第90回3000字小説バトル ※無効試合

エントリ 作品 作者 文字数
1藍川県警丑三つ時ごんぱち3000


※今回のバトルは、規定により無効試合となりますが、投稿者の希望により作品掲載を致します。

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エントリ1 藍川県警丑三つ時 ごんぱち


 ――三〇年前。
 男は猟銃を抱えたまま倒木に腰掛け、傍らにイングリッシュ・ポインターが座る。
「これだけやって、一匹か」
 頭が血まみれになったウサギを、男は獲物入れのバッグから取り出す。
「年一回じゃ、こんなもんか」
 煙草に火を点け、大きく煙を吸い込み、吐き出す。
「あー、退職したら、田舎で暮らしてぇなぁ」
 煙草をくわたまま、男は立ち上がる。
「都会のマンション暮らしにゃ」
 真っ直ぐ自分を見つめ命令を待っている猟犬に、男は銃口を向ける。
「手間がかかり過ぎていけない」
 銃声が鳴り響いた。

「動物霊を取り逃がした?」
 上鷹野駅前交番の下田両次巡査部長は、丸めた新聞で二人の頭をはたく。少し険し目な顔立ちの、痩せた中年の男だった。
「それがどうにも」
「すばしっこいヤツでして」
 万田次子と三浦杏樹は、小さくなって頭を掻く。
「そんな、子供向けアニメの悪役のよーな台詞は聞きたくねえよ」
「はあ」
「慎に遺憾でございます」
「国会中継のよーな台詞を聞きたい訳でもねえ」
 下田は椅子に腰掛ける。
「まあ、逃がしちまったもんは仕方ないが」
 窓の外は、まだ真っ暗だった。
「悪霊退治は、警察の専売特許だからな。頼むぞ」

 ――明治初期、内務卿・大久保利通の相談を受けた警視庁大警視・川路利良は、国内統一の為の霊的事象に関する施策を提案、実施した。
 川路が実施したのは二軸。
 一つは、警察の霊的能力向上。検非違使の時代から「鬼退治」「幽霊退治」「悪霊退治」等と呼ばれつつ行われていた霊的戦闘技術のシステム化。
 そしてもう一つは情報操作。教育によって霊の不在を教え込み、それに矛盾する市井の霊能集団や技術を徹底破壊する。
 中途で川路は呪殺されたが、路線は継続され続け、明治末期には日本の霊的技術のほとんどが政府に一極集中した。こうして、先天的霊能力のない民間人にとって、霊は名実共に「存在しないモノ」となった。

 半月が過ぎた。
「稲尾さん、最近、家の中で変わった事とか、ありませんか」
 巡回連絡で各戸を回っている次子は、玄関先に出た稲尾弘江と、携帯端末に表示された情報とを見比べる。
「変わった……ええ」
 弘江の表情は、どんよりと暗くなる。
「お義父さんのボケ――あ、今は認知症でしたっけ?」
「ええ、大分前から」
 次子は眼鏡をずり上げる。
「それが、酷くなって来まして。幻覚を見だしたみたいで」
「道子……?」
 その時、家の奥から、パジャマ姿の老いた男が一人、よたよたと歩いて来た。今にもバランスを崩し、転びそうだった。
「お義父さん!」
 弘江は慌てて彼の手を掴む。
「寝ててって!」
「レミーの散歩に……ね」
「レミーは、神戸のお兄さんに預けてるでしょう?」
「いや……ここに」
 男は足元には、イングリッシュ・ポインターの悪霊が座っていた。
「――すみません、お巡りさん」
「いえ、こちらこそ、お忙しいところ、お邪魔しました」
 次子は曖昧な笑みを浮かべ、霊視措置の施された眼鏡をずり上げた。

「おい、お前! 大丈夫かっ!」
 青年、稲尾毅郎は、猟犬を抱きかかえる。
 腹から血を流しながら、猟犬は消え入りそうな低い唸り声を上げる。
「医者へ、とにかく、医者へ!」
 毅郎はリュックを捨て、山道を駆け下りて行った。

