝いはできない。わたしは、しばらく目をつむり、何も見えないようにしていた。
「終わったよ、ありがとう」
 わたしはほっとして、顔を上げ、腕を解いた。少年の左腕は、真っ赤になっていた。血は、わたしたちの座っているベッドのシーツを染めた。彼はふっと自嘲気味に笑って、シーツに左手首を押しつけた。血は、水のように流れ、しみこんでいく。
「僕は死にたくはないんだ。でも、生きているのか、死んでいるのかもわからない。そういうとき、血に飢えてしまうんだ」
 心配そうに見ていたら、抱き寄せてきた。反射的に、その体から離れようと、手を伸ばした。手が、肩に触れたとき、彼の感情が流れ込んできた。
 ――悲しい。
「今日生きたら、明日も生きなきゃいけない。その次の日も、ずっと。どうしたらいい?」
 その気持ちで、わたしの心まで真っ赤に染まって、彼を抱きしめずにはいられなかった。ただ、街をふらふら歩いていて、知り合っただけで、彼の事情なんて何もわからない。でも、彼の形のない悲しみが、身体越しに流れてきて、わたしの心も叫ぶのだ。きっとわたしにも、自分をナイフで傷つけるような部分があるのだろう。
「大丈夫よ。きっと、大丈夫だから」
 そんなの嘘だ。自分の目からこぼれる涙は、誰のためのものなのか。
 こんな悪夢のような異常さが、自然。普通は、ナイフを見た時点で怖くなって、少年から逃げ出すだろう。逃げなかったのは、投げやりになっていたから。
 わたしは今、温かくて温かくて、ずっとこのままでいたいと思ってしまっている。




エントリ2  あー、よく死んだ   紅花花屋本舗



  『死んだように眠る』とよく言う。仕事で課長の寒いギャグや、取引先の相手から聞かされた笑えない笑い話を聞かされたりして、非常に疲れているときに眠ると、死んだように眠る、つまりぐっすりと眠っている状態になる。
 しかし、あくまでこれは例え話。死んだ『ように』であって、実際は死なないはずなのである。『死んで寝てる』てのはつまり死んでるのであって寝てない。永眠と言えば寝てるとも取れるかもしれないが、つまり死んだという事には変りは無い。普通の人は朝起きて『あーよく死んだ』と言わない。日本語は正しく使うべき。『海苔巻き』は寿司だけど『お寿司でも取りましょうか?』と言い出しておいて海苔巻きを差し出すのは間違ってる。人に奢る時の『寿司』は握り寿司しか認めない、絶対。
 彼は日頃からそう主張していた。そしてその主張をするたびに『何を今更当たり前な事を言ってるんだ』と周りの人間から小突かれていた。
 しかし僕が思うに、死んだように眠るとは言うが、人はやはり実際に寝てるときに死んでいる事があるのではないだろうか。現実の嫌なことを全て忘れて、何処かに逃げたい。これは誰でも思うことだろう。例えば夢の中で嫌いな上司をバタフライナイフで滅多刺しにして自分はげへげへと上司の死んで逝く姿を見て笑っている。現実から見れば精神異常者と判断できるその環境に自分が居て、でもそれは現実ではない。ただ眠っている時に見ることのできる夢。その夢を見ているとき、現実としての自分自身は死んでいるのではないか。少なくとも夢を見ている男は普段会社で短刀なんか持ち歩かない。以前その男は目の前で電車に引かれた女性を見てしまったが、その時は思わずその場で嘔吐してしまった。直視なんて当然出来なかったし、笑うことなんてその時の頭には一片だって存在しなかった。つまり一般人である。が、夢の中にいる間、彼は死体を見て笑っていられる人間となっている。現実に生きる『彼』が死に、夢の中で新しい『彼』が生まれたという事で、夢の中の彼が死ねば、現実の彼が蘇ることだろう。つまり『死んだように眠る』のは、実際に現実での『自分自身』が死んで、その上で眠っている、という事だと僕は思うのだ。

