キャッチングセンター
ごんぱち
バンッ!
ボールがミットに飛び込み、派手な音を立てた。
「もう一セット!」
岡嶋尚弥はボールを捨てて、ミットを構える。
「大丈夫ですか、岡嶋さん?」
迷い顔で土田幸法が払い下げのピッチングマシンのスイッチに手を伸ばす。
「誰に口を利いてんだ」
「いや……まあ、やりますが」
ガラゴロと音をたてて、土田はボールを装填した。
射出口にボールが装填され――。
ボスッ!
スバッ!
岡嶋のミットは、身体の真正面でシュートボールを捉える。
続いてフォーク。
大きく沈む球を、岡嶋は難なく受け止める。
次は頭の上を越す程の球。
しかしこれも、岡嶋は的確に下がってキャッチする。
その後、十七パターンの中からランダムに、しかも方向の定まらない投球全五十球を、岡嶋は全てキャッチした。
「じゃ、そろそろ行きますか」
「おう」
岡嶋と土田は、練習場から出る。
すぐ近くの崖下から雲が見え、その隙間から街が覗く。
二人は強い風の吹く駐車場を横切り本館へ向かう。
本館は、古びた森林迷彩に塗られた二階建ての四角い建物で、門柱には『藍川県立第四キャッチングセンター』と書かれていた。
「今日は、どれぐらい来ますかね?」
土田の顔は、僅かに緊張で強ばっている。
「さあな」
岡嶋はゆっくりと肩を動かす。
「深谷さんみたいな事に、ならないと良いんですけど」
玄関に入り、右に入った廊下にはずらりとロッカーが並んでいる。
「怖がると余計に危ないんだよ」
岡嶋は、自分の名前の付いたロッカーを開ける。中には、黒光りする大ぶりなグローブと、プロテクターが入っていた。
「いっそ禁止でもしてくれりゃ」
「失業したいのかお前は」
岡嶋は手慣れた調子でプロテクターを着ける。
「んー、まあ、もう一回就職活動するのは真っ平ですねぇ」
土田の方はプロテクターを着け、ハンディパラボラアンテナと受像器を担いだ。
二人は、階段を昇り屋上の扉を開ける。
「おう、畑中、島本!」
屋上には、岡嶋と土田と同じ装備の二人組の中年男がいた。
「岡嶋さん!」
「遅いぞ、こら!」
振り向かずに二人は応える。全身汗だくになっていた。
「お疲れ様でした、代わります!」
「よし十秒後に代わるぞ、お疲れ!」
間を空けることなく、二人の中年男と、岡嶋、土屋は交代し、屋上に立つ。
屋上はテニスコート一枚分程。床は三十センチ四方のコンクリートブロックが敷き詰められている。
岡嶋は前に立ち、土田は後ろでアンテナを構える。
「――右四」
土田の言葉と同時に、岡嶋はきっかりブロック四枚分右に動き、グローブを構えた。
瞬間。
どがあああっ!
岡嶋のグローブが激しい衝撃音を発した。
「左一前七」
また土田から指示が出る。
岡嶋は衝撃から態勢を立て直そうともせず、指示の場所へ動き、またグローブを差し出す。
「まだ来ます」
ぱしっ。
「右四後四!」
土田の指示はよどみなく、岡嶋のフットワークは優れた軽量級ボクサーかダンサーのように軽快で、足音一つ立てず、態勢がどんなに崩れていてもよろめかない。
二時間が過ぎた。
岡嶋の全身から汗が流れているが、足取りは未だ軽い。
「岡嶋の旦那、土田君、そろそろ交代だ!」
屋上の扉が開いて、今度は背の高い若い男と、小太りの若い男の二人組が現れる。
「おお、助かる。十秒後に交代を――」
岡嶋が視線を動かさずに返事をしかけた時。
「お、岡嶋さん!」
土田が怒鳴った。
「でかいの来ます!!」
「んだと?」
「マジか、これ!」
「こんなの初めて見る、岡嶋の旦那!」
背の高い若者がグローブを構え、小太りの若者もアンテナを置いて予備のグローブを着けて進み出ようとする。
「引っ込んでろ、俺のタマだ!」
岡嶋はグローブを構える。肘を半分曲げ、ヒザを落とし、視線を真っ直ぐ前に向けた。
「前三! 右四……いや、右三!」
「見えてるさ。これだけでかいとな!」
何かに貫かれたように、雲に穴が空き、通過した直下の草木がざわめく。それは真っ直ぐに岡嶋達の方へ。
「来る」
岡嶋が歯を食いしばった瞬間。
どごおおおおおおがががががががああああっっっ!!
