第3回中高生3000字小説バトル
Entry3

隆くん、日曜の脳みそ

 肉を買いに外に出た。外は激しい雨。関係ない、と僕は玄関前で呟いてから傘も差さず走り出した。直きに雨に濡れた衣服が胸やら脹脛やらに張り付いて走りづらい。そして後悔。これで肉屋、休みだったらどないしょう。休みじゃなくても、言われた通りの牛バラ肉三百瓦を買って、それを手ぶらで来た僕はどうして持って帰ろうか。上衣の中へ入れたって、土砂降りの雨は既に僕の衣服全てをびしょ濡れにしており、その汚水を牛バラ肉三百瓦が浴びることは必至。結句、後悔&懸念。家を出る前によく考えていれば雨に於いて、肉を持ち帰る手段に於いての準備をしなきゃいけんことは容易に思いつくのであって、そうすりゃこんな後悔と懸念とびしょ濡れにぐちゃぐちゃにされずにすんだのに。ああ、悔しったらありゃせん。ありょせんわ。って心の中で、何度も何度も。
 それでも走り続けてる僕ってのは、いや、俺ってのはあれだね、美学だね。って己の、いや、おんどれの阿呆に対しての負け惜しみと、ナルシシズム。前髪の先から落ちる雨水なんだか汗なんだか、まあ混じってんだろうけど、額から鼻筋へ。びみょーにかいー。右手の爪でその辺りを掻いて、ついでに前髪を掻き上げた。
 肉屋までは程遠い。んな気がした。
 ほんと何で傘も差さんと手ぶらで、しかも徒歩っていうか徒走?で家を出たんだろう。またもこみ上ぐる後悔&懸念。そして負けの美学。ついでにびみょーにかいーを繰り返しながら、もう十分以上走ってんだけど、肉屋は未だに見えてこない。おっかしいなー。そういや俺、あの肉屋、一回しか行ったことねぇんだったなー。しかも五年くらい前だ。その日も雨だったけ。

 民家とそれを囲むブロック塀に両側を挟まれた真っ直ぐな道、等間隔に十字路。隣町。こんな民家の密集地に本当に肉屋なんてあったっけか。
 七度目の後悔&懸念の時、僕は七度目の十字路に差し掛かった。前方左角にある電柱の前で足を止めた。吐く息が白い。梅雨の昼下がり。電柱に、緑に塗装され、縦書きで文字の型がプレスされ、その上だけ白く塗装された鉄板が張り付けてある。“襤褸ヶ丘七丁目”。ナントカガオカナナチョーメ。読めねえよ、うら。って呟いたけど、雨音が全部掻き消して、全部流されてった。
 靴がぐちょぐちょいっている。上衣がぺたぺたいっている。
 このまま真っ直ぐ行けば、見たところまだ三つか四つ十字路があると見られて、突き当たりはT字路になっていたが、ここで僕はふと右に曲がることにした。代り栄えしない民家とブロック塀。しかし、違った。何が違ったかっていうと、それはこのアスファルトの地面。走るの止めて、もう歩くことにしたんだけど、程無くして地面が罅だらけとなり、先を見やるとその割れ目は次第に大きくなっていって、そこから無数の雑草が生い茂っている。雑草の力がアスファルトを押し割った様。最終的には民家の列は途絶し、アスファルトは消滅。それより先は雑草の背丈が高すぎて見えない。おまけに、いっちゃん端の民家の半分は雑草の茂みに飲み込まれてら。
「うわっ、なんやこれっ」
 こんな気味の悪い光景を前にしても、僕は関西人でもないのに関西弁風に言っちゃうってのはこれ、余裕だな。
 って嘘つけ。だいたい本当に余裕のある人間ってのは自ら余裕だなんて言葉を出したりせん。そうと解っていながらも、僕は頭ん中で、余裕だって何度も反芻していた。歩みは既に止めちゃってたけどね。余裕だ。余裕だ。帰りたっ。
 僕は踵を返し、今度はやや速足で歩き出した。はい、嘘つけ其ノ二。“やや”っていうのは強がりの現れ。真似事しかできねえくせに、文学青年ぶってんじゃねえよ、ドアホ。はい、すいません。明らかに怯えていました。もう牛バラ肉三百瓦なんてどうでもいいや。閉まってたことにしよ。固い決意。
 どうやら左に曲がっていても、同じように町並は途絶していたようだ。十字路へ戻りながら見た前方。今再び俺、十字路。視界の広さに僕、安堵。
 もう走るのは止めた。歩いて帰ろう。斎藤和義の唄だ。僕はそれを口ずさみながら、帰ることにした。はっしるぅまぁち、を、み、おーろーしぃてぇー……サビのリフレイン。次第にデクレシェンド。雨と共に。

 気付いたら日光。つっても、もうかなり西日。さっきは走って通り過ごした十字路六つ。今度はそれに差し掛かる度に、左右の道を確認して歩いてった。ナントカガオカを抜け出た。僕が見たのは十四の途絶。
 ぼろきれの端みてえだな。と思った。ぼろきれヶ丘だな。って僕は命名したんだけど、おそらくそんな町名は多くの人に用いられるわけでもなく、友達の間だけで用いられたりもしない。なぜなら僕はこの町名を誰にも公表する気はないし、第一、あの町にはちゃんとした正式の名前があるからだ。ちゃんとした、町の風土、歴史、産物等に由来した、古人のセンス溢れる名前が。襤褸ヶ丘、読めないけど、そんなイメージ。

 空が朱い。雨上がり、アスファルトの臭い。匂い。濡れた上衣の胸元からこみ上ぐる汗の臭い。匂い。生温い風。明日には消える水溜まり。明日には忘れる“ぼろきれヶ丘”。得体の知れぬ満足感が僕を満たしていた。
 自分の町、見慣れた町。こうして町が雨に濡れていて、普段とは違う趣であっても新鮮なことはない。この町に住み始めて八年ぐらい。だってのに、隣の町にも碌に行ったことねえってんだから情けない。僕は晴れの日のぼろきれヶ丘を知らないんだわな。それって結構すごくねえ?この町に八年住んでる人のうちそういう人、あと何人いっかな。って、んな事考えたって誰かに話すわけでもないし、学校の宿題でもないし、面接で聞かれるわけでもない。要するに無駄な事。そんなで頭を充填させているのに、家路を正しく、右。左。これぞ人間の学習機能っていうか、帰属本能っていうか、ま、そんなことは犬でもできるけどね。
 帰り掛けのコンビニで五百円のビニール傘、税込み五百二十五円を買った。漸く家の前。帰宅する前に、家の向かいのスーパー神崎で牛肉を買って帰った。夕飯の焼き肉は美味かったなあ。午前一時、至福の入眠。明日から俺って合理的。仕舞い忘れのストーブが、暗闇・静寂の中で、ごくん、って灯油を飲んだのを覚えています






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