「じゃあ、お前は寿司が海苔巻きでもいいと言いたいわけだな?」
 彼は起きてる時でも寝てるような状態のようだ。寝ぼけすぎている。
 
 とりあえず僕は間を取って稲荷寿司を選択した。


website: 紅花堂


エントリ3  お空の上から眺める人に   篠崎かんな



ゼィ、ゼィ、ハァ……
必死で屋上へ走りこんで、扉を閉めてた。
肩で息をしながら、扉を背に座り込む。
「くそぅ、奴らしつこいなぁ……」
上を見上げると、空の青さが嫌に目についた。
「快晴ってやつか、まったくどうかしている。こんな良い天気の下で、どうして僕が逃げまどわなきゃ、いけないんだ」
奴らはいずれ、ここにたどり着くだろう……。
押しつけるような青さは、不安をさらに圧迫した。
恐怖が体中を走り抜け、力を奪う。
僕は空に向かって哀願した。
「助けてよ……神様」
すると、空から何かが落ちてきた。
それは勢いよく、しかも音も無く、僕の横に降り立った。
翼の生えた、女の人だ。
一目見てわかった、この人は天使なのだと。
「来てくれたんですね?」
そう言うと、彼女は顔をしかめた。
「あんたが呼んだの?」
「えっ、はい――呼んだというか……願ったというか」
「たった一人で……」
あきらさまに嫌な顔をになった
「普通、一人では呼べないのに……。まったく、効率悪いったらありゃしない」
なんて、気の強い天使だろう。
「とにかく、忙しいんだから、私はもう行くわ」
天使は飛ぼうとした。僕は急いで、その手を掴んだ。
「まっ、待って。助けてください。追われてるんです」
すると、天使はため息をついた。
「あのねぇ、私は人を助ける力なんて無いの」
僕は意味が分からなかった。
「本当は存在すらしてないの。天使を信じる人がいる、その人達が自分で私を作り出した。私はただの幻覚なの。強く願われれば、私は現れる。でもそれだけ、ほかにはなにもしないわ」
「なんだって……」
「あんたが私を信じるから、私が見える。でも結局は全部、人間が作り出した妄想なのよ。神に人を幸せにする力は無いの」
僕の中で何かがガラガラと崩れる音がした……。
段々、天使の姿が薄れてくる。
「待ってくれ、消えないでくれ」
「私は消えないわ、あなたが信じなくなっ……」
言葉の途中で彼女は消えた。
「なんで……なんでだよう」
ポケットから大きめのナイフを取り出した。それには、乾いたどす黒い血がこびりついている。

バタバタと音を立てて、警官隊が屋上に入ってきた。
「見つけたぞ! 連続殺人の罪で連行する。ナイフを捨てろ!」
いくつもの銃口が向けられた。僕はそれを冷ややかに眺める。
「……僕はさ、神様にお告げを貰った、だから……だから、殺したんだ。なのに……酷いじゃないかぁ!!」
僕は真っ青な空に向かって叫び、そのまま喉をかき切った。





エントリ4  祈る少女   lapis.



 窓から身を乗り出してお空にいくつもの光が連なって飛んでいるのを見た。
「きれい」
 と言ったら頭を強く下の方に押さえ込まれた。恨めしそうに見上げるととても怒った顔をしたお兄ちゃんがぱたんと木の窓を閉めた。
「ばか、早く寝ろよ。危ないから」
 お兄ちゃんは怒った口調でそう言うとあたしの身体を持ち上げて、弟が寝ているベッドまで連れて行った。
 あたしはばたばたと足と手を動かしながら「いやだ、いやだ」と駄々をこねた。そうするとお兄ちゃんは決まって悲しそうに笑った。
 でも、それだけ。もう一回、お空を見てもいいとは言わない。
「×××と一緒に、寝ろよ。落ちてきたら、まずは自分の命を優先しろよな」
 お兄ちゃんは弟の名前を言った。ちょっと大きいベッドの上で右足を失った×××がすーすーと寝息を立てて寝ている。
 お兄ちゃんはあたしの頭を優しく撫でて、それから強く抱きしめる。そのぬくもりはあのお空に浮かぶきれいなものよりも好きだった。
「うん。でも、×××はあたしが守るもん。それがあたしのお仕事だもん」
 頬を膨らませながらもお兄ちゃんを見た。お兄ちゃんはあたしの言葉にさらに強く抱きしめて、あたしはちょっと苦しくなった。
「そうだな。×××を守るのはお前の仕事だもんな」
「そーだよー。それでお兄ちゃんは明日もお仕事頑張るの。お父さんが帰ってくるまで」
 あたしのお父さんはあたし達の国を守るために戦っているんだって。
 そうお兄ちゃんが誇らしげに言っていた。だからお父さんが帰ってくるまで三人で頑張ろうってあたしは思うんだ。
 あたしがベッドの中にもぐりこんで掛け布団とかけると、顔をあげてお兄ちゃんを見た。
「おやすみ、また明日ね」
 そう言ってにっこりと笑うとお兄ちゃんは微笑んで手を振ってくれた。
 目をつぶると怖い。真っ暗で、時折聞こえてくる地響きに身体を震わせる。でも大丈夫。このぐらいだったらまだ遠いんだ。
 あのお空に飛んでいたきれいなものがなんだか知っている。
 お兄ちゃんはあたしが何にも知らないんだろうと思っているんだろうけど、知ってるよ。
 あの光は、あたしからお母さんや×××の双子の弟や×××の右足を奪っていったんだってこと。街の人の命をいっぱいいっぱい奪っちゃうものだって。
 いつかあたしもあれに殺されちゃうのかな? そう思うと涙がこぼれそうになる。でも泣かないよ。
 明日も命がありますようにと、神様に祈らなきゃいけないから。





