第71回3000字小説バトル

エントリ 作品 作者 文字数
13min. -Red Mars、Blue Earth-Squall3000
2浪速瓜破グランギニョル3000
3杉田探霊事務所――ぷれぇと幽霊ごんぱち3000
4残酷な天使霜野浩行3000


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エントリ1 3min. -Red Mars、Blue Earth- Squall


 カナダのとある天文台で、私は住み込みで日夜研究に明け暮れている。今日は幼い娘が遊びに来て、今は1階の寝室でぐっすりと眠っている。寝相の極端の悪い娘の寝顔を思い浮かべながら、ドーム上の小さな部屋で男は望遠鏡を覗き込んでいた。
 天の川を構成する星を一つ一つ確認しては、写真をコンピューターに保存する作業を1時間ほど続けたとき、下で誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。パタパタと近所迷惑になりそうなスリッパに不慣れな足取り。泥棒ではなく、娘が起きてしまったようだ。しばらくして、ドアがノックされる。
「お父さん、入ってもいい?」
 明るく、少しあどけなさの残る声が、暗い部屋に響いた。作業による疲れと眠気が少しだけ取れたような気がした。
「ああ、いいよ」
 趣味で演奏している私は、娘以上によく響く低めの声で返した。ドアが開いてパジャマ姿の少女が小さな部屋に入る。
「ごめんなさい。どうしても眠れなくって」
「誰だってそういう時はあるさ。星のきれいなときは特にね。お父さんはしょっちゅうだよ」
「星のきれいなとき?」
「そう、今日みたいな日。外を見てごらん」
モニターの明るさを弱めて、部屋の電気を消した。望遠鏡のために不透明にしていたドームを透明に設定する。

 見渡す限りの空一面に銀色の光が瞬き、それぞれがダイヤモンドの粒の様に輝きと煌きを放っている。今いる場所が暗闇だと信じられない程、夜空は明るかった。
「すごーい!」
 感嘆の声を上げ、一瞬にして心を奪われたようだ。爛々とした目で星空を見上げている。そして上のほうを見ようとして、
「あうっ」
どうやら首を痛めたようだ。笑いながら、かつて自分も経験したことをなぞる娘を見て、親子は似るものだな、と思った。そして、同じように天文学者になってほしいとも思った。

「ねえ、お父さんは星が大好きなんだよね。なにか、面白い話聞かせてくれる?」
どうやら目論見どうり、星に興味を持ったようだ。
「よし、そうだな……じゃあ、光の速さについて勉強してみようか」
「あ、それなら学校で習ったよ。確か、1秒で地球を7周回るって」
「そのとおり。だから地球のどこにいても、すぐ隣にいるように電話が出来る。昔は映像データと音声データが別に送られていたけど、それでも1秒もずれは無かった」
「でも火星との通信になると、結構待たなくちゃいけないんだよね」
「それを、この望遠鏡を使って確かめてみよう」
 壁を再び不透明にして、望遠鏡の自動追尾を火星に設定する。ゆっくりと大きな望遠鏡は向きを変え、ドームのスリットもそれに同調する。モニターには火星の表面が映し出された。
 赤い砂で覆われた地表。砂嵐が吹き荒れ、水も無い荒野。唯一氷の存在する北極方面にズームインすると、火星植民コロニーのドームが見えた。空気が薄い外では数人の宇宙服を着た作業員が、表面についた汚れの除去と状態のチェックを行っている。
「あれが人間が住んでいる火星コロニーだ。人間は元々地球にいたけれど、病気がはやって住めなくなったからみんなあそこに引っ越した。火星にそのまま生き物は生きられないから、ああやって住める環境を作っている」
「それで、地球に残ったものを何とかしようとして、私たち『リカオン』があそこで作られた。これも学校で習った」
 彼女の記憶力はかなりよく、学校のスペリング大会でも優勝したことがあるくらいで近所の評判になっている。
「これからあそこにいるお父さんの知り合いにメールを送って、何分後に帰ってくるかの実験をするんだ。…………よし、時間は0時34分。35分になったら送信しよう。この時期だと片道3分かかるから、41分に返ってくる筈だ」
「私がボタン押してもいい?」
コンピューターの前に座り、画面左下の時計表示をじっと見つめる。15秒前……10秒前……5秒前……
「3、2、1、送信!」

