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第1回6000字小説バトル Entry17

おちこぼれ魔道士の憂うつ

 ぼんっ
 という、どこか間の抜けた爆発音に目を覚ました私は、寝床から身を起こした。
 我がご主人のほうに目をやると、ビーカーからもくもくと紫色の煙が噴き出している。
 どうやらまた失敗したらしい。
 私は、お気に入りである暖炉の上の寝床からそろりと床に降り立つと、四肢をふんばりぐんっとのびをし、あごが外れそうなほどの大あくびをした。
 これをやるといつもはたいてい、”いい気なもんだ。誰が飯を食わせてやっていると思ってるんだ?”というご主人の嫌味と舌打ちが降ってくるものなのだが、今日はそれをやる元気もないらしい。がっくりとうなだれ、なにやらぶつぶつと独り言を言っては、 禿げかかった頭をぽりぽり掻いている。
 調合を始めてからすでに3日目。
 日は暮れかけ、窓から差し込む夕日の陽光は、窓辺の葉っぱばかりの観葉植物に反射し、私の寝床の小さな木箱を赤く染めていた。
 我が主人は、いわいる魔道士である。といってもたいしたことはない。魔道士アカデミーでは1、2を争う落第生であったし、箒の乗り方もいまいちへたくそな上、覚えた呪文もすぐに忘れてしまっては大慌てで魔道書を開くという始末である。おおよそ魔道士らしいことは何一つできないと考えていただいてよい。
 そんなご主人のたった一つのとりえといえば、薬品の調合だった。これだけは妙にうまく、ほかの魔道士たちにひけを取らないほどの腕前の持ち主なのだが、何しろ根が不器用なせいか失敗することも多い。それでも近隣のゴールジュ(魔法を使えない人々のことをこう呼ぶ)たちからはどういうわけか慕われており、ご主人もいくら落ちこぼれとはいえ信頼を裏切るような男ではないので、足が悪いものがいれば特製の軟膏を、風邪をひいたものがあればよく効く丸薬を、乞われるままにせっせと作っては届けさせることで、なんとかどうにか生計を立てていた。
 このあたかも医者か薬剤師のような商売を始めたのには、ちょっとした理由があった。魔道士はたいていアカデミーを卒業すると、更なる修行を求めて別の魔道士アカデミーに再入学するか、魔道士向けの商売(魔道書や杖・箒などの販売や魔道士界に悪影響をもたらす妖魔の取締りなど)に従事するのが一般的である。
 だがどの世界にも奇特な、というか変り種というものは存在するもので、よせばいいのにゴールジュに興味を持ち、その研究に身をささげるものもいたるするのである。我がご主人も、そういった変わり者の一人といえるのだが、彼の場合少し違う。だいいち彼は、始めは前者のほう、すなわち魔道士としてまっとうな人生を歩むつもりであった。だがこのご時世(?)、ただでさえ落ちこぼれ魔道士である我が主人を雇ってくれるものなどどこにも居らず、また頼みの綱であったアカデミーの薬剤調合研究部門からも「定員オーバー」を理由にそっぽを向かれ、まさににっちもさっちもいかぬ状況におかれてしまった。まあ要するにアカデミー時代の不勉強が祟ったのである。
 そんななか、ゴールジュ研究家であるかつての級友に誘われ、「魔道士はいかにしてゴールジュとの融和を図るか」なる、ほんとにそんな研究必要なのか?と私からすれば首を傾げたくなるような実験の被験者として、ゴールジュの世界に送りこまれたのである。半ば強引に。
 はじめこそ、何で俺が・・・と不平不満を並べ立てていたのだが、住めば都とはよく言ったもので、自分の薬剤知識が役立つとわかると大変気をよくしてしまい、またゴールジュの世界に対するもの珍しさも手伝って、徐々に順応してゆき、今ではすっかり町の魔道士さんとしていたについてしまった。日々を重ねるごとに慣れてゆく我が主人を見て、実験は成功とばかりにほくそえんでいた級友の研究家氏は、ゴールジュに魔道士が関わることをよく思わない一部の魔道士に目をつけられてしまい、またもともと魔道士の世界にはゴールジュの研究はできても、その世界に関わってはならないという暗黙の決まりが存在するため、その責任を問われるかたちであえなく投獄されてしまった。皮肉にもそうした”暗黙の了解”のおかげで、我が主人だけはつかまらずに済んでしまったのである。つまり、誰も捕まえにこれないのだ。もっとも、所詮魔道士としては落ちこぼれである我が主人を捕まえようなどと誰も思わないのだろう。
 こうして彼は、魔道士としてのまっとうな生活を捨てた代わりに、魔道士の世界では到底味わうことの出来なかった充実した生活を手に入れたのである。
 