「レミーは預けられてからすぐに死んでまして」
 茶をすすりながら、次子は下田と、杏樹に説明する。
「この前見かけた悪霊は、神戸から稲尾毅郎さんを慕ってやって来たんです」
「健気じゃねーか、ああ?」
 涙でグズグズになった杏樹は、何枚目かのティッシュで鼻をかむ。
「なるほど」
 腕組みをしたまま、下田は小さく頷く。
「そういう事なら、悪霊でも悪さをしてなかった理由は納得がいく」
「じゃあ、見逃して――」
「稲尾さんにばれないように、頑張って急いで往生させろ」
「って、ええっ!?」
「下田部長!」
 次子と杏樹は、下田に詰め寄る。
「下田部長だって、事情は理解したって!」
「そうだそうだ、この人でなし!」
「何にも悪い事してないじゃないですか!」
「そうだそうだ、この中年オヤジ!」
「それをわざわざ処分して、一体誰が喜ぶってんですか」
「そうだそうだ、たまには酒奢れ!」
「悪霊は悪霊だ、馬鹿野郎」
 下田は杏樹の顔にアイアンクローをかけながら、次子の目を見る。
「地上に存在するどんな拷問よりも苦痛なのが悪霊って状態だ。最初の目的がどんなに純粋でも、すぐに自我は狂っちまうんだよ」

 新築の毅郎の家の居間に、包帯を巻かれた猟犬がうずくまる。
「――エサだぞ」
 毅郎が、深い噛み傷だらけの手で、ドッグフードを入れた皿を猟犬の前に置く。
 猟犬は動こうとしない。
「ほら、うまいぞ」
 毅郎はドッグフードを数粒自分で口に入れ、一掴み猟犬に差し出す。幾度となく繰り返した無為な動作。
 毅郎の手が鼻先に近付いた途端、噛み付こうとして。
 そして、止め、一粒ドッグフードを食べた。
「おおっ! よーしよーし、偉いぞ、偉いぞ!」
「これで少し安心ね」
 妻の道子は出しかけていた救急箱をしまった。

 深夜二時、次子と杏樹は、呪符を燃やした灰を稲尾家の周りにまいていく。
 呪によって方向を変えられた大地の気の流れが空へ伸び、気の壁となって稲尾家を包む。それから、ゆっくりと壁は狭まっていく。
「こんな大技使ったの初めてだなぁ」
「オレもだよ」
 二人は、霊視眼鏡をかけ、気の壁を見つめる。
「なあ、次子」
「んあ?」
「これって、人体には影響ないんだっけ?」
「取説読んでないのか、杏樹」
「研修の時読んだ」
「……覚えてなければ意味がなかろうに」
「ぶー」
 気の壁はどんどん狭まっていく。
「T式攻性結界に使われる気は、基本的に大地の気を強めただけの聖域気だから、まともな魂には干渉部位が存在しない、要するに人畜無害だ」
「そっか」
 どんどん、どんどん狭まっていく。
「死んじゃう、のかぁ……」
 結界はついに針よりも細くなり、そして消えた。
「……最初から死んでる」

「レミー?」
 介護用ベッドで眠っていた毅郎は目を醒ます。
「エサを……やらないと」
 毅郎はベッドの上に立ち上がる。
「退院してから……一度も、食べてないし……」
 踏み出す。
 柵を跨ぎ、そのままベッドの下へ――。
「危ないっ!」
 弘江と夫の辰也が、すんでのところで掴まえ、ベッドに引き戻す。
「レミーが……」
「オヤジ!」
 辰也は怒鳴る。
「レミーは死んだんだよ!」
「死……?」
 ベッドに戻されながら、毅郎はベッドの下に視線を向ける。
「……そうか、良かった」
 それから、小さく微笑む。
「苦しそうで……気になってたんだ」
 安心した顔で、毅郎は寝息を立て始めた。

「お疲れー」
「ヘマしてない?」
 朝、交代の草谷なつめと音羽カレリが、交番にやって来る。
「あー、お早う」
「おはよう」
 デスクワークをしていた次子となつめが顔を上げる。
「うわ、二人とも、目から変な汁が出てるよ!」
「催涙ガスでも暴発させた?」
「ちげーよ!」
「どんだけワンパク警官だ!」
 次子となつめの目は、腫れていた。
「じゃあ、パチンコで負けたとか?」
「どうせヘマして下田部長に怒られたんでしょ」
「……お前らにはヒントも話さん」
「……引き継ぎと空気読め」
「おう、お前らも今丁度か」
 奥から、下田が茶を載せた盆を持って来る。
「ほれ、お疲れ」
 下田は湯のみを四つ、机の上に置いた。
 窓から差し込む陽を浴び、湯のみから立ち昇る湯気はきらきらと輝いていた。