第78回3000字小説バトル

エントリ 作品 作者 文字数
1地雷嬢3000
2子宮は何回出てきたか麻埒 コウ2221
3普段の提灯ごんぱち3000
4月を隠す伊勢 湊3000
5レイン ボゥるるるぶ☆どっぐちゃん3000


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  エントリ1 地雷嬢 葱


 地雷さんを守りたい、と恥ずかしげもなく思う僕こそ変態性欲者に違いない。地雷さんは年下、自分のことを変態と言う。言いながら、森の中や下水道の深みにハマっていく。
 
 探検部という聞き慣れないサークルは大学では決して浮いている存在ではなさそうだった。他にも忍者研究会や第三文明研究会などよく分からない名前のところが多い。三浪してやっと入ったのに探検なんかにうつつを抜かしている場合かとも思ったが、今思うと軽い燃え尽き症候群になっていたし、サークルに入らずとも友達はできる! といった自信もなく、受け身の人生から脱却したいという思いもあいまって、ふらふらと探検部の門を叩いたところに『地雷嬢』と呼ばれ、いつも数人の男に囲まれているキャラの濃い年下の女の子がいた。初めて部室で自己紹介した時も、飲み会の席でも、彼女は本名を決して言わず、自らのことを変態と呼べと僕に強要した。部員たちは彼女を地雷嬢と呼んでいたので、仕方なく僕は、地雷さんと呼ぶことにした。その後一年近くも名前を教えてくれなかった。
 僕は彼女のあだ名の由来を、「探検する時、危険を察知するのがうまいから」だと、ずっと思っていた。地雷さんは学校の裏山にある飛鳥時代の墳墓に行く、といった場合必ず先頭に立ち、いつもすり足で、マムシなどをいち早く見つける名人だった。それを彼女は「心霊と話が出来るから」と説明した。下水を歩いている時も、町を歩いている時も、霊は親しげに話しかけて来るという。僕は、この人虚言癖があるのだなぁ、とか、思春期の女子にありがちな自分が特別な存在であるための心の方便だとか思いながらも、地雷さんの少し青みがかった目や、サラサラした黒髪、意地の悪そうな笑みに抵抗出来なかった。ことさら探検部には、意外にMな男が多い事もあって彼女は人気があったのだろう。
 地雷さんと二人きりになること自体少なかったが、ある廃墟になった山上遊園地に行った時の印象が強く残っている。彼女は目的地を堪能した後、自らを清めるという理由でテキーラやジン、老酒といったアルコール度数の強い酒を飲む事を儀式にしていた。いやに晴れた日で、錆びて倒れかけた観覧車や、歪んだコースターのレール、朽ちた小さな売店や何故か隣接する新興宗教団体のねじれた建物などが、山上という周りに雰囲気を邪魔するものがない遊園地だけによく青空に映えていた。開放的になったのか、寂しさにやけになったのか、彼女は悪酔いしていた。酒を飲めない僕は彼女の泥酔した姿を見るのは初めてだった。最初は笑いながら掴みかかってくる地雷さんに少し引きながらも、微妙に嬉しい気持ちだったが、次第に余裕が無くなってきた。彼女の力が女とは思えないほど強くなっていた。爪を立て、僕の腕に三本の血の筋が走った。痛みで彼女から手を離してしまい、首筋に噛みつかれた。死ぬ、と思った。多分、人生で一番恐怖を感じた出来事だった。地雷さんは無表情で口から泡を吹いていた。すぐに彼女は気絶した。救急車を呼ぼうにも山の上だったので携帯の電波がつながらず、宗教施設に運び込んで、電話してもらった。思ったより親切で常識も地位もありそうなおじさんやおばさんに介抱してもらい、地雷さんは息を吹き返した。
「ごめん、おなか減っちゃって」
 彼女は、泣き笑いの顔で言った。
 後で先輩に聞いたが、地雷さんはその一週間前に彼氏と別れたのだそうだ。ショックで食べ物が喉を通らなくなり三日も水しか飲んでなかったらしい。皆そのことを知っていて近づかなかったのだろう。その時、彼女自身が地雷だったんだ、と思った。僕の首筋の肉は小さくえぐれていたが医者には一応、飼い犬に噛まれたと言った。
 退院して学校に出てきた地雷さんは十キロ痩せたと喜んでいた。前より可愛くなったと部員たちも笑顔で彼女を迎えていた。僕は彼女の顔を真っ直ぐ見られなくて、他の部員たちに負けた気がした。次第に部室から足が遠のき始めて、ちょうど同じ学部の友達も出来ていたので、事実上退部してしまったような感じになった。