 2525年、史上最悪の事件が起こった。災害か事件かは不明であるが過去に例を見ないのは確かだった。
 変種の劇症人インフルエンザが世界中に撒き散らされ、80億以上いた人類は僅か6億まで減った。脱出できた者はほとんど無く、宇宙船内で感染が広まって墜落したケースもある。思想犯のテロ行為とされているものの、犯行声明文も無く単なる推測に過ぎなかった。
 地球と火星コロニーにはまだ共通のネットワークが無かったため、火星に送られていない情報が沢山あった。歴史資料や製品の設計図など、火星での発展に必要不可欠なものばかりである。
 そこで、翌2526年に生物実験を行うプレアデス社が政府の要請を受けて、「地球で活動可能な知的生命」の開発を開始する。そうして創られたのが『リカオン』、俗称『狼人間』である。
 リカオンとは、狼をベースに人間とほぼ同じ行動様式を可能にするため、二足歩行などの遺伝子操作を行ったトランスジェニック生物。なぜ狼をベースにしたのか、開発者のケビン・カーライルは「狼は伝承と違いとても賢く、また社会的な動物である。人間同様に集団組織が確立され、家族には惜しみない愛情で接する。そして何よりも、同族は決して襲わないからだ」と答えた。他の関係者からは「狼人間は異端者のシンボルで、人間と決して相容れない」という理由もあるという。
 地球に派遣されたリカオンは、放棄されたデータベースの発掘・復元と火星への送信、砂漠化・温暖化などの環境悪化の改善を主な任務とし、北極圏を拠点に活動している。現在では自治政府を持ち旧カナダ・ロシア・フランスにそれぞれ大都市がある。

 モニターには再び火星の映像が写っている。点検作業はまだ続いているようで、先程より多少人数が増えている。
「こうやって写している映像は、火星ではもう3分も前の出来事なんだ。信じられるかい?」
「そうすると、例えばこの瞬間火星が爆発しててもおかしくないってこと?」
「例えはあまりよくないけど、そういうことになるね」
「もっと遠かったらもっとずれてるってことなんだ……」
「そうだよ」
 他の例を見せるために、二つ目のモニターをつけて「アルファ・ケンタウリ」の写真を出す。
「これが太陽系から一番近い恒星だ。4年前に撮ったものだけど、そのときの本当の様子は今年になってようやく分かる」
「…………」
 しばらくの沈黙。娘は何かを考えているようで、そういったときはふさふさの尻尾を無意識に揺らしてしまう。そして考えがまとまったとき、ぴんと耳を立てるのだ。
「……人間は地球の本当の様子は分からない。リカオンも、火星の本当の様子は分からない。お互い、生まれた場所のことが分からないなんて、なんだか変な話だね」
 故郷を追われた人間と、故郷を離れるために創られたリカオン。それぞれが帰る日は来るのだろうか。

 0時41分、火星の映像に写る作業員の一人が地球に向かって手を振った。その際に見回りに来た現場監督に見つかってしまい、怒鳴られる場面もばっちり写ってしまった。40分に作業が終わるので、今頃抗議の一言でも打っているだろう。お詫びに地球の曲をいくつか送ってやろうか。

 地球で二人の狼が親子団欒の時を過ごしている頃……
 0時40分の火星では、先程叱られ上司の食事を奢る羽目になった一人の男がこう叫んでいた。
「給料日まで待ってくださいよおおおおおおーーーーーーー!」
 この魂のシャウトの音が地球に届くのは、約5年後のことである。