 話を元に戻そう。
 
 私は全身のばねを使って、この狭い屋根裏部屋には似つかわしい大きなテーブルにひょいと飛び乗ると、再び主人の顔を見やった。我が主人の顔は、疲労と栄養不足のためげっそりとやつれており、頬はこけ無精ひげはごうごうと生え、愛用の丸めがねは先ほどの煙のおかげですっかり曇ってしまっている。10年前と比べだいぶ広がってきたひたいは、汗でてらてらと輝いて見えた。反面、目には光がない。
 テーブルには数々の魔道書や機材、薬の材料となる乾燥させたハーブや薬草が散乱しており、整理整頓を旨とする我が家の家主、マーガレット女史が見たらひっくり返りそうなほど散々な光景になっていた。ビーカーは、諸行無常とばかりに煙を吐き出しつづけている。
 主人はあきらめたように首を振り、ふうッとため息をつくと窓辺の観葉植物に向かって小さく呪文を唱えた。すると、植物はまるで動物のようにひょこっと葉っぱを立てると、それをいっぱいに伸ばして窓の留め金を器用にはずし、窓を開けた。主人のごく少ない得意技のひとつである。
 冬の寒々しい空気が部屋の中に入り、ぞくりとした悪寒を覚えた私は慌てて暖炉のそばに駆け寄る。その折に、例の奇妙な液体の入ったビーカーをひっくり返してしまい、主人の今日一番の罵声が飛んだ。
「おまえは人の仕事の邪魔をすることしかのうにないのかッ!」
 仕事?仕事だって?うまくいってないじゃん。
 われわれ猫の思考が読める魔道士という職業は、ひょっとしたら、というかやっぱり、この主人にとっては不幸であるようだ。ゆがんだ主人の顔が、更にゆがんでゆく。
 何もそんなに怒ることないって。また作ればいいでしょうが。それに今のは不可抗力だって。気にすることないって。
「お、お、おまえがそんなふうにじゃまして$%#&?!!!!」
 怒りのあまり語尾がわからない。まあ、確かに多少のいたずらをしてきたことは認めるが。でもさあ、八つ当たりすんなよなー。だいたい大人気ないって・・・
「うるさい!!」
 繰り出されたご主人のけりをかわし、さっとテーブルの下を駆け、階下につづく階段の入り口まで非難する。すかさず主人は手じかにあった魔道書を投げつけてきたがこれも難なくかわして踊り場まで駆け下りる。
 鬼の形相でこちらを見下ろす主人。
 余裕の表情(?)で見上げる私。
 愛嬌のつもりでにゃあとひとつ鳴いてやると、
「でていけ!!」
 とまたひとつ本を投げつけてきた。もちろんこれもよける。
 今日はどうも、ご主人の虫の居所が悪いようだ。
 私はご主人の怒りが収まるまで、とりあえず階下の猫好き夫人、マーガレット女史の部屋に避難することにした。
 彼女の出してくれる暖かいミルクとともに。

 あいにくマーガレット女史は外出中であった。
 なんでもボランティアとか何とかいうものにいっているらしい。
 無償で足腰の弱った老人の世話をしたり、親のいなくなった子供の遊び相手をしたりするもの、というのは近所の物知りで通っている野良猫に聞いた話なのだが、どうもわれわれ猫たちには、そうした人間の行動がぴんとこない。
 猫の間でも、多少の情報交換(あそこの魚屋はいつも腐っててまずいとか・・・)
や、助け合いはするが、あくまでそれは身内に限ったことであり、よっぽど馬(猫?)の合うもの同士でしかそれは行われない。どこの馬の骨(猫の骨?)ともいいがたいものに対しては、結構厳しいのである。
 そんなことを、近隣に住む野良猫たちと話し合ったことをぼんやりと思い出しながら、すっかり暗くなったアパートの廊下をあてもなく歩きつづけていた。
 寒い外に出るのははばかれるが、かといって今うちに帰るわけにはいかないので、こうしてうろうろしているわけなのだが。マーガレット女史の存在をすっかり当てにしていた自分が、なんだか惨めで情けない。
 そろそろ帰ろうと、階段の上り口に差しかかったとき、突然玄関の扉が開く音がした。こんな時間に誰だ?マーガレット婦人帰ってきたのかな?それとも強盗かな?いやいや強盗ならこんな堂々と入ってこないんじゃないか?などと我ながらくだらないことを心配しながら恐る恐る玄関のほうへ歩いてゆくと、そこにはややふくよかな体を黒いコートに身を包んだクライン神父の姿があった。コートについた猫の白い天敵、雪を払っている。
 そうか、外は雪なのか。出かけなくてよかった・・・
「おお、チムニィ。ちょっとお邪魔するよ。おまえのご主人様はいるのかい?」
 私の存在に気づいた神父は、人懐こい微笑みを浮かべながら右手を差し出してきた。私はにゃあと一声鳴くと、彼の手にほおずりをした。外の気温のせいか彼の手は氷のように冷たかったが、彼は私の”イイ人リスト”の上位を占める人物なので、これぐらいのサービスはしなければならない。ちなみにリストの最上位は当然マーガレット女史であり、下位を占めるのは近所のガキと魚屋のオヤジと我が主人である。
 神父は私のサービスに気をよくしたのか、彼はいかにも人のよさそうな笑みを顔中に広げ、私を抱き上げてアパートの奥へと入っていった。
 雪の染みたコートが冷たい。がまんがまん・・・
 