 近頃、昼間から一人で暇そうに町を歩く女性、スーパーの服屋で働く女性、駅のホームで座り込んでいる女性なんかで、ショートカットだったり、男っぽい格好だったり、カラーコンタクトをしていたりする人を見ると、全員、地雷さんに見えてしまう。一日、一回は見間違える。その度に考える。どうしてあの時もっと自分の肉を彼女に食べさせてあげなかったんだろう。どうして痛みにもがいたりせずにゆっくり抱きしめたり出来なかったんだろう。もっとちゃんと喋れなかったんだろう。何で彼女のことを何も知らないんだろう。地雷を踏むことが出来なかったんだろう。
 考えるのが面倒になって、覚えたばかりの煙草に火を点ける。学生食堂はいつも煙っていて気を使わなくていいのがいい。目の前のハヤシライスはまだ半分以上残っている。これをあの時地雷さんに食べさせてあげられれば、と思ってしまい、さすがに違うだろうと自分をつっこむ。
 隣のパイプ椅子がすっと脇によけられ、車輪がテーブルの下に滑り込んだ。名前を呼ばれて、久しぶり、と声をかけられた。不整脈が起きた。車椅子に乗っているのは地雷さんだった。
「一人? 友達いないの?」
 地雷さんがからかってくれる。側には介護の人だろうか、華奢な女の人が立っている。僕は地雷さんの質問には答えずに、どうしたの? と車椅子を指さす。
「地雷、踏んだ」
 足はちゃんと、あった。
 横の介護の人が笑った。僕の顔は引きつっていると思う。
「あれ、ヒザが悪かったの、言わなかったっけ?」
 全く知らなかった。
 地雷さんは、学校を辞めたと言った。だけど個人的な探検は続けてるんだ、手伝ってもらってさ、と側にいる女性に微笑みかけた。地雷さんが体育学部だったことも僕は今まで知らなかった。今は、発達心理学を勉強中だそうだ。将来、幼児や児童専門のカウンセラーになりたいという。心霊の声も聞けるしね、と続ける。
 今まで自分が考えていたことが、バラバラに崩れていく感じがする。勝手に相手に同情して、優しい人間のフリをしている自分を情けなく思う。地雷さんに、今度お見舞いに行くよ、と言う。彼女はきょとんとした顔をした。それから真顔で言う。別に病気じゃないんだからさ、まあ、最初はヒザの病気だったけど、もう動かないもんは動かないんだし、これ以上広がるわけじゃないし、でも、まあ、頭の方は病んだまんまかな、さすがにお見舞いはいいけど、じゃあ、今度一緒に探検でも行こうか? ねえ、いいよね、桜井さん、そう言って青い目を逸らす。
 いつにする? 思い切って言った。
「じゃあさ、またあの山上遊園地にしようか。この前は迷惑かけちゃったけど。あそこの風景、忘れられなくてさぁ。桜井さん一人じゃちょっと車椅子持ち上げられないしね。うわっ。良くない? おかしい? いいよね? お酒持ってさ。絶っ対、噛みつかないから。…まだ傷ある。うわあ、ごめん。凄いねえ。ちょっと触ってみてもいい?」
 地雷さんの手が傷口に触れる。僕の違うところが活力に溢れ、癒されていく気がした。
 
 地雷さんを守りたい、と恥ずかしげもなく思う僕こそ変態性欲者に違いない。地雷さんは年下、自分のことを変態と言う。言いながら、森の中や下水道の深みにハマっていく。だからこそ。







