ある所に一人の少女がいました。 少女は目が見えず、世界を知りません。常に闇に閉ざされた世界が彼女のすべてでした。 海にいけば闇の世界でさざ波をきき、町へ行けば風とともに流れてくる焼き立てのパンのかぐわしい香りに闇の中で胸躍らせました。 そんな少女にある時、目の見える一人の男がききました。 ”世界を、光を見たいとは思わないのか?” と。 その言葉に少女は笑って答えます。 ”世界に光があるというなら、きっとそこには人間はいないのね? すてきな世界だわ。そんな美しい世界なら、私はこのみえぬ目で見たいと思うわ” と。 少女にとって世界は闇ばかりでした。光があることも知っていましたが、光だけではないこともよく知っていたのです。 だから闇の中で光を感じることができなくても、見ることができたのです。 故に再び、男に向かって笑いかけます。 ”世界には目に見えなくても闇と光があるわ。光だけ見ることだけなんてかなわないなら、私には目に見えなくても心で見ることができているから、必要ないのよ” 男が唖然として、少女の言葉をただ考えている間に、少女は再び笑い、焼きたてのパンの香りのするほうへと歩いていきます。踊るように、憂うように、すべてを見透かしてしまっているかのような足取りで。 少女にとって世界は闇でした。光があることを知っていても、少女にとっては それはたいした光ではなかった。それだけのことなのでした。 軽い足取りでその場を去る少女の背中を見つめながら、男は考えた。 ――なら、オレがすることは何だ? 闇の中でただ光だけを見つめ続ける少女に向けて。 ――俺ができることは、何だ。 そんなの……決まっている。 「なぁ、あんた」 男は、その少女の背中に声をかけます。 そうすると、少女はピクリと背中を跳ねさせ、 「なんですか?」 先ほどと同じ笑顔で振り向きました。 「――世界を、光を見たいとは思わないのか?」 先ほどと同じ質問。 少女は僅かに眉を寄せました。 今まで…少女に向かって何度となくされてきた質問。 それに、何度も同じ答えを返してきた少女でした。 対外はこの答えを聞いたものは、唖然とするか、激しく憤るか…いずれにしても少女にもう一度関わろうとする者はいませんでした。 「光を見てみたい、と、本当に思わないのか?」 もう一度繰り替えされた言葉。 少女は、自分でも良く分からないような不快感を、その美しい顔に深く掘ります。 「私の世界はここに在る。それ以外の世界なんか要らない! 本当の世界が光だけではないのなら、そんな世界要らないっ!」 男はその答えを聞いて声を上げて笑いました。 「何が可笑しいのよ! …貴方こそ私が見たくないものの一端だわ」 男は答えます。 「――なら」 ――それならば。 「オレは意地でもアンタに、このオレが見ている世界を見せてやりたくなった」 「――な?」 少女は唖然とします。 世界は光ばかりではない。 暗闇の中から、ただ光だけを見て過ごすことを選んだ――この少女に。 「本当の意味で”世界”を…”光”を見せてやりたくなった」 そう言って男は少女に手を差し出します。少女は気配でそれを知ることができました。 その手をとることは、太陽を触るよりも熱く眩しいだろうと少女は思いました。 男はただ、手を差し出したまま何もいいません。 少女は困ったような、ほんの少しだけ嬉しそうな微笑を浮かべて、ゆっくりとその手をとりました。 その瞬間、少女は感じました。 まだまだ小さな小さな でも、これから大きくなっていくであろう日差しのような暖かな ”光”を
ガタンゴトン…ガタンゴトン… 次の停車駅は… 電車の揺れる音とアナウンスをボーっとした頭で聞き流しながら、 満員に程近い車内で俺は彼女を少し抱き寄せた。 彼女は気にする風でもなく少し身を捩じらせて居住まいを正すと、 ぽてん。 と俺に身を預けて来た。 身長150cmにも満たない彼女はつり革よりも俺を支えに所望するようだ。 そんな彼女が傍にいる、それだけで俺に心地よい満足感と安心感を与えてくれる。 掴めば壊れてしまいそうなほどにか細く儚い存在だというのに、 この気持ちをなんと言葉にすればいいだろうか? と俺が少々ロマンチズムに浸っていると、 『ん?』 どうしたの? と言う風に彼女が俺を見上げてくる。 「いや、小さいなぁって」 『んー?』 