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  エントリ2 浪速瓜破グランギニョル 葱


 久し振りに斜光カーテンの隙間から外を覗く。陽光に目が眩む。なるべくなら危険を侵したくなかったが、手回し式ラジオの緊急放送ばかり聞くのにも気が滅入っていた。外に出なくとも、とりあえずの食べ物はあった。梅干しだけだけど。水道は使える。電気は点かない。テレビもしかり。ガスは恐くて使えない。携帯電話の充電ももうすぐ切れる。どうせ不通だ。仕事なんか論外だ。
 何日経っただろう。二週間ぐらいまでは数えていたが、面倒になってしまった。最後に窓の外を見た時、自分の部屋であるマンションの六階から見下ろす街は、黒く霧がかって、所々から煙が立っていた。ベランダから見えるスーパーマーケットに人だかりが出来ていて、皆口々に色んなことを喚きながら、ガラスの自動ドアを破っていた。痛い鉄おら飯ボケ肉お前退け痛死よこせ待て車殺痛い食え言うな痛い行け行け痛い来るな車コラ何処肉殺札札殺痛い。僕はすぐに窓を閉めてカーテンを引いた。
 緊急放送から流れてくるのは、予測ばかり。政府も動いていないようだ。やれ火山が噴火しただの、ミサイルが飛んできただの。大きな災害だというのは分るのだけど。大きな音などしなかったが。

 さすがに不安になってきたのが運の尽きか。ベランダの外、隔板の向こうから、こちらを覗く男と目が合った。思えばこのマンションに住んでいる人間は僕だけじゃない。当たり前だ。素早くカーテンを引いたがもう遅い。
 ベランダに出るガラス窓から、ノック音、ついでガラス破壊音。
「何で隠れるん? なあ」
 男は破れた窓から手だけ室内に入れて、ガラスドアの鍵を開ける。
「な…あ〜」
 答えようとして自分の声が他人のように感じられた。上手く喋ることが出来ず、しゃがれている。もう何日も話してないから無理もない。
 腰を抜かしている僕にブリーフ姿の男が近づいて来た。以外と若い。
「なあ、何か食べもんあるやろ?」
 慣れ親しんだ関西弁。こういう時は嫌な方言。
「あ、あ、あ〜りません」
「あ〜りませんか、やないわコラ。食べもんないで今まで生きとるわけないやろ」
 男は勝手に部屋の中を物色する。男の体格は良く、反抗する気も起きなかった。あるやんけー梅干し、という男の叫びが聞こえる。
 僕は反射的に男に掴みかかっていた。今まで聞いたことのない叫び声で頭が痺れる。僕の声か。男は梅干しの入った瓶から手を離し、僕は昏倒する。殴られたらしい。体が動かない。男は軽く息切れしている。とどめとばかりに、腹部に激痛が走る。
「あ、あ、あのすいません」
 梅干しを奪って立ち去ろうとした男に僕は声をかけた。
「何やねん。もういっぺん蹴ったろか」
「いやそうじゃなくて」
 僕は寝たまま、男に説明した。でっちあげ、駄目で元々の考えだった。僕の言い分はこうだ。僕の梅干しはあげます、だけどそれももうあと十粒ぐらいしかないと思います、どこかに食べ物を調達に行くにしろ、いくらあなたでも今一人で外に出るのは危険ですよね、だから僕のところへ来たんですよね、だったら二人で、このマンションのフロアの住人たちを襲いませんか? ここはワンルームマンションだし、せいぜい二人暮しでしょう、男二人で暮らしている人間はたぶん可能性少ないと思うから、僕とあなたなら、カップル相手でも黙らせることができるでしょう、一人ぐらしならなおさら。
 男の言い分。お前俺をなめんなよ。俺はこの瓜破(うりわり)を半ば締めてる人間やぞ。瓜破ってとこはな、お前喋り方、地元の人間やないから言うけどな、拉致監禁放火窃盗当たり前なとこやぞ、祭も盛り上がるしなあ。まあでも、今は非常時やから? お前の言うこと? 一理あるかもな。
 契約成立。僕は言った。
「あの、テレビの下に救急箱があるから、湿布とってくれませんか」