  エントリ2 子宮は何回出てきたか 麻埒 コウ


 僕から秩序が逃げ出す。空が明るさを失うように。「どっかの国でね、一つ目のネコが生まれたんだって」。冷房のききすぎた喫茶店で、アイスティーについていたレモンをかじりながら和美は言った。僕は大好きな緑いろに染められた傘のことを考えていた。ギクシャクした僕たちの距離を、遮断機がへだてる。ゆっくりと横たわるしましまの棒は、すれ違うのんびり屋のキリン同士がおじきをしているみたいだ。
 子宮はあなたを邪魔する。あなたが子宮を挑発するから。そう嘯いた給仕の女が傾ぐ口元の蝋燭から瘀血がひとつ、死に対して仰臥する僕の手の甲に垂れた。
「一つ目のネコ?」
「うん。奇形なの。すぐ死んじゃったみたいだけど」
 会話は途切れ、二匹のキリンはすでに未来と過去をみている。
 星のかわりには魚の骨が煌めいて、月のある場所には子宮が浮かんでる。借りものじゃない生臭い光は幽体から離脱したミミズをつなぎあわせたみたいな糸になってあなたはそれをおへそではなく口にくわえるの。夜空の星をながいこと見上げていると空間の感覚があやふやになり、まるで自分が逆さまにぶら下がったまま星を見おろしているような気持ちになることがあるけど、頭上に掲げた緑いろの傘を見あげるあなたも、ちょうどそんな気分なんじゃない?
「伝えたいことがね、あるんだ」。和美が線路のむこうでつぶやいた。「いままで言えなかったけど、わたしね、あなたの――」
 甘い匂いと、焦がす熱さが、精神と脳を乖離させる。胸に落ちた染みはじわりと拡がり、浮かび上がるのは、未熟児のような奇形。だけど、変化は僕を追いかけてくる。下半身から滲みだした腎水が、途切れながら、僕の這った跡をなぞっているから。
 和美の声にはいつだってなんらかの気持ちを煽る調子はない。そのせいで僕は「かわいそう」と思うタイミングを失ってしまう。帰巣本能をためされている気がして負けず嫌いの僕は手を差しだす。子宮はカボチャのオバケみたいな顔して笑っている。天体の社交性まで見抜く慧眼と、ならんだ靴を乱すことのない良識を備え持つ早熟な物理法則は、僕が緑の海へ呑みこまれるのを止めたりはしない。
 電車が僕たちのあいだを横切る。彼女の声と姿はかき消されてしまう。
瀟洒な革衣装には不釣合いなほど矮躯なウェイトレスは、更に身をかがめ、ざらついた舌で乾ききらない刻印をなぞった、ハートの模様を描くために。僕は感情のすき間を埋めるため、目がひとつであることで得られる利点を考えてみた。反射も拡散もない、一元的な世界……。
 人々は落涙を恐れるでしょ。でもね、重力は涙をこらえる者ほどよろこんで裏切るの。たとえ次元がいくつ減ろうと人が空に閉じ込められることなんてない。あなたは世界中の人間をどこかべつの場所に運んでくれるような電車を期待しているようだけど、そんなものあるわけないじゃない。わかってる? ここは喫茶店なのよ。この電車は暗喩ですらないわ。“本当になにも無い”の。
 ウェイトレスがようやく舌を離す。和美は果肉のなくなったレモンを小皿に置き、ぬれた指先で僕の左目のまぶたを押しつけた。僕は蛮勇をふりしぼって何もつかんでいない両手を開くと子宮のオバケは表情を変えずに「みっつ」と言った。なんの数かわからないけれど三から始めたってことは条件を満たせないごとにへっていく可能性が高そうだ。時計の正確さすら、宇宙の孤独が生み出した愛によって乗りこえられた平行時間軸に否定されるように。
「ねえ、私から見ると右目なのに、きみから見ると左目なんだよね」。指先の冷たさが僕の角膜を潤していく。わずかに香る柑橘系の風。
 ねぇ、みっつだよ。ウェイトレスが唇を悪魔的に歪ませながら言う。まるで雲の上からへその緒を切るように。反された手のひらから離れ、奇跡的な飛行能力など手にすることもなく(なにせ僕はスカートをはいていないから)、しっとりと湿った草原の土に、頭頂部から落下する。閉じた絵本のなかでさえ運動は存在の移動に適用されるんだ。
「ほら、逆になっちゃう」と和美は言った。
 ふたりが向かい合ったとき、映るものはアベコベになってしまう。
 白骨化した魚が肉づきを取り戻しつつあるよ。それはそうよね。だって魚が泳いでいるわけじゃないんだもの。魚を中心に、海が流れているのよ。
和美の指はまだ離れない。僕は長いウインクをしたまま微笑んでみせた。だけどどうせなら耳を塞いでほしいと思った。ウェイトレスが残した唇の感触を忘れるため、僕は原始の女の肉を思い出そうとした。そして羊水の純度を。
 あなたはすでに主観でも客観でもない。この世界では感情ですら交換不可能なの。嘘をつくことすらできないわ。あなたの表情筋の活動、向かいの女性には憐れみを与えたでしょうね。
「コンパスでかく円より、手でかいた丸のほうがいい」「肉体の変形を受け止めてほしい」。
 めったに涙なんてみせない和美が瞳をうるませた。慟哭する瞬きに僕はひと時の回春をみる。Y染色体に犯された肉体は蟄居だけを望み、柔肉のなかでなにかの分泌液に変わるはずだ。
「私は硬くなる。うずくまる」
 とつぜん妙なことを言いながら、和美は身を乗り出し、僕にくちづけをした。
「私が望むのは中心のない愛なの」
 生臭いにおいが鼻のさきでつんと鳴る。アクメの声で子宮が言った。
「よっつ」。
 増えていくんだ、それに気づいたとたん、僕はなんだか全身に吐き気に似た気だるさを感じていた。