エントリ5  幸せの風が吹くとき   雪雀



 私の両親は私が9歳、妹が3歳の時に死んだ。交通事故。家族全員で出かけて、帰ってきたのは私と妹の二人だけだった。その事故で妹は両方の目から光を失った。まだ幼いうえ失明した妹に、母さんも父さんも死んだなんて誰も言えなかった。そして叔母が来てくれた時、妹は言ったのだ。
「お母さん!」
まだ小さい妹が、声の似ている叔母と母さんとを間違えるのも無理はなかった。その言葉にその場にいた全員言葉を失った。そして知らず知らずのうちに皆泣いていた。叔母は泣きながら妹を抱きしめた。
「……お帰りなさい。」
その声は涙をたっぷり含んでいて。私は滲む目で二人を見ていて。そして妹は本当に嬉しそうな顔をしていてー…

 あれから2年が経った。

 私は夜中にふと目が覚めた。寝室を出ると、居間の電気が着いて中から叔母と叔父の声が聞こえて来た。
「私はあの子を騙してる…!こんなこと、こんなこと続けていちゃいけない…!」
私の耳に聞こえた言葉はそれだけで。叔母の声は涙声だったような気がして。私はベッドに飛び込み、布団の中でひざをかかえた。私はとても怖かった。もし叔母が妹に本当の事言っちゃったらどうしよう?妹を騙し続けていた私を、妹は恨むかもしれない。そんなの嫌だよ…!私は布団の中でずっと泣いていた。

 そして6年が過ぎた。

 私は17歳、妹は11歳。妹は母と父と姉とで暮らしている。私達には幸せの風が吹く。けれど私の心に風が吹くことはない。それでも私は妹を騙し続ける。妹の心に幸せの風が吹いてくれるならー…。





エントリ6  TIME   yuki



「Do you have the time ?」
と、先月転入してきた帰国子女の笹岡が聞いてきた。
 アメリカから来たってだけで、クラス中は大賑わいで彼は一躍人気者となった。その人気は、それまでリーダーだった高田の地位を揺るがし、この間の中間テストの順位発表では笹岡が1位になった事で一気に反転してしまった。
 もちろん高田は心底むかついていたが、それを顔には出さずいつかどーにかしてやろうと、考えていた。
 しかし、笹岡は妙に高田に懐いていた。席が隣りになった事も原因だったが、転入してきた最初の頃、それこそ中間テストまでは笹岡の面倒を見ていたのは、他でもない高田だった。

「Do you have the time ? Takada ?」
 無視をしていた高田に対して、もう一度笹岡は聞いてきた。
 「9時30だよ」
 と、高田は素っ気無く答えた。高田の父はイギリスで仕事をしていて、毎年会うので高田も英語は得意な方だった(そして、これも人気に拍車をかけていた)
 「Thank you !」
 笹岡は満足そうに笑った。
 授業で「What time is it now ?」を習ったがもっと慣用的にはhaveを使う表現をすると、父に教えて貰った事がある。

 ふと父のこんな話を思い出した。
 父が部下の女性社員に「Do you have the time ?」と、聞いた所、女性社員は無言になってしまったというのだ。どうやら、女性社員は「Do you have time ?」と、聞き間違えたらしい。Theが抜けるだけで「今日、開いてる?」と、言うような大人のお誘いの言葉になってしまうから気を付けろ。

 そこで、高田は聞いてみた。
 「Do you have time ?」
 もし、ここで笹岡が聞き間違えて、固まってしまったら「誰がお前なんか誘うか!勘違いしてんじゃねーぞ!!」と、罵倒しよう。「10時だよ」なんて言うようなら「何が帰国子女だ。英語も判らないのか!」と、ここぞとばかりに責めてやろう。聞き取れたら「嘘だよばーか!」とでも言って、また別の手を考えればいい。
 本を読んでいた笹岡は、ゆっくりとこちらに振り向き、今まで見せた事の無いような満面の笑みで答えた。