後ろに怒りマークが出てきそうな顔を近づけてきた 笑顔がとても怖いので俺は慌てて訂正した。 「ごめん、言葉が足りなかった。えっと、小さいのに大きいなぁって」 さっき湧き上がった感覚はすごいとか大きい、そんな言葉がしっくり来るような気がした。 彼女は良く意味が伝わらず顔一杯に ? を浮かべていた。 色んな方に首をひねりながら悩んでいたが、 路線案内、栄養ドリンク広告、アイドルのスキャンダルへと視線をめぐらせると、 下を向いて一つの結論に思い当たったらしい。 預けていた体を少し浮かせると小さな声で呟いた。 心なしか顔が赤い。 『スケベ…』 あれー? そんなこと考えてなかったんだけどなぁ。 俺が言ってるのはそういうことじゃなくてな と言おうと思った矢先、 「『うぁ』」 列車が揺れて彼女が胸元に突っ込んできた。 慌てて俺が頭から抱きかかえると顔を埋めたまま、くぐもった声で呟きだした。 『そういう君は大きい』 そりゃあ彼女に比べれば大きいだろうが平均ぐらいだと思うのだがなぁ。 言おうとすると俺の背中に手を回し、 『大きいくせに実に小さい』 と良く解らないことを口にした、 間違っても下の事ではない事は確かだが…、 『そして私にはちょうどいい』 ぐりぐりとへそのあたりに拳を押し付け、 俺が考えるのを邪魔する彼女。 ちょうどいいって何だろう? 「どういうこと?」 と聞いてみたけれど、彼女はフンと鼻で笑っただけだった。 自分で考えろということらしい。 まもなく、終点です。お降りの際は… 考えているうちに駅についてしまい、 結局、俺にはどれ一つとして何のことか解らずじまいで、 電車を降りてしばらく歩くと、今日の晩御飯のことで頭が一杯になっていた。
私が好きな人は、天才です。普通に頭が良い男はその辺にゴロゴロと石ころのように転がっているけれど、彼の場合は違う。自分の興味のあることに対する探究心が物凄くて、本当に一日どころか一週間寝ないで研究をし続けるような人で、厳しい教授でさえ「開校始まって以来の天才だ」と彼に賛辞を送るほど、彼は天才で、有名人。 彼が自分の研究対象に半端じゃない興味を見せるのと同じように、私は彼に興味を持った。 自慢じゃないけど、私は自分の顔には自身があった。頭だって悪くない。歩いていたら必ず男の子から声をかけられるし、ミスコンにだって選ばれた。絶対に、彼と上手く行くと思っていた。 それなのにどうして、私が告白する前に彼女なんて作ってしまうんですか…? 彼の彼女はごくごく普通の人だった。顔はまあまあ可愛いけど十人並みだし、理系の彼とは違って彼女は文系だし、話を聞くとごく普通の成績。 彼ほどの天才につりあうとは思えないほど、一般的な女だった。 「先輩!」 二人で仲良く大学の中庭を歩いているのを見つけた私は、思わず背後から声をかけた。そして、二人で振り返って私を見ると、先輩はのほほんとした笑顔を私に向けた。「先に行ってて」と彼女に声をかけると、先輩の彼女(認めたくないけど)は頷いて私に会釈をしていってしまった。 「どうしたの?」 先輩は私に暢気な笑顔を向けた。 「…今の、彼女ですか?」 「うん」 先輩ははっきりと肯定した。 「似合ってないですよ」 私は自分でもビックリするほど意地悪くそう言ってしまった。すると、先輩は怒った様子もなく、ふわりと笑った。 「そうだよね。俺もそう思う」 「え?」 「俺ってほら、変わっているから」 にっこりと笑ったまま、先輩は話を続けた。 「皆俺を変わり者扱いするんだ。でも、あの人だけは俺の事“普通”って言ったんだよ」 そういった先輩の顔は、今まで見た事が無いほどに穏やかで、幸せそうで、とても――普通の男の人の顔だった。 「…それくらい、私だって言ってあげたのに」 「え? ごめん、聞こえなかった」 小声で呟いた私に、先輩は顔を近づけた。私は先輩の耳元に、内緒話をするように口を近づけた。 「お似合いですって言ったんです!」 先輩は目を丸くして、それから満面の笑みで、私に言ったのだ。 「ありがとう」 と…。 そんな笑顔で言われたら、涙だって出ないほど、清々しい気分になってしまう。 先輩の、ばか。
