太陽 地上
るるるぶ☆どっぐちゃん
「どうした」
名を呼ばれていることを、僕は気付いた。
「はいっ」
手を挙げ、係員の前へと進む。
「どうした?」
係員は僕を覗き込みながら言った。
「どうしたんだ? ぼうっとして」
「いえ」
「怖いのか?」
係員は見せつけるように拳銃を僕の目の前にかざした。
「これが、怖いのかい?」
「いえ」
僕はそれを見つめ、答えた。
「怖くないです」
拳銃は黒く塗られていた。均一で几帳面な黒で、だから僕は、あの人の髪の色にそっくりだな、と思った。
「そうか」
係員は僕の返事に微笑みを浮かべた。優しそうな、テレビで見かけるような笑顔だった。その笑顔のまま、僕に拳銃を手渡す。
拳銃は重かった。当然だった。拳銃には弾が百二十発入っている。つまり人を百二十人殺せる。重いのは当たり前だった。
「頑張るんだぜ」
「はい」
僕は答え、拳銃を懐に仕舞った。
「次」
「はいっ」
僕の背後から声が響く。僕は歩き出し、部屋の外へと出た。
外は涼しかった。僕は一つ深呼吸をする。
「凄いよな」
廊下には何人かが固まって話している。
「ああ」
「これで一人前だ」
彼らは貰ったばかりの拳銃を構えながら言った。貰ったばかりなのは拳銃だけでは無かった。真新しい服もそうだったし、ぴかぴかの革靴もそうだった。
「ふふ。思ったよりさ」
女の子が一人混じっていた。女の子はその細い片手で、遠くに向かって銃を構えている。
「思ったよりも、これはずっと軽いわ」
そう言って女の子は楽しそうに笑った。
「おい、どうした」
彼らの一人が僕に気付いた。
「ねえ、こっちに来たら?」
女の子が僕を振り返り、呼びかける。
「ああ」
僕は答え、歩き出す。
「どうした?」
振り返らずに、男は言った。
今日は随分同じ事を聞かれるな、と僕は思った。
「どうした? いつもは来るなりうるさくするのに」
「別にどうもしないよ」
「そうか」
男は僕と会話をする間も、手を休めることは無かった。
僕は手に息を吹きかける。ここはいつも寒い。他の場所は寒さなんて感じないのに、ここだけはこの街で別だった。
僕は空を見上げた。青空だった。太陽も照っている。だけどここは寒い。僕は視線を下げる。そうすると、青空はすぐに途切れる。そしてそれが目に飛び込んでくる。
巨大な白い壁。これがこの街の果てだ。
「今日は天気が良いな」
男は、壁の作る影の中にそっくり隠されたまま言った。
「そうだね」
僕は答える。
男は手を休めようとしなかった。壁に向かって男はせわしなく手を動かし続けている。
男は壁に花を描いていた。
赤い綺麗な花だった。僕はこんな花は見たことが無かった。
(何を言っている)
僕の言葉を、男は笑った。
(今でも街中に咲いているじゃないか。見えないのかい?)