砲声にも似た音と衝撃が、岡嶋のグローブを鳴らす。
岡嶋は吹き飛びかけながら、どうにか靴裏のスパイクを床に引っかけ、もちこたえる。
「ぐっ!」
だが、岡嶋の体は反り返って、バランスが崩れかけていた。
グローブが裂け、プロテクターに無数の傷が付く。
「ヤバイですよ、岡嶋さん!」
岡嶋に触れようとした土田の指先は、弾き跳ばされた。
「痛っ!」
土田の爪が割れ、血が流れる。
「余計な、手を、出すな」
岡嶋は反り返った身体を背筋一つで押し返す。
余波で顔がひしゃげ、鼻と唇が広がる。
「こいつは、俺が」
頬と唇の皮膚が破れ、血が流れる。
「無茶だ、捨てて下さい! キャッチできる代物じゃない!」
土田は怒鳴る。
「ヤバ過ぎる、岡嶋の旦那!」
「逃げましょう!」
「俺はぁ!」
食いしばった歯は、衝撃でヒビが入り、歯茎から血がにじみ出す。
「キャッチし損ねた事は!」
だが岡嶋は靴底を床にがっしりと引っかけ、身体を持ちこたえさせる。
「一度も、ない!!」
岡嶋は大きく一歩踏み出した。
地鳴りのような足音と共に。
辺りが、静まり返った。
岡嶋は大きく肩で息をしながら、グローブを差し上げる。
「ナイス、キャッチ、てな」
グローブからは、煙が立ち昇っていた。
「あれを、捕った」
「信じらんねぇ……」
「お前ら、交代だ。待っちゃ、くれないぞ!」
「あっ、はい」
「了解、旦那」
若い男二人が、ポジションに付いたのを見届けて、岡嶋と土田は屋上から建物に入る。ドアを閉め、階段に一歩踏み出した時。
「っと」
岡嶋の膝が崩れ、そのまま転げ落ちそうになった。
「岡嶋さん!!」
土田が慌てて岡嶋を支える。
「だ、大丈夫ですか?」
「死ぬほど痛え」
「痩せ我慢してたんですか? ボロボロならそう言って下さいよ」
「馬鹿、若い奴らの前で、痛がったりぶっ倒れたり、みっともないとこ見せられるか」
「……あんなでかいの捕ってんですから、痛がったってみっともなくないですよ」
「みっともなくない、じゃあ面白くねえだろ」
血まみれの顔で、岡嶋は微かに笑った。
「格好良くなけりゃ」
「うわあああああん!」
遊んでいた男の子が、突然泣き出した。
「どうしたの?」
母親が台所から顔を出すと、男の子が右手の人差し指を押さえている。
「はさんだー! いたい、いたいよぅ、ドアにはさんだー!」
指の爪が赤くなっている。指の腹も少し皮が破れ、血がにじんでいた。
「あらあら。バイキンが入っちゃいけないわね。まずは手を洗いましょ」
泣きじゃくる男の子を、母親は洗面所に連れていき、手を洗わせてから、消毒を吹き付ける。
「しみるよ、いたいよぅ!」
「ほらほら、すぐ終わるから動かないの」
「いたい、いたい」
母親は絆創膏を貼り終えた。
「はい、おしまい。よくガマンできたわねー」
「いたいよー、いたいよー!」
男の子はまだ泣き止まない。
「それじゃ」
母親は傷をそっとさする。
「いたいのいたいの、飛んでけー! どう?」
「……すこし、いたくなくなった」
「でしょ」
「ねえ、おかあさん?」
涙を拭きながら男の子は尋ねる。
「でもさ、とんでいったいたいのって、どうなるの? だれかにぶつかっちゃわない?」
「ふふ、大丈夫よ。飛んで来た事なんてないでしょ?」
母親は微笑んで、男の子の頭を撫でた。
○作者附記:MAOさんのネタフリに乗ってみた。
『キャッチングセンター』連作の一。
次、誰か。書いたもん勝ちで。