「さて、次にご紹介するのはこちらです」 「まあ、ちょっと変わった形をしていますね」 「はい。こちら、業界基準の三倍の刃の鋭さを実現しました。剃刀に匹敵する、切れた事が分からない程の切れ味です」 「へえっ、でも、それじゃあ危ないんじゃないですか?」 「その為のこの形です。右でも左でも持ちやすく、更に刃にガードが付いていまして、うっかり深く切ってしまう事がありません。切れ味の劣化も、このように刃を折ればすぐに元通り。お洒落な色とデザインで、お部屋に飾っても違和感がありません」 「本当、机の隅や本棚にあっても素敵ですね!」 「今回はこれに、使い方説明のビデオをお付け致します」 「刃物は扱いが難しいですから、これは嬉しいですね」 「はい。このビデオを見れば、どなたでも安全に間違いなく使用出来ます。初級者編と上級者編の二部構成で、DVDとVHSの二本セットになっています」 「VHSしかないお家でも安心ですね!」 「今回は八九八〇円でご奉仕させていただきます!」 「ええっ! 一万円でお釣りが来るんですか?」 「更に今回は、オシャレで便利な収納ポシェットもお付けします」 「まあ、とっても素敵ですね!」 「外出先で、ちょっと必要になった時も、これで安心です。ポシェットのデザインは四種類です」 「この蝶の柄なんか、私の娘なんか喜びそうですね」 「こちらのブラックのタイプは、男性のスーツにも調和します」 「このポシェットも付いて?」 「はい、送料込みの八九八〇円です!」 「そんなにお安くして大丈夫なんですか?」 「自社工場を中国に作り、大量生産を行う事でコストダウンに成功しました」 「なるほど! では、使った方の喜びの声です」 「『こういう商品を待っていました』『安全でとっても重宝しています』『あんまり使い勝手が良いので、まとめ買いしちゃいました』『切れ味が最高です』『見ていると落ち着くデザインですね!』等々、多数寄せられています」 「商品番号七番、リスト用カッターでした!」 「お電話は番組終了時にお伝えします!」
唐突だが、僕は今、武装した男3人によるバスジャックに合っている。奴らは拳銃を持っており、他の乗客は僕を含め15人くらいだ。 「このまま、指示通り空港につけば、皆、解放してやる。だが、抵抗しようものなら……」 人質である乗客は、無言で頷く。きっと誰も抵抗するはずはない。そう、僕以外は。 「すみません」 僕は言う。 「何だ、お前は!!」 犯人は、あからさまに苛立っている。乗客達は、怯えた目で犯人と僕を交互に見た。 「無事、空港につけば、本当に僕達は解放されますか?」 「はぁ!?」 「殺されない、という保証は?」 「貴様、殺されたいのか!?」 犯人のうちの一人が、僕のこめかみに銃口を当てたが、僕は冷静だった。 「おかしいですね。僕は、今、質問をしているだけです。それなのに僕は殺されようとしている」 「おかしいのは、てめぇの頭だろうが!!」 犯人は、僕の頭を銃で殴ると、高笑いをした。 「ははははは……ふぐっ!!」 僕は犯人の一人の顔に、特大のパンチをお見舞いすると、銃を奪い取り、そいつの頭に押し当てた。 「無駄な抵抗はやめてください。仲間が死にますよ」 「へっ、へへっ。やれよ」 慌てた様子でヘラヘラと笑う仲間の顔は、気の毒なほど見苦しかった。 「今、何と?」 「殺せ、と言ったんだ」 「はい。じゃあ、殺しますね」 引き金を引いたが、弾は出てこなかった。 「やっぱり。この銃は、偽物なんですね」 「だ、黙れ! こっちのは本物だよ!」 他の二人が僕に銃を向けた。 「いいですよ。じゃあ、僕を撃ってください。遠慮なく」 「くっ」 「ほら、撃っていいんですよ」 彼らは、撃っては来ない。ほどなくして、犯人達は捕まり、乗客達は全員無事に解放された。 僕は、乗客の命を救ったヒーローとして、取材を受けた。 「あなたは、とても勇敢だったと聞きました」 「いいえ、そんな事はないです」 「銃を向けられても、物怖じしないで冷静だった、と。やはり、あれが偽物の銃だと分かっていたのですか?」 「いいえ、途中で気づきました」 「犯人をねじ伏せる自信があったと?」 「いいえ、僕は、体力に自信ないですし」 「勝算もなく、無謀にも立ち向かったという事ですか?」 「そうですね。僕だけが死ぬのはいいけど、他の人達が死ぬのを見るのは、心が痛いですから」 「え?」 「あ。僕、自殺するために、樹海に行こうとしてたんです」 「……」 「取材、終わりました? では、行きますね。さようなら」