青野岬

女神の秘密

 今日もまた、あの姉妹がテレビに出ている。
 何年か前にファッション雑誌の読者モデルとして登場して以来、すっかり有名になってしまった。今や「叫姉妹」はセレブの代名詞となり、単なるファッションリーダーを越えた現代の美しき女神(ミューズ)として君臨している。
「昌子さんも里香さんも本当に輝くばかりのお美しさで、間近で見ていてもため息が出てしまいますねぇ」
「ありがとうございます」
 司会者の言葉に、姉の昌子さんは大輪の薔薇のごとく艶やかに微笑んだ。その隣では妹の里香さんも、真っ白い胡蝶蘭のように静かに寄り添っている。麗しい昌子さんと、清楚な里香さん。ふたりは本当に絶妙なコンビだ。
「それでですね、あの……視聴者の方から、こんな質問が届いているのですが」
 姉妹の隣に立つ司会者が、そう言いながら一枚の葉書を読み上げた。
「叫姉妹の豊満なバストは実はニセモノだって噂をきいたんですけど、そうなんですか? とのことなんですが……」
 すると画面の中の昌子さんはおほほほ、と高らかに声をあげて笑い、豊かな乳房を揺らしながら悠然と答えた。
「そんなことは、わたくし達にとって本当に些細なこと。プランクトンよりも小さなことですわ」
 素晴らしい。私は神々しいほどの輝きを纏った姉妹の姿に見とれた。美しくなりたい。叫姉妹のようになって人々を圧倒したい。足元に跪かせたい。私は「もう一人の叫姉妹」になろうと心に誓った。

 私には子供がいない。
 子供どころか、結婚もしていない。歳は今年四十になるが、普通の四十歳と比べても肌にハリがあるほうだと思う。美容に関する記事には必ず目を通すようにしているし、お手入れには膨大な手間と時間をかけている。幸い独身なので、仕事で稼いだお金は全て自分のために遣うこともできる。
 私はこれまでに増して、叫姉妹の情報を集めようとやっきになった。テレビや雑誌、著書はもちろん、インターネットを駆使して叫姉妹に関するありとあらゆる情報をかき集めた。そして、できる限り実践した。
 自力で美しくなるのにも限界がある。それを悟った私は美容整形にも挑戦した。
 手始めに瞼を切開して大きな二重に、鼻にはインプラント(人工軟骨)を入れ、顎の骨を削り、リフトアップのためヒアルロン酸を注入した。そして胸には大腿部から吸引した脂肪を注射して、憧れだった豊満なバストを手に入れた。
 それでも私は叫姉妹になることはできなかった。外見はそれなりにグレードアップしたはずなのだが、人をひきつけるオーラがない。叫姉妹の持つ、あの神々しい目もくらむような強い輝きが私にはないのだ。
 このままでは埒があかない。会おう。叫姉妹に会って直接、話を訊こう。私はそう思い、さっそく叫姉妹の活動スケジュールを調べた。そして某超高級ホテルでのディナーショーのチケットを手配した。

「皆様こんばんは。今宵はわたくし達と、素敵な時間をお過ごしくださいね」
 間近で見る叫姉妹は、言葉にできぬほどの美しさだった。私も精一杯のお洒落をしてこの場に挑んだはずだったけれど、足元にも及ばない。
 やがてショーが終わり、客が次々と席を立った。それでも私は最後までテーブルに残り、叫姉妹の動向を窺っていた。
「あの……私、ぜひ叫姉妹様にお聞きしたいことがあるんです」
 ディナーショーの観客が最後のひとりになったのを見計らって、私は叫姉妹のもとへ駆け寄った。
「私、何でもします。お金だって払います。……だからどうか、その美しさの秘密を私に伝授していただけませんか……お願いします!」
 夢中だった。
「ちょっと君、いきなり失礼じゃないか」
 里香さんの隣に立っていたクールな顔立ちの若い男が、とっさに私を制した。それでも私はなりふり構わず、叫姉妹に掴みかかる勢いで必死に懇願した。
「君、あんまりしつこいと警察を……」
「待って。よろしくてよ」
 それまでじっと成り行きを見守っていた昌子さんが、私に向かってにっこりと微笑んだ。
「わたくし達と一緒にいらっしゃい」