 神父の腕からようやく開放され、慣れ親しんだ我が家の暖炉で温まることができ、ようやくほっと一息つくことが出来た。
 我が主人もあの怒りはどこへやら、突然の訪問者に失礼がないようにと部屋をかたずけ、遠慮する神父に椅子を勧めると、いそいそとお茶をいれた。そのうち神父は、低い声で話を始めた。内容はこうである。
 神父の教区に、毎週の礼拝に欠かさず出席する信仰心に厚い老婆がいるということ。 
 ところが最近になって、教会にまったくこなくなってしまい心配して見に行くと、なんと重い病で倒れたということ。
 もう余命いくばくもなく、医者ももうすでにさじを投げてしまったということ。
 彼女には、たった一人の身内である息子がいるということ。
 しかし、遠い国の大きな街に出稼ぎに出ているために、連絡がつかないということ。 たとえ連絡がついたとしても、帰ってくるには時間がかかる、そこで我がご主人の秘薬(秘薬?)を使って、何とか彼女を生き長らえさせてほしい。
 せめて、息子が帰ってくるまで。
「・・・しかしね、神父。」
 柄にもなく神妙に話を聞いていた主人が、ここで口を開いた。
「もうとっくに90を過ぎた方だろう?毎回礼拝にこれるってことさえ奇跡に近かった。そんな人を回りの勝手な判断で死を伸ばすっていうのは、どうかと思うのだが」
「それは・・・わかっておるよ・・・わかっておるのだが・・・」
 普段やさしく、明るい神父なのだが、今日だけは妙に暗かった。
 声もいつになく力がない。
「私の兄にもな、一人息子がいてね。私にとっても息子みたいなものなんだ。それを考えるとな・・・」
 神父はここでいったん言葉をきった。
「他人事とは思えんのだ」
 主人はフームと息をはき、
「・・・まあ、神父にはずいぶんと世話になってるからな。何とかしてみるか。」
 と立ち上がった。
「本当かね!」
「あんまり当てにしすぎてもらっては困る。うまくいかなくったって、俺を怨まないでくださいよ。」 
 神父は全身全霊、といった感じで主人に感謝の言葉を並べ、帰っていった。
 主人は、神父の感謝の言葉に気をよくしたのか、はたまた使命感というやつに火がついたのか気合を入れていった。
「さて!ミカルじいさんの痔の薬はあとだ。いっちょうやってやるか!」
 えっ、あれ痔の薬だったの?それに三日も失敗していたなんて・・・

 数日後・・・

 我が主人の気迫の一言は、ついに報われることはなかった。
 神父が我が家を訪れた直後、老婆の病状が急に悪化し、そのまま二度と目を覚ますことはなかった。
 まるで眠るように死んでいった、という。
 われわれ猫の間では、死は限りなく孤独なものである。人間のように自殺を考えたり、自分の利益のためだけに仲間を殺したりする代わりに、死に近づいた猫は、一人で、ひっそりと死んでゆくのである。仲間を寄せ付けず、人目にさえさらすことを拒んで。
 もっともこれは、私の猫としての理想に過ぎないのかもしれないが。
 ともあれ、一人の老女が死んだ。彼女は、息子のいない寂しさを抱えていたであろうが、けして猫のように孤独な死に方ではなかった。それはクライン神父の教会で行われた葬儀に参列した人々の数を見ればわかる。そのなかにまじって我が主人と、マーガレット女史、そしてなぜか私も出席した。神父の好意によるものだったが、主人に言わせれば特別措置らしい。また、毛の色が真っ黒だから葬式に出ても問題なかろうともいわれた。あまりいい気分ではない。
 女史によれば、この老女とは老人ホームとやらでよく顔を合わせており、やさしく気性のしっかりした、いい人だったと涙ながらに語った。ボランティアの一環だったようである。それをややうんざりした表情で聞き流す我が主人。こういうのを人は罰当たりという。誰もこの顔に気づいてくれないのが悔しい。
 そんな主人も、老婆に花を捧げたときは、さすがにぐっときたらしい。緊張した面持ちで老婆の入っている棺おけ(すでに花でいっぱいだった)に近づくと、前の人に習って、一輪の花を棺おけに入れ、十字をきる。しかしそのあと、主人はなかなか棺おけから離れず、じっと老婆の安らかな死に顔を眺めていた。目にはうっすらと、普段の主人には似合わない涙を浮かべていた。そして、
「息子さんにあわせてやれなくて・・・すまなかったな」
 と一言、そうつぶやいた。

 帰りは少々大変であった。
 葬式の席で振舞われる、ぶどう酒をマーガレット婦人が大量に飲んでしまい、我が主人とクライン神父をおおいに慌てさせた。仕方がないので、主人が彼女を担いで帰ることとあいなった。この図は大変おかしかったのだが、笑うとまた主人がプッツンしてしまいそうなので、道中笑いをこらえるので精一杯だった。
 婦人を部屋におくりとどけ、われわれはまたいつもの屋根裏に帰った。
 窓から差し込む冬の夕日の光が、今日だけはちょっとまぶしく思えた。

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