 脇腹を抑えながら男の部屋に入ると、縛られた女の子がいた。SMプレイで使う丸いポールを銜えさせられていて、涎を垂らして、驚いた目をしている。
「誰ですか? 何?」
 僕の方を見て、ニヤリと男が笑った。
「女や、見たら分るやろ」
「それは分りますけど」
「さらった女や」
 照れて笑う男の顔に罪悪感など浮かんでいない。男の笑顔を見ると自分より年下なのだということが分った。女も若く、僕に目で何かを必死に訴えている。この非常時に…、と言う言葉を僕は飲み込んだ。
 男は、こいつの食いぶちもかせがなあかんしなあ、もう縛っとる意味もないか、とあっさり女を縛るなわとびを解いた。女はすぐに逃げようとして、男に殴られていた。僕達は少し休憩をすることにした。男がとりあえず梅干しが食べたいと言ったからだ。梅干しを食べながら、雑談した。驚くべきことに男は今の状況をまるで知らなかった。窓から見た風景などから推察して、動物的感で外はやばいと思い、部屋に留まっていたのだそうだ。当然、うつむきながら梅干しを食べる女の子も何も知らないらしい。ていうか、喋らない。何才ぐらいだろう、多分十代か。
 僕がラジオで聞いた断片的な知識を二人に喋ったが、断片的なのであまり二人を感心させられなかった。ただ、女の子はもう逃げようと言う気を削がれたようだ。
「よし、さあ行こか」
 男の提案で、女の子も僕達の仲間に加わることになった。食べ物がなければ助かるものも助からない。
 僕の部屋は角部屋だったので、男は自分の部屋のベランダに出て、まず反対側の隔板を破った。道具を使わず、拳と膝でだ。自慢げだったが、僕と女の子は無表情だった。
 破った先の部屋には、誰もいなかった。逃げたのだろうか。まあ普通そうだろう。皆で汚い部屋を物色したが食べ物はなかった。
「次」
 次の部屋には、太った男が首を吊っていた。臭かった。男だけが入っていったが、冷蔵庫の中の食べ物は腐っていた。
「次」
 その部屋では、犬がいて、老人の死肉を漁っていた。
「おいおい、これはさすがにあかんなあ」
「…最終的には僕らもこうなるかもね」
 女の子は黙っていた。
「次」
 ベランダに人が出ていた。大人の女性だ。包丁を持っていた。涙目で震えていた。何よ、と言った。
「次、ってわけにはいかんか」
 お前なんとかしろや、と男は女の子に振った。女の子は同性ということで安心したのか、初めて喋った。
「あのね、食べ物わけて欲しいんやけど…。無理?」
 包丁女の表情が緩んだ。
「それ行けっ」
 男が包丁女に飛びかかって殴った。そのまま女に馬乗りになって顔を殴りつける。女は動かなくなった。
 僕らは女の部屋を物色した。パスタなどの乾麺や、調味料など沢山みつけた。男は、当分この部屋に住むことを宣言した。そのために僕らは女の死体をベランダから外に放り出すことにした。
 僕と男が女の死体を抱えあげた時、女が痛い、と言った。男は、あらまだ死んでへん、と呟いて、そばにいた女の子に、包丁をとるように命令した。
「そうや、さっき言うてたやん。どうせやったらこの女食ってまおうや、なあ、あっ、お、痛え、何しとんねん、お前」
 女の子が包丁で男の背中を刺していた。男は女の子に向き直って、何やら叫んでいる。僕に背を向けた格好だ。僕は、男の包丁を抜き、また刺した。
 男が倒れるのを見て安心していると、包丁を抜いて女の子が僕に抱きついてきた。痛かった。
 近くで見ると可愛い女の子だった。震えていた。
 ごめんね、と何故か僕は言った。床に倒れている大人の女性の視線も痛い。





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  エントリ3 杉田探霊事務所――ぷれぇと幽霊 ごんぱち