そう言って男は街を指差したのだった。
「ねえ」
男の背へ、声をかける。
「なんだい」
男は振り返らない。
花の占める割合は、この前見たときよりもかなり広がっていた。もう既に花園と言っても良い広さだ。そしてそれでも花園は、壁の一パーセントさえ埋めていない。
「いつまで続けるの?」
「何が」
「何って、その絵だよ」
「ああ。そうだな」
男はようやく手を止めた。
「いつまで続けるんだろうな。考えてなかった」
そう言って、ようやく男は僕に振り返った。
「適当なんだなあ本当に」
僕は呆れ、言った。
「そんなんで大丈夫なの?」
「さあ、どうなんだろうな」
男は人事のようだった。
「どうなんだろう」
「駄目だよそんなんじゃあ」
僕は懐に手を伸ばした。手は、冷たい感触にすぐ辿り着いた。
「ほら。これを御覧よ」
僕は拳銃を懐から引き抜き、男の前にかざした。
「僕はこいつを貰ったんだよ。どうだい、凄いだろう」
男は何も答えなかった。ただ黙って僕を見ている。
「凄いだろう。ね」
僕は拳銃を構えながらもう一度言った。
「ねえ、これを御覧って」
僕がそう言いかけた時、男が急に僕に向かって手を伸ばした。
「あ」
避ける間も無く、男の僕の手から拳銃を抜き取った。
「ち、ちょっと」
「重いんだな最近の銃は」
男は、ぽつりとそう言った。
「え」
僕は何かを言いかけた。口を開く前に、男は僕の手の中へ拳銃を戻した。
「重いよ。俺には重過ぎる」
男はそう言うと僕に背を向け、再び壁に向かった。そしてパレットと筆を手にし、再び絵を描き始める。
「重いかな」
僕はやっと口を開いた。
「ああ、重いな」
「重くないよ」
僕は言い返した。
「重くないよ。重くない。軽いよ。拳銃なんて、僕には軽いさ」
「そうか」
男は手を休めなかった。
「僕は重くないよ。全然、全然」
「俺には、それは重過ぎるよ。これだって、俺には重過ぎるくらいだからな」
赤い絵の具のついた筆を持ち上げ、男は言った。
「そう」
「ああ」
「でもさ、でも向こう側には行きたくないの?」
僕は壁を指差した。
「向こう側に、行きたくないの? あいつらを倒したくないの? この壁を壊して向こう側に行きたくないの?」
男は何も答えない。
「ねえ、ねえ」
僕は執拗に、男を追うように言い続けた。本当に追いかけたかった。彼はいつも僕に背を向けて絵を描き続けているから。
「ねえ、答えてよ。ねえ」
「俺は」
男はようやく口を開いた。
「俺は、向こう側から来たんだ」
男は立ち上がり、壁に指を突きつけた。
「昔、人がいっぱい死んだよ。いっぱい死んだ」
男は壁に手をついた。
手をついた所には花が咲いていた。それはとても赤く綺麗な花だった。
「いっぱい、死んだんだ」
男はそう言って壁から手を離した。
何かを聞こうと思った。悲しくない? 寂しくない? 辛くない?
僕が慰めることは出来無い? 何かしてあげらることは無い?
そのような言葉しか浮かばなかった。
だから僕は、拳銃を懐に仕舞った。
「そろそろ行くよ」
「ああ」
男は一瞬だけ笑った。
「また、来るんだよ」
そしてそう言うと、彼は僕の返事を待たず、再び壁に向かった。
だから僕も何も答えず、ただ黙って頷いて、壁を背にして、歩き始めた。
戦果はひどいものだった。こっぴどくやれらた。それ意外に言葉は無い。銃を撃つ暇も無かった。何が起こっているのか、何処から攻撃されているのか、誰に攻撃されているのか、全く解らなかった。廊下ではしゃいでいたあの子達は戦闘が始まるとすぐに撃たれて死んだ。あの女の子は何かの爆発に巻き込まれて黒こげになった。僕はすぐに右目を撃たれた。そして左手。左足。助かったのは奇跡的だった。
「君は助かったよ」
あの係員が、あの時と同じような笑顔で、僕にそう告げた。
あれから随分経った。
テレビは華々しい式典の模様を伝えている。
今日、あの壁が壊されるのだ。
あの男はどうしただろう。男には結局、あれから会うことは無かった。
壁は子供達が振り下ろしたハンマーに、あっという間に崩れ落ちていく。
ちらりとあの男の描いた花園が映った気がした。映らなかったかも知れない。あの男の描いた花は街中に溢れていたから、それと勘違いしたのかも知れない。
壁は土煙を上げ崩れ落ちる。
壁の向こうには何も無かった。荒涼とした砂漠が何処までも広がっているだけだった。砂漠の先には、かつては美しかった太陽が、禍々しいその赤を輝かせている。
それでも僕達は、一歩を踏み出したのだ。
誰かが万歳を叫んだ。それに続いて一斉に万歳を叫ぶ声が広がっていく。
記念式典は、こうして始まった。