  エントリ3 普段の提灯 ごんぱち


「おう、ごめんよっ! 酒くんな!」
「いらっしゃい……ど、どうしたんです熊さん?」
「どうしたもこうしたも、店に来るのは酒をやりてえからじゃねえか。今日は日が悪くって、憂さ晴らしってヤツよ」
「はあ、まあ、分かりました」
「ああ、やれやれ、重かった、これでちょっと置いておける」
「お待たせしました」
「おう――これこれ、とっとっととととと――ん、ん、んん、ぶはあっ、くぅっ、んー、んまいっ! んっんっんっ、ぶはぁーー、ごっごっごっ、ぷはー、もう一本頼まぁ」
「ええっ、もうですか?」
「おう、もうだともよ。徳利に猪口はまどろっこしいや、湯呑みでくれ、湯呑みで」
「えと、どうぞ」
「――ずずっ、ふはああっ! うーぁ、やっぱり酒が一番だなぁ。酒は憂いを祓う玉簾、さては南京玉簾、ふひー」
「玉箒だった気がしますが」
「良いんだよ、おれはあの芸好きなんだから」
「さいですか」
「さいだともよ」
「ええと、お料理は何かお持ちしますか?」
「お料理たって、この店で出るものなんて、芋の煮たのだけだろ?」
「茎を煮たのもあります」
「威張る事でもないよ。野暮ったいねぇ、店の小僧の朝飯じゃああるまいし。こう、何か別に、見てくれが良くて、歯ざわりが良くて、腹へ溜まらねえもんはねえかい」
「はぁ、でしたら、その黒文字はいかがで? こう、外から見れば何か旨い物を食べた後みたいに見えますし、歯ざわりは良いし、お腹には溜まりません」
「喧嘩売ってんのか、この野郎。歯糞ほじりながら酒が飲めるか!」
「恐れ入ります」
「仕方ないな、その芋出しなよ」
「はいただいま――どうぞ」
「でかい芋だね、しかし。こんなの全部喰ったら、胃もたれしちまわぁ――もぐむぐ、ぐびり――見たまんま、塩ぶち込んで煮ただけだよ、気の利いた小料理屋なら、醤油のひとたらし、鰹節のひとつまみも入れようってもんじゃねえか――むぐ、ぐっごっ、もぐ――しかも親芋だよ。芋なんてぇのは、ねっとりしてるからうまいんだよ? それが筋っだらけで、歯がザクザク言いやがるよ。ったく――ぐびり、もぐもぐ――おかわり!」
 ご機嫌で熊五郎がしばらくやっていると、隣の侍が立ち上がります。
「そろそろ刻限だな――馳走になった、亭主、代はここに置くぞ」
「はい、お侍様」
「それから済まぬが、この提灯に火を所望したい」
「分かりました――ほほぅ、良い提灯でございますね。家紋が入ってございますな――あっ」
「む、どうした、亭主?」
「も、申し訳ございません、火がうっかり提灯の紙を焦がしてしまいました! 申し訳ございません!」
「どこを焦がした?」
「はい、そのこちらで」
「はははは、この程度の焦げなら、目立つ事もない。使う事に何の差し障りもない」
「ですが、こんな立派な提灯を……」
「気にするな、これは普段の提灯だ」
「ありがとうございます、申し訳ございませんでした!」