「こんにちは慶子さん、肉買って来て下さい」
 杉田探偵事務所のドアを開け、紙袋を提げた伊能清過が入って来た。
「開口一番それかい!」
 ファイルを開いていた杉田慶子は、眼鏡を外す。美人と言って良い顔立ちに、OL風のスーツだが、着こなしがどこか崩れている。
「一物三価のラルスでいーですから」
 整っているが少々幼さの残る顔立ちをした清過は、ほんわかした伝染性のある笑みを浮かべ、紙袋から中古のホットプレートを出す。
「あの……」
「なんで、あたしがあんたのパシリやらにゃいかんのよ」
「この事務所って、ベランダ広いでしょう?」
「あの……」
「だから、いつか焼肉パーティをしたいなぁ、と思っていたところに、質屋さんで気持ち悪いぐらい安くなっていたホットプレートが見つかったのです」
「あの……」
「あー、なるほど」
「じゃ、肉。脂は多くても良いですよ。私は太ってませんから」
「あたしだって太っちゃおらんわい!」
「あの……聞こえませんかー、やっぱりダメですかー」
「うっさいね、この霊。あんた連れて来たでしょ」
「このホットプレートに憑いてるんです」
「って、気づいてシカトしてたんですか!」
 ホットプレートの上に、ぼんやりとした人影が浮かんでいた。
「うん」
「はい」
「ひょっとして、霊能者の方?」
「清過、あんたにあげるから、使霊にしちゃったら?」
「いえ、それどころではありませんよ、問題は肉です」
「確かに」
「確かじゃないですよ、お願いします、見えるなら助けて下さい! お金がないんでしたら、財産を取り戻した後に、いくらでも報酬としてお分けします!」
「報酬?」
 慶子の表情が変わった。

 慶子と、清過、そして霊が、電柱の陰から、『佐藤』と表札の出た家の様子を伺う。
「床下収納の下のカメ、か」
「お願いして取らせて貰ったら良いんじゃないですか?」
 清過が首を傾げる。
「『お宅の旦那の幽霊から頼まれたので、ちょっと床下調べさせて下さい』って?」
 慶子はジーパンのポケットから円筒の金属ケースを出す。蓋を取ると、中には折り紙が入っていた。
「……あの、何を?」
「慶子さんは折り紙マニアなのです」
「違うっつーの」
 折り上がったバッタに、慶子の影から現れた顔のない霊がもぐり込む。
 すると。
 折り紙のバッタが、本物のバッタになり動き始めた。
「うわっ、なんですかこれ!?」
「式だよ」
「非科学的な」
「自分の存在否定してますよ?」
 バッタは門に向けて飛んで行く。
 次の瞬間。
 激しい火花が散り、バッタが跳ね返された。顔のない霊が折り紙から抜けて、慶子の影に逃げ戻って来る。
「な、なんであんな強力な結界が?」

 翌日。
「こんにちは、近くで工事をしている杉田工務店と申します」
 作業着姿の慶子と清過が、にこやかに挨拶をする。
「床下の無料点検を行っていますが、いかがでしょう?」
「まあ、やっぱり分かるのかしら?」
 中年過ぎの女は、清過の笑顔に釣られてにこにこしている。
「別の業者さんも、このままだと家が潰れてしまうって、色々して下さってるんですよ」
「……別の業者?」
 慶子と清過は顔を見合わせる。
「ちょっと、見せて頂けますか?」
「構いませんよ」
 台所へ案内された慶子と清過は、床下収納庫を外し床下へ降りる。
「うわ……」
 古びた二〇台のファンは、無造作に置かれているだけ。電源は屋内用テーブルタップにタコ足配線され、既に熱を持っている。本来虫食い一つなかった柱に、業者が打ち込んだ釘がヒビを入れている。
「――どうですか?」
 床下から戻った慶子と清過に、女は一片の疑問も抱いていないような笑顔を浮かべる。
「えーと」
 慶子が言葉を濁す。
「業者さんの領収書とか、あります?」