 私達を乗せた黒塗りのキャデラックが停まったのは、山の中の瀟洒な洋館だった。
「ここは……?」
「わたくし達の秘密の別荘よ。さあ、こちらへどうぞ」
 姉妹の纏う強い香水の匂いを嗅ぎ続けたせいか、頭の芯がくらくらする。私はゆっくりと車から降りると、ふたりの後に続いて歩きはじめた。
 建物の中は豪華なシャンデリアや大理石の家具、そしてむせ返るほどの薔薇の花で満たされていた。まるで映画のセットのような現実離れした光景。
「わたくし達のお城へ、ようこそ」
 そう言って里香さんが私に差し出したのは、小さなシャンパングラスだった。中には淡いピンク色をした液体が入っている。とてもいい香りだ。私はグラスを受け取ると、一気にそれを胃の中に流し込んだ。
「それであなた、わたくし達の美しさの秘密をぜひ知りたいと仰るのね?」
「ええ! よろしくお願いします」
 私は思わず立ち上がり、叫姉妹に向かって何度も頭を下げた。
「そう……。それでは着ている服を全て脱いで、こっちへいらっしゃい」
「全部、ですか」
「そう全部、よ」
 私は戸惑いながらも服を脱ぎ、全裸になった。途端に、きつい薔薇の香りが全身に纏わりつく。昌子さんがドアを開けたその向こうには、信じられない光景が広がっていた。
「これからここに、わたくし達と一緒に入るのよ」
 部屋の真ん中には巨大な浴槽があり、中は茶色っぽいゼリーのようなもので満たされている。驚いて指先で触れてみると、ぷるぷると弾力のあるそれはひんやりと冷たかった。
「これは……何ですか」
「フランス語でジュレ……つまり日本の煮凝りみたいなものかしら」
「にこごり?」
 共に全裸になったふたりに両手を取られ、私は不気味な浴槽の中に足を入れた。じゅぶじゅぶとした感触が、徐々に私の体を飲み込んでゆく。叫姉妹はゼリー状のそれを両手ですくっては、うっとりと全身になすりつけている。そして驚いたことに、手ですくったものをそのまま口に運び始めた。
「食べるんですか? これ」
 おそるおそる私が訊ねると、里香さんが煮凝りをパックのように顔に塗りながら答えた。
「この中にはコラーゲンがたっぷり溶け出しているのよ」
「コラーゲン……ですか」
「そう。コラーゲンはたんぱく質の一種で、あらゆる動物の骨や内臓や血管に含まれているの。それを煮出したものを冷ますと、こうしてゼラチン状に固まるのよ」
 この浴槽は、どうやら巨大な鍋の代わりのようだった。なるほど叫姉妹の美しさの秘密は、まさにこの大量のコラーゲン摂取にあったのだ。
 でも、この大量の煮凝りは一体何を煮て取り出したのだろう。肉にしたって、とてもたくさん必要になるに違いない。さっきから足元に触れる柔らかい塊はまさか……。
「本当はもっと若い娘が良かったけれど……まぁ仕方がないわね」
 昌子さんがそう言って、いきなり私の体に覆い被さってきた。抵抗しようにも、体が変に痺れて動かない。もしかしたら、さっきのシャンパンに何か入っていたのかもしれない。私は残された力を振り絞って、必死に抵抗した。
「こんな……これは犯罪ですっ」
 するとふたりは大声で笑い、私の頭を押さえつけながら昌子さんが言った。
「そんなこと、わたくし達にとってはプランクトンよりも小さなことですのよ」
 その笑顔は女神のように美しく、背筋が凍るほどに冷たかった。

○作者附記:「叫(さけび)姉妹」のモデルになったのは、もちろん日本一有名な、あの姉妹です(←バレバレ)


タイマンtopに戻る