「YES ! ! !」

 そして、腕をからませ、赤く染めた頬を高田の肩に摺り寄せながら、抱きついてきた。クラス中が騒然となる中で高田の頭には、もう一つ父の忠告が浮かんでいた。

 「こっちには、ゲイが多いから気をつけろ」

 忠告は虚しく頭にこだまするだけで、二人の人気は期末テストまでにはどーにもする事が出来なくなっていた。


website: QUEEN


エントリ7  リメインド   神代高広



4月8日

 すべてが明るい色彩に包まれた公園のベンチに座り、僕は君にプロポーズをする。僕のプロポーズを聞くと君は顔をみるみる赤くさせ、少し考えてから小さく頷く。
 君と僕はベンチから立ち上がってデートをする。僕は街中の洒落た喫茶店へ君を誘い、明日の約束を漕ぎつける。ガラス越しの街は人々がせわしく動いている。それを君はぼうっと眺める。
 夕日が街を赤く染める頃、僕は君を駅まで送り届ける。
 そして人々が行き交う駅の改札で、君と僕は別れる。

7月29日

 君と僕は山道を登る。強い陽射しが葉っぱの隙間から零れ落ち、ちらちらと僕の目に飛び込んでくる。蝉の声は木擦れの音に紛れて少し寂しそうだ。
 君は僕の服の袖を掴んで立ち止まり、荒くなった息を整える。僕は君の肩に手を置いて水筒の水を飲ませると、君の真っ白な手を引いて歩き出す。少しすると木立に阻まれていた視界が開ける。君と僕は同時に感嘆する。そこには轟音と水飛沫をあげる巨大な滝がある。それを見ると、今度は君が僕の手を引いて駆け出し、一緒に滝壺を覗き込む。
 君と僕は滝を背景に、二十枚目の写真を撮る。

10月23日

 君と僕はいつもの公園のベンチに座っている。あたりはモミジやイチョウが濃く薄く暖色に染まり、みな遊歩道に身を乗り出している。
 君と僕は腕を組み、初めて出会ったときの話をする。
 遊歩道を若い夫婦が歩いていく。まん丸の目をした可愛らしい女の子が母親のズボンにしがみついている。君は女の子に向かって手を振る。すると女の子は顔を上気させ、母親の後ろに隠れてしまう。
 僕は君の横顔をしっかりと瞼に焼きつける。目を閉じると君との思い出が鮮明によみがえってくる。見上げた空は重くて灰色で、もうすぐで初雪が降るかな、と僕は思う。
 あと少しで、君との恋は終わる。

11月12日

 初雪の降る日、僕は君を殺す。
 真夜中、君を病院の裏手にある焼却炉に入れる。そこには君との写真をおさめたアルバムも入れてある。
 僕はマッチを焼却炉に投げ込む。炎が暗闇をゆらゆらと這っていく。僕はそれを見届け、焼却炉のふたを閉める。
 僕はその場にひざまずき、両手を組んで君を弔う。それに応えて焼却炉の中から、かんっ、という音が聞こえてくる。僕は君がまだ生きているのかと思う。しかし焼却炉はすでに数百度にもなり、それを確かめる術はない。
 やがて焼却炉の煙突から、煙が上がり始める。
 白い煙。君が笑う。





エントリ8  悲鳴   芦野 前



(…まただ)
 いつも通りに起きて、制服を着てから家を出て。
 ユミコと待ち合わせている同じ時間の電車の同じ車両に乗り。
 そしてまた、いつもの手が私の脚に触れている。
 
    キモチワルイ。

 一週間ほど前からだろうか。
 通勤ラッシュというほどすし詰めではなく、かといって空いているつり革があるわけではないこの電車で、私は毎朝チカンに遭い始めた。
 その手はそれ以上大きな動きをとることもないが、時々の揺れにあわせ、だんだん上の方…太ももの方へと、ずらされてくる。
 膝上十二センチのスカートから伸びている私の脚は、まともにそいつの体温を伝える。
 やめて。私の性は、こんな風に扱われるためのものではない。
 叫びたいけれど、声は出さない。
「でさー、昨日もトモ君がミッキー取ってくれたんだ−」
「ああ、新しいゲーセン?また行ったの?」
 私は今、ユミコと普通に会話をしている。
 これもまた、いつも通りの日常。
 チカンに遭ってるなんて知られたくない。
 このままで、いい。
 それに、もしかしたらチカンではないのかも知れない。
 毎日、偶然誰かの手が当たってしまっているだけで。
 もし本当にチカンでも、駅員に信じてもらえないかも知れないし。
(そんなのだったら全部、格好悪い)
 だから心の中だけであらん限りの声を出して、叫ぶ。