「――へぇ、お侍ってのは、威張ってて人斬り包丁を振り回すしか能がないと思ってたけど、人によるもんだね――ぐびり、ぶはぁ」
「えーと、熊さん」
「やっぱり侍でも、田舎侍と江戸っ子で違いがあるのかも知れないね。普段の提灯たぁ、なかなか粋だね。気が利いてるもんだ。普段の提灯と来たか、ふーん、ほーお」
「熊さん?」
「普段の提灯、か。なかなか格好いいね、普段の提灯。心配には及ばねぇ、あ、普段のぉ提灯なりぃぃぃぃーー、カッカッカッ、とここで、ひと睨みして、トントントンッと」
「熊さん、その」
「あいや、気になさるな、これは普段の――」
「熊さん、そろそろ看板なんです、けどね?」
「なんだ? もうそんなコクレンか?」
「はぁ? 国際連盟がどうかしましたか?」
「違うよ、時間の意味のコクレンだ」
「国連で時間というと、グリニッジ標準時か何かで?」
「そんな時かいってんだよ!」
「ああ、刻限ですね」
「分かってるなら、さっさと言えば良いんだよ。出し惜しみしやがって」
「別に惜しんじゃいませんけどね」
「……シソウに――ちょっと違うな――ええと、死にそうになった」
「死にそうに、ああ、はぁ、さいで。それは災難な事で」
「違うよ! 腹がいっぱいとかそういう意味だろう?」
「それを言うなら、馳走になった、ですよ」
「お粗末様」
「それは、こっちが言う事ですよ」
「亭主、お代はここに置くぞ?」
「他にお客さんいないんで、手渡して貰えれば」
「置くんだよ!」
「は、はぁ。じゃあお釣りは……」
「貰うよ、決まってるだろ、一文だってごまかしてみやがれ、入り口蹴壊して、裏口と繋いぢまうぞ!」
「……だったら、手渡してくれた方が早いんですけどね」
「時に亭主ぅう?」
「どうしたんです? 素っ頓狂な声出して? あの芋古かったかな?」
「そんなに古い芋出してたのかよ!」
「いえ、そうでもありません。正月の煮染めの残りが少し混じってただけで」
「っと待てよ、今六月じゃねえか! 物持ちが良すぎるよ!」
「いえね、継ぎ足し継ぎ足しで作る秘伝の煮物で」
「塩茹でに継ぎ足しも何もあるかい――って、そういう話じゃねえよ、ええと、この提灯に火をショクモウしたい」
「はぁ。植毛でしたら、ミヨイ、クログロとか、床屋でかもじを付けて貰うとか……」
「違う、火をよこせてんだよ!」
「それを言うなら所望でしょう」
「そのショウモウだ」
「まだ違ってますよ……しかし、それ、提灯だったんですかい?」
「他に何に見えるってんだよ?」
「いや、その、なんと言いましょうか」
「ガタガタ言ってないで、さっさと持って来いよ、火をよ」
「ええと、蝋燭は持って来ましたが……どこに?」
「どこって、収まるとこに収めりゃ良いんだよ。上のここんとこが丁度良いだろう?」
「まあ、一応は。では、こんな感じ、に――と」
「おい」
「は、はひっ!?」
「焦がさなかったな」
「ええ、勿論、焦がしませんが。注意しましたし」
「いや、なんだ、その……ちょっと、ぐらい、焦がしても大丈夫だぞ?」
「い、いえ、滅相もない」
「端っこのとこなら、別に大丈夫だぞ? この辺りとかなら」
「焦がして欲しいんですか?」
「いや、本当は焦がして欲しくはない、焦がして欲しくはないが、万一、万が一だな、焦がしたとしても、おれは全く怒らない」
「怒らないったって、わざわざ焦がす人はいませんよ。そんな恐ろしい」
「怒らないって言ってるだろう」
「いえ、その遠慮しときます」
「怒らねえって言ってんだろう、このあんにゃもんにゃの分からず屋!」
「怒ってる、怒ってますよ!」
「ああっ、じれってぇ! そのしみったれた短けぇ蝋燭を持った手をこっちへ持って来やがれ! これをこう傾けて!」
「倒れちゃいますよ、蝋燭倒れちゃいます! 鑞が垂れちゃいます、あああっ!」
「熱っ、熱っ! あつつつつつつ! ぶわああああああっ、熱っっ! 熱っ熱っ!」
「熊さん! その、そもそもそれ、提灯じゃなくて熊さんの首ですよね? ですよね? やっぱり熱いんですよね? どうして胴体と離れて生きてるのか、喋れてるのか、全然分かんないですけど、首ですよね!」
「ああ、まあ、簡単に言うとそう」
「難しく言ったって一緒ですよ、一体どんな仕掛けで? 手品ですか?」
「いや、仕掛けもなにも、さっき通りでどっかの田舎侍に絡んだら、斬られちまっただけだ」
「うわぁ、やっぱりだ! なまんだぶなまんだぶ、すみません、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「いやいや、詫びには及ばない。これは普段の首提灯だ」







  エントリ4 月を隠す 伊勢 湊


 しばらく空の闇から目を離せなかった。月夜のはずの夜の町の、狭い範囲ではあるけれど、それでも僕たちは空から月を隠した。
 
 僕にはおばさんの頼みごとは断れない。親が東京からわざわざ一人暮らしまでしての地方都市への進学を許してくれたのは、その地方都市におじさん夫婦が住んでいるからだった。僕だってわざわざこんな退屈な田舎町にどうしても来たかったわけではないけれど、東京にある大学は全部不合格だったし、浪人生活は一年でもうたくさんだったので、地方大学とはいえ国立大学に運良く受かったときにはいろんなことが面倒で他の選択肢は考えられなかった。おじさんとおばさんにはアパートの保証人になってもらったり、地元の生活についていろいろ教えてもらって、実際お世話になっていて、本心を言えば少し面倒くさいけど、頼みごとなどされれば断れる立場ではなかったのだ。
「ごみ屋敷、ですか?」
 僕はどうリアクションを取ればいいのか決めかねて、オウムのように聞き返した。
「そう。ごみ屋敷。家の横の道を上がっていったところにあるの。ここからだと林の陰になって見えないけどね。でも危ないじゃない? 自分の家の敷地っていっても、ごみを大量に外に出してたりしたんじゃあ、例えば誰かが放火としたら大変でしょう?」
 その日の朝におばさんから電話があって「お昼すき焼きやるから食べに来なさいよ」と言った。すき焼きだ、と狂喜乱舞したわけではないけれど、確かに日頃のコンビニ弁当よりはましなので僕は自転車を漕いで家に行った。三人ですき焼きを食べて、テーブルが片付けられ、お茶が出され、出てきた話がごみ屋敷だった。
「そうですね。危ないですね。確かに」
 僕はお茶をすする。
「私たちも、回覧板とかで片付けてって伝えてるんだけど、返事がないの。やっぱり直接行ったほうがいいんだけど、近所の私たちが言うと恨まれそうで怖いじゃない? 代わりに言ってくれないかしら?」
 僕も自転車で来れる距離に住んでいるけど、一応それは言わないことにした。
「臭いですかね?」
 せめてもの抵抗で聞いてみる。
「大丈夫。その辺はきちんとしている人だから」
 どの辺がきちんとしてて、どの辺がきちんとしていない人が家にごみを溜めるのだろうか。
「怒鳴ったりする人ですかね?」
「それもない。いい人よ」
 自分で言いに行けばいいのに。そう思うけど当然言わない。