 慶子は駅前の路地一つ入ったビルの真正面に愛車のクラウンを停める。
「事務所の前を塞ぎやがって――うごっ!」
 スーツ姿の若い男が助手席のドアを蹴ろうとした瞬間に、清過がカウンターでドアを開く。
 ビルの中から、スーツ姿の男たちが十数名わらわらと出て来た。
「野郎、ヨシユキを!」
 車から降りた清過に、一人がバタフライナイフで突き――かかろうとした姿で動かなくなる。
 清過の影から出た無数の霊魂が、彼らの影に潜り込み縛っていた。
「な、なにを……」
 清過はにこにこしている。
「簡単に言うとですねぇ」
 慶子もにこりと笑った。
「責任者出て来い」

「リフォーム詐欺で奪った金、耳揃えて返して貰おうかしら」
 ビルの中に案内された慶子と清過は、領収書の束を突き付ける。
「霊能者相手にしらを切れると思うなら、そりゃそれだけどね」
 白いスーツを着た初老の組長は、慶子の顔をじっと見つめ、それから。
「若い者が先走ってしまったようで、真に申し訳ございませんでした」
 土下座をして頭を下げる。
「手下の失態なのにこれはご丁寧に、大人物ねぇ組長さん」
 慶子は下げている組長の頭を踏みつける。
「貴様!」
「オヤジに何を!」
「茶番は良いから、金返して」
「勿論です」
 踏み付けられて出来た額の傷にも顔色一つ変えず、組長は内ポケットから取り出した小切手帳に金額を書き込んだ。
 ――慶子と清過が、事務所から出て行った後。
「あの女たちの身元洗え、男、親戚、友達、全て――うわああっ!」
 言いかけた組長の襟元から、一匹の蛇が姿を現した。
『大人物、なんでしょ、組長さん』
 蛇は組長の耳に小声で囁いた。

「おわっ、本当にあった」
 佐藤家床下の丁度中央に、カメが埋め込まれていた。
「強い気を感じますねぇ」
「そうだね、よっと」
 慶子はカメを持ち上げ、家の床に上げる。
「さてさて、何が入ってるのかなぁ。金塊かな、札束かな?」
「え? 金塊?」
 女は不思議そうな顔をする。
「そんな筈はありませんよ、だってそれ」
 慶子は蓋を開いた。
 すると。
「どわああっ」
「うわ」
 カメの中から一気に激しい気が吹き出し、抜けて行った。
 慶子はカメを覗き込む。
「なんじゃこりゃあ?」
 中には、一枚の札が入っているだけ。
「佐藤さん、このカメってなんなんですか?」
 清過が訊ねる。
「悪霊の気配がするからって、旅のお坊さんが置いて行かれたんですよ」
「いやぁ、やっと戻って来られた、これで取り返せます!」
 霊がやって来る。
『ちょっとっ!』
 女に聞こえないように、慶子が怒鳴る。
『何が財産よ? 結界の核じゃない、これ!』
「だから、カメを取ったお陰で財産を取り戻せるじゃないですか」
『財産って何よ?』
「この家です。取り返して家族にあげるんです」
『取り返すも何も、今あんたの奥さん住んでるでしょう』
「この女は違いますよ。どんなに立ち退きを要求しても応じなかった強突張りです。名字も違うじゃないですか、わたし中島ですし」

 ホットプレートの上で、グラム百四十八円のオーストラリア産牛肉が音を立てて焼ける。
「結局、祓われそうになってホットプレートに逃げ込んだ、地上げ屋の悪霊だったとは……」
 慶子と清過は、ベランダに出したテーブルを囲む。
「いーじゃないですか、悪霊さんは往生させたし、佐藤さんから報酬貰えましたし」
 清過が焼けた肉をほおばる。
「でも、何かさぁ」
「食べないと焦げちゃいますよ」
 ひょいひょいと清過は焼けた肉を取っていく。
「……焦げる間なんてないでしょーが」
 慶子は肉を一切れ取り、食べる。
「ん、おいし」
「でしょ」
 二人は同時に缶ビールの蓋を開け、喉を鳴らして飲んだ。
「ぶはーー!」
「ふひーー!」