    キモチ、ワルイ。

 カタタン、カタタン。
 前のシルバーシートにはちんまりとしたおばあさんが眠っていて、その隣のOLは鏡に向かい首を前に突き出し、あとちょっとでシワの出来そうな肌に必死でファンデを塗りたくっている。
 右横のメガネをかけた学生は連絡扉に体重を預けて単語帳をめくり、そして、ユミコの話は尽きることがない。
 誰も、助けてはくれない。
 手は、相変わらずぬるい温度を持ったまま私の脚にはりついている。

 不意に、ドアの近くで母親に抱かれていた幼い子が泣き出した。
 自分の側のドアが開いて、びっくりしたのだろう。
 うわああん、うわああん。
 その泣き声はとても純粋だ。
 迷惑そうな視線が子供に集まる中、私は一つのことを考えていた。

 本当に、格好悪いことは何。
 こんな恥辱を受けてまで、声一つ出せない私は何。
 都合の良い言い訳に逃げ続けていたのは誰。

 
 また電車が揺れ、私の脚の上の手は確かなベクトルをもって私の中心に近づいてくる。
 そして私は強い目で、脚に触れていた男の手を掴み、大きく息を吸い込んだ。





エントリ9  お前と言う名の現代人へ   夢野ねこべ



 そう、これ。うちにあるのは昔よく使われてたストーブ。灯油を入れて、マッチで火を付けるの。真ん中に筒みたいのがあってさ。あれがだんだん真っ赤になってあったかくなるストーブ。珍しいだろ?今じゃ見ないよね。最近は赤外線だとかマイナスイオンだとかが流行ってて、ほとんどが電気ストーブだし。あっ、点けるんならこれ乗っけといてよ。部屋が乾燥するからさ。

 そう言って、俺は水が入ったやかんをお前に手渡した。

 お前の家にはないだろ?こういうストーブなんて。え?うらやましいなぁ。床暖房ってあったかいんだろ?やっぱ一流企業に勤めてる親を持つと違うよ。うちなんか万年貧乏。親父が自営業だからなぁ。今時もうかんねぇよ、金物屋なんて。百均が近くに出来ただろ?もうそれで商売あがったりだぁ。

 「確かに。」とお前は言う。俺はごろんとその場に寝ころんで足を組む。

 でもさぁ、それでも店を諦めない親父のひたむきな姿?って言うの?そう言うの見てると俺ももうちょっとがんばんなきゃなぁって思う訳よ。ん?親父の話?この間もしたっけ?やっべー、全く覚えてねぇ。そんなに親父好きって程でもないんだけどなぁ。まぁ、嫌いじゃないけどね。

 ケラケラと俺の笑い声だけが部屋に響く。お前は僕を見下ろす。

 俺、一人っ子だからさ、ゆくゆくはこの店を継ぐ訳よ。親父とかは大学行けとか言うんだけど、知ってると思うけど俺頭悪いじゃん?どこにも受け入れてくれないと思うのよ。だから、さっさと大学行くこと諦めて店を手伝おうと思う。でも、俺だって小さくて潰れそうな金物屋の主人なんかで一生を終わらせたく無いわけ。俺の代になったらこの「山下金物店」を日本一の大型雑貨店にするつもりなんだよ。

 俺の話を、お前はつまらないおとぎ話を聞くみたいに黙って聞いていた。
 
 バカにしてんだろ?ウソつけ、絶対バカにしてんだ。お前みたいに一流大学、一流企業って約束されてるヤツにはバカが夢見てるみたいだろ?でもなぁ、俺は企業の駒になってちょこまか動くのはまっぴらゴメンだ。儲からなくてもいい、俺の人生だ!駒で終わるような生き方はしねぇ!

 やかんがピーッと言ってお湯が沸いたと合図する。

「お湯が沸いたよ。」
 お前に言われて妙に力んでた自分が恥ずかしくなった。
「あぁ、このストーブお湯がすぐ沸くんだ。茶でも飲むか?」
「うん、ありがとう。」
 
 茶が、妙に苦かったのを覚えている。