 それはワイドショートかで見たことがあるようなごみ屋敷ではなかった。臭くもなかった。家の前は東京の小学校の校庭くらいの広場になっていて、玄関から見て右手はペットボトルがトラック数台分置かれていた。しかも何列にもきちんと並べられて。さながら透明な壁だ。大変な労働だったに違いない。玄関の正面には木製の椅子や机がジェンガのように組んで並べられている。量はペットボトルより多い。道に面した玄関の左手には何も置かれておらず、量は多いが種類は木製家具とペットボトルの二種類だけだった。そして何よりもワイドショーと違ったのはそのごみの真中にテーブルとチェアが置かれていてうちの父親より幾分年上かと思われる細身の男が座っていた。男は手に持ったティーカップを顔の前に軽く掲げて言った。
「いらっしゃい。お茶でもどうだい?」
 確かに臭くもないし、怒鳴るような人でもない。でもおばさんが自分で言いにこない理由も分かる気がした。

「週末はたいていこうして誰か来ないか待ってるんだけど意外となかなか誰も来てくれなくてね」
 その人、掛井さんはそう言って僕にも紅茶を入れてくれた。
「そうですか」
「田舎暮らしも悪くないが、静か過ぎるのは玉にキズかな」
「もともとこちらの方ではないんですか?」
 やばい、と思ったが思わず聞いてしまっていた。踏み込んでしまうとなかなか話を止めることは出来ない。僕は練馬に生まれ、平凡に育ち、なんとかうまい方向に人生転ばないかなぁ、と思い悩んでいるうちに、この町にある地方大学に受かったので初めての一人暮らしを始めたことを話した。
 掛井さんは、疑わしい部分もあったけれども、お台場に生まれ、勉強もスポーツも得意だったが特に自然のあり方に興味を持ったことで理系の有名大学に進み鯨の研究で成果を出し学会でも「鯨の生態と自然環境の未来予測」という論文で評価を得たが、とある環境保護団体が日本における鯨漁についていろいろ言うのが頭にきて、研究をやめてここに引っ越してきた、という話をした。
「なるほど。掛井さんは環境問題に深く興味を持っていて、それで、ええと、自然のためにごみを捨てないで溜めてるんですか?」
「そんなわけないだろ。これっぽっちのごみを溜めても自然環境守れるはずがないじゃないか」
 掛井さんがそう言って豪快に笑うのでチャンスと思って僕はさらりと続けた。
「そうですよね。じゃあ捨てちゃいませんか? 実は今日はここのごみ片付けてくださいって言いに来たんですよ。僕自身が直接困ってるわけじゃないんですけど、いろいろあって」
 掛井さんは、少し考えて、微笑んで言った。
「で、ここを片付けるとして、君は代わりに何をしてくれるんだい?」
 ごみを溜める理由は語らずに、掛井さんはそう言った。

 そうして僕は掛井さんと夜の町役場の屋上にやってきた。ごみを片付ける代わりにいったいどんな金銭的要求があるのかと心配したが、掛井さんが要求してきたのは月を隠す手伝いだった。
「凧を揚げるんだ。だいたい十五メートル四方の大きささ。黒のビニールで作ったんだ。もちろんバランスの関係があるので正方形ではないけどね。それを町の中心にある役場からうまくあげれば、町の中心の商店街くらいの範囲からは月を隠すことが出来るはずなんだ。つまり影になるということさ。月の高さも、天気予報で調べた風の感じからして、今日はチャンスなんだ」
 根本的な質問は後にして現実的な質問をしてみた。
「僕は凧には詳しくないですけど、そんな大きな凧二人では揚げられないんじゃないですか?」
「偶然にも、今日はいい風が吹く予報なんだ」
 根本的な質問をしてみた。
「それってどんな意味があるんですか?」
「分からない? 意味はあるさ。いずれ分かる。加えて君が手伝ってくれれば僕はごみを片付ける。だから少なくとも君には意味がある」
 そうして僕は役場の屋上までやってきたのだ。