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  エントリ4 残酷な天使 霜野浩行


 ――これは夢だ。

 俺は瞬時に理解した。
 規則正しく並べられた机と椅子。白いチョークの粉が残った黒板。光沢がない木製の床。学ランとセーラー服を身に纏い、談笑する数人の学生達。見覚えのある風景だった。
 老朽化した木造の校舎と雪に埋まった運動場。そこは3年間過ごした中学校の――俺が最後の1年を過ごした教室だった。
 窯下利夫26歳。コンビニ店員アルバイト勤務。独身一人暮らし。
 今俺は3年1組の教室にいる。

「おい、トシ! なにボーとしてんだよ」
「ヒッ!」
 唐突に後ろから声をかけられ、思わず悲鳴を上げてしまった。教室にいた4、5人の生徒が一斉に視線を向ける。俺は椅子を引いて立ち上がり、後ろに座っていた男子学生を睨み付けた。
 落ち着いた様子で椅子に座り、弓の弦のように細い眼をした生徒は、呆然と俺を見上げていた。混乱した頭でその生徒が誰だったか思い出せなかったが、今の俺にとって宇宙人以上に奇異な存在だった。自然と心臓が痛いほど動悸が早くなり、息が荒くなる。
 俺はたっぷりと時間を使って、男子生徒を睨め付けた。
「おいおい、トシ。どうしたんだよ?」
 男子生徒は肩を竦ませて笑った。
「あっ! さてはお前寝てたな? 昔からお前は変なところで器用だよな。野球の試合中にレフトを守っていると立ったまま寝ていたり。ゴールキーパーを任せると、ボールを掴んだまま寝てしまったり」
 ああ、そう言えばそんなことがあった。他にも電車のドアにもたれたまま寝てしまったり、和式の便所で踏ん張った態勢で寝てしまっていたり――――そうだ。その時便所で俺を見つけたのは山中郁斗――こいつだった。
「ヤマ……なのか?」
「はあ、なにいってんだお前? こいつ、まだ寝てるぜ」
 ハハッと笑いながら、山中は俺を指さす。傍観していた一人の女子生徒はプッと吹きだして笑うと、張りつめていた空気がするりとほどけた。呼応するかのように、俺の緊張も解ける。同時にあの頃の記憶が爆発的に蘇った。
 名前は山中郁斗。小学生からの親友で、その細い眼から小学生の頃の綽名は「キツネ」。中学の頃は「ヤマ」と呼んでいた。細い眼とのっぺりとした顔立ちで、表情が読みづらかったが、笑う時に見せる歯の白さが印象的だった。今も俺を指さしながら、こいつの隠れた魅力を存分に見せつけている。
「お前も人のこと言えるのかよ。ボールが股間に当たって、ションベン漏らしたヤツは誰だ?」
 いつの間にか俺はそんな言葉をかけていた。
「おい、それはオフレコの約束だろ」
「約束にも更新手続きが必要なんだよ」
 山中は人差し指を口に当て合図したが、自分でも驚くほど滑らかに俺は戯けてみせた。
「こらこら、そう言う汚らしい話は教室でしないの。ただでさえ、狭い教室なんだから、女性の美容に悪い話はしないでもらいたいわね」
 割って入ったのは、腰まで届くほどの長い髪と縁なし眼鏡が印象的な新家谷登喜子だった。根っからのしきり屋な性格と容姿から、「委員長」というもっともポピュラーな綽名を獲得していた。
「ほら、先生くるよ。この学校で受ける最後の授業なんだから、ビシッとやってよ、おカマ君」
 彼女は俺の背中を軽く叩いた。廊下を担任の小河原が歩いて来るのが見えた。だが、俺は棒のよう立ちつくしていた。
 ――最後の授業。
 そのフレーズを聴いた時急に胸騒ぎを覚えた。俺の中の俺が何かを叫んでいる――警告している。その理由も内容も自分で認識する事は出来なかったが、こう聞こえた。
「いけ……」
 その声はコンビニで働く俺――未来の俺から降ってきているような気がした。
 無意識的に俺は眼で何かを探していた。
 皺が寄った木の椅子。それに座って、6人の男女の頭が大きなモニターのような黒板に向かっている。その角に、俺の眼が寄った。
 1995年3月17日  日直 石田
 何か思い出せそうなのに、わからない。筋繊維一本一本が反応しているのに、コントロールする脳細胞が指令を出せない。そんなジレンマにも似た奇妙な感覚。けど誰かがいない――それだけがはっきりとしていた。
「おい、カマ! また寝ているのか?」
 後ろから山下が声をかけると、俺は自己パラドックスから脱出する。本日2回目の起床――そう言って俺を馬鹿にしたのは山下だったが、その通りなのだから仕方がない。
 山下に促されて、俺は席に座った。
 教壇を見ると、眼鏡をかけ整髪料できちんと七三分けにした小河原が立っていた。髭が濃い。背が高いからか、その青畑を自慢でもするように顎を突きだして見える。
 小河原が葬式の弔辞でも読むかのようにぼそりと切り出した。同時に前に座っていた赤畑薫が、前野かんなに囁いた。