 驚いたことに、凧は本当に揚がった。そして振り返ると、商店街に影が出来ていた。僕たちは、月を隠したのだ。特に意味は見出せなかったけど、僕は静かに興奮して、空の闇と、影の商店街を交互に眺めていた。
 人が騒ぎ出して我に戻ったときには掛井さんの姿はなかった。僕は急に不安になって、でももたもたしてるわけにもいかず、とりあえず屋上の支柱にくくりつけてあったロープを解くと、一目散にその場から逃げ出した。
 凧は翌日近くの山に落ちているのがニュースになっていた。僕がその場にいたことは結局ばれなかった。掛井さんの家には数日後に業者が来てごみを引き上げていった。お金は掛井さんがちゃんと払ったらしい。しばらくして掛井さんが書いたという鯨の論文を偶然見付けて、少なくとも鯨については本当の話だということが分かったが、結局掛井さん本人には会っていない。あの夜、月を隠した意味は今でも分からないけど、もしかしたら、いつかは分かるのかもしれない、と少し信じてみたりもする。







  エントリ5 レイン ボゥ るるるぶ☆どっぐちゃん


 男は路上で目覚めた。何も持ってなかった。なにかつまらない女が全てを持っていったような記憶がある。あたしは、目がね、見えないから。そのようなことを言っていた記憶がある。
 男は歩き出す。しこたま飲んだはずなのに、頭は冴えていた。路上は小便臭かった。何故だろう。こんなところに小便をする奴がいるのか。こんな、ネオンの看板がずらりと並んでいるのに(いまはすっかり消えている)。マリリン・モンローのシルクスクリーンがずらりと並んでいるのに。こんなにゴッホが並んでいるのに。男は小便をしてみようかと思う。性器をズボンから出し、路上へと放つ。静かだった。誰も通らなかった。なるほど。男は思う。
 男はカレー屋に入る。普通のカレーを頼んだがグリーンカレーが出てきた。
 緑。
 はやりですからね。店員の言葉。
「チンパンジーだって、詩が書けるぜ」
「いや、書けないよ。彼らには解らない」
 他の客達の言葉。

 スクランブル交差点はずっと赤だった。
 彼女は借金取りに追われている。小さい頃から皆に可愛がられた。皆が彼女を可愛いと言った。彼女は借金取りに追われている。借金をした理由は、時計を買ったからだ。時計は高い。時計屋には沢山の時計があった。振り子時計。日時計。花時計。デジタル時計。電波時計。らせん時計。みな欲しかったが彼女は一つだけ買った。全財産など要らないからその時計が欲しくなった。時計は高かった。彼女の全財産では借りなかった。彼女の借金をして時計を買った。
 大きな置時計だ。珍しいものなんだよと時計屋の男が言っていた。
壁に立てかけたり吊るしたりするのではなく置くのだ。もちろん壁に立てかけたり吊るしたりしても機能を果たすが、その時計は置くように作られていた。置いて使うように造られていた。置いた時計を上から眺める。針はぐるぐると回り続けた。ぐるぐる。ぐるぐる。古いものなので針の動きは一定では無く、早くなったり遅くなったり、心地よいリズムを刻んだり。逆へ逆へとゆっくりと回るときもあった。買って良かった。彼女はそう思った。針は古びた黒色で、所々に傷が付いていた。触ってみたくもあったが、壊れてしまうのが嫌だから彼女は触らなかった。
借金取りは様々だった。刺青をしていたり、金髪だったり、サングラスをしていたりと大体同じだったが、とにかく沢山の借金取りが来た。
殴るのが好きなものも居た。彼女は沢山殴られた。前髪を掴まれて鼻の辺りをがつん、がつん、と何回も殴る。とても痛いのだが、すこし、やめられないものがある。殴るのももちろんそうなのだろうが、殴られる、というのもなかなかどうして、やめられないものがある。そういう人は多いんだろうな。鼻血と涙に覆われながら、ちょっとうっとりと思う。蹴るのが好きなものもいる。大声を出しながら、サングラスやら刺青やら金鎖をかちゃかちゃ言わせながら、彼女を蹴る。ちょっとだけうっとりしながら、彼女は蹴られる。身体も勿論強要される。身体の共用の強要。複数の性器に、彼女は貫かれ、写真を取られ、二、三度失禁したこともある。詩を強要されたこともあった。目の落ち窪んだ男に、詩を書け、と言われ、紙と鉛筆を渡された。詩を書いた。りんごの詩を書いた。男は満足気にそれを持って帰った。
ベランダに出る。
三十三階から見る青空。
ずらりと並んだプランターの花々に水をやる。
彼女は昼間も夜も働いていた。色々なところで働いた。彼女は昔から可愛く、器用で、利発で、優しかったから、仕事は楽しかった。みなに優しくしてもらった。借金取りたちは知らないが通帳には残高が五千万円ほどあった。借金取りたちは端金で満足だった。月に四十万もあれば十分だった。彼女に会えるだけで十分だった。
「じゃあまた来るからな」
「ええ」
「しかしなんでそんな時計が好きなんだ」
「好きなんだもの」
「解らないな」
「そうね」
「そういえば」
「ええ」
「おれには右腕が無い」
「そうね」
「何でこうなったのか解らない」
「ええ」
「解らないな」

「花なんて、そう綺麗なもんじゃあないよ」
 化粧をした男。
 そして羽を持った少年。
 ビルの螺旋階段を昇っていく。ガラスと花々を組み合わせた、どこまでも続く螺旋階段を、二人は昇っていく。
「絵、でも描くかい? 暇だろ?」
「芸術ですか?」
「芸術だよ」
 部屋には女がいた。ブロンドでめくらで、魚を包丁でばらばらにしていた。
「料理、っていうのは、芸術になり得ますかね」
「いいから絵を描けよ」
「はい」
 コンピュータミュージックがかかっている。
「音楽、っていつまでも変わらないな」
「絵もですよね」
「絵は違うよ」
「そうですか」
 クレヨンを手を取り、二人は絵を描く。
 綺麗な魚の料理が運ばれてくる。

 時計がぐるぐると回っている。
 指を差し入れ、止める。
 針が指に食い込み、血が飛び散る。
「そうじゃない。こうやるんだ」
 男の隣に、彼(そう、彼だ)が立っている。
 彼はペンを差し入れ、時計の針を止める。
 ペンは壊れ、インクが飛び散る。
 読めない文字が、そこらじゅうに書かれる。
読めない文字が、言葉が、文章が、絵が、歴史が、そこらじゅうに書かれる。
「こうやるんだ」
「なあ」
「なんだい」
「血では、詩は、無理なのか?」

 全世界には今、成人男性、成人女性、少年、少女が二十三人います。それらは厳密に管理され、絶えず記録され、クローンニングをいつでもおこなえるようにしています。二十三の数は常に一定に保たれます。

 問題は、何もありません。

 蝶の絵を描く少年。
 ばらばらになってしまった絵の具。
 川べりを歩く。
 少年はライトを消す。でもまだ見える。まだ見える。まだ何か見えるんだ。
 盲目について。
 川には魚。虹色の鱗。少年は蝶の羽を持っていた。
 だから少年は蝶を描く。

「壊れたんだ」
 右腕の無いロボットが道を行く。昨日かみなりに打たれてね。
 ショーケースに並ぶ綺麗な右腕。右腕。右腕。右腕。
 ロボットは自らの処理能力の八十九パーセントを演算に充てられていた。そのようにプログラムされた。「人間性とは結局なんだったのか」。失ってしまったものを、再び探し出すのは、時間がかかるものだ。再び再生するのは、時間がかかることだ。証明。検証。演算。分岐。人間性とは、結局なんだったのか。人間と、人間性は、また違うものだったのか。人間は何処へ行ったのか。人間は何処へ行きたかったのか。人間は何処へ。人間性とは何だったのか。結局なんだったのか。失われてしまった。演算を続ける。処理能力の残りの十パーセントは何かあったときのために残されている。
 残りの一パーセントが何に使われているのか。それはロボット自身も知らない。
 ガラスショーケースに並ぶ右腕。右腕。右腕。右腕。右腕。何処までも続く右腕。どれにしようかな。
 虹色の、ロボット。

 鮮やかな空から、いかづちが落ちる。
 花を踏み分け、いかづちを避ける。
「そうじゃないよ」
 目の前には男が立っている。
「こうだよ」
 男はまあごく普通の年恰好、短髪で、目が落ち窪んでいて、ポケットがたくさん付いたはいいろのズボンをはいている。
「こうだよ」
 男は右腕を真横に伸ばす。真直ぐに見えるが、水平線と比べてみるとややその直線はひずんでいるのがわかる。
「こうだよ」
 鮮やかな空から、いかづちが落ちる。
 花を避けて、男の右腕を通り抜け、いかづちが地面に落ちる。
「こうやるんだ」
 男はまあごく普通の年恰好、短髪で、目が落ち窪んでいて、ポケットがたくさん付いたズボンを履いていて、その中には何かがたくさん入っていて。いかづちを受けた男の右腕は黒焦げになった。風が吹き、木々が揺れ、男の黒焦げになった右腕がぼろぼろと崩れて、風に舞って行って。
 それは空中で鮮やかな文字のようになり。そして一瞬で消え去る。
 鮮やかな、文字。
 言葉。
 ことば。
「わかったかい」
 花を踏み潰しながら男は去る。