「ええ、みなさんに残念なお知らせがあります。みなさんのクラスメイト石田――」
「ところでさ。今日――美沙が来てないけど、どうしたの?」

 瞬間、俺は大きな音を立てて椅子を引き、立ち上がっていた。決められていたかのようにクラスメイトが一斉に俺の方を向く。俺は黒板の角を見ながら叫んだ。
「そうだ。石田美沙だ!」
 教室が静まりかえった。代わりにストーブの上のやかんがカンカンと声をあげた。

 俺は教室を飛び出した。小河原が「待て!」と叫ぶ頃には小さな学校の入り口を出て、真っ白な雪の上を滑るように駆けていた。
 石田美沙。石田美沙。石田美沙。石田美沙。石田美沙。石田美沙。そう――石田美沙。石田美沙だ。
 幼稚園に入る前からの親友で、幼なじみ。蚊ですら怖がる虫嫌いで泣き虫。その割に頑固で曲がった事が嫌いで――あいつのことなら何でも知っている。
 だから好きだった。ずっと好きで好きでどうしもなかった。だけど俺は15年間言い出せなかった。
 あの時俺は卒業式で告ろうと覚悟した。しかし彼女は忽然と俺の前から消えた。俺は受け入れた。しょうがない。忽然と消えた石田が悪い。そう思い切ることで、後悔だけが残った。思えば俺の人生はずっとそんな調子だったような気がする。大学に入る事ができなったのも、就職浪人しているのも、金がないのも、ずっと誰かの所為にしていた気がする。
 しかし! もしも神様ってヤツがいるなら。これは最大のチャンスなんだ。俺が変わるため、用意してくれた奇跡なんだ。
 雪に足を取られながら、俺は石田の家に向かった。彼女の家は国道の向こう側にある。俺はその国道を横切ろうとした。その瞬間、俺は大きな光に包まれた。

 薄く眼を開ける。見慣れた繁華街のネオンと星が見えない真っ暗な空が見えた。周りにはスーツを着たサラリーマンや若いカップルが視線を落としている。ブレザーを着た女子学生がケータイで俺を写していた。
 白く化粧された風景はどこにもない。代わりに太陽に灼かれたアスファルトがじりじりと背中を焦がしていた。
 傍らで「きみ! 大丈夫か!」と40代ぐらいの男性が、俺の頬を叩いていた。着ているつなぎの左ポケットに「タチバナ運送」と刺繍されている。
 頭は朦朧としていたが、俺はトラックに引かれた事に気付いた。同時にあの夢が夢ではなくて、走馬燈だった事を理解する。
 言葉が出なかった。代わりにうっすらと涙が浮かんだ。
 ――俺は死んでもいい。けれど、ただ「好きだ」と言わせてくれ。
 暗闇に願ったが、何も起こらなかった。悔しくてまた泣いた。
 神様がいるなら、俺は天国に行けなくていい。
 そう思い、俺は再び目を閉じた。





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