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第1回6000字小説バトル Entry2

Mr.Triangle

「ほぅ……でっかい屋敷だな」
それが、その屋敷についての真幌馬の感想だった。
土地の広さだけでもニルル・コルル家の財力は疑いのないものである。ここで開かれるパーティなのだから、相当な人が集まるだろう。真幌馬は、ほくそえんだ。
今、巷を騒がせている大怪盗、Mr.トライアングルが次の獲物に選んだのは、この屋敷の主、大富豪ニルル・コルル氏が所蔵している幻の名画『愛の証』なのである。最も、そのことは真幌馬しか知らない。
「さて、パーティは三日間行われる。その中で、最も多くの人が集まるのは…」
真幌馬は、紅茶とクッキーの匂いのあふれるガーデンパーティに乗り込んだ。
「政治家に大手企業重役、今が旬の俳優…か。さすが、豪華だな」
パーティの面々を順に追っていく。皆、それぞれの話題に夢中である。
ドレスや宝石で着飾った婦人たちの中を通っていくと、パーティの主催者であるニルル・コルル氏と娘のパティア嬢、それに有名建築デザイナーのアスティチーノ・スコラが、リダ国の大統領夫妻と話をしているのを見つけた。真幌馬は、側で聞き耳をたてる。
「それじゃ、お嬢さんもついに、ご結婚なさるのね」
「ええ。スコラ君とはこの屋敷を建てるときに知り合ったんですが、なかなかの好青年でしてね。公に発表するのは、三日目の夜、ダンスパーティのときに、と思っているんですよ」
「こんないいお話をいただけるなんて、僕もはじめは驚いたんですが…」
と、スコラは頭に手をやって、照れている。パティア嬢はふい、とそっぽを向き、
「今日は日差しが強くて…。少し、向こうで休んでますわ」
ふらっとその場から離れた。

「…どうしました?」
真幌馬は、思わず声をかけた。と言うのも、一人になったパティア嬢が、そのまま、その場に座り込んでしまったからだ。
「! あなたは・・・!?」
突然声をかけられて、パティア嬢はびっくりして顔をあげる。その目には、涙が浮かんでいた。真幌馬はドキッとした。もともと、女の子には弱い方である。
そっと、パティア嬢に近づく。
「…声を出さないで」
右手を差し出し、パティア嬢の頬に触れる。耳元で、パチンと指を鳴らした。
「──まぁ…!」
真紅のバラが一輪、真幌馬の手のひらの中からあらわれる。真幌馬はそれを、パティア嬢に渡した。
「Mr.トライアングル──通りすがりの怪盗です」
に、と笑って、真幌馬は言った。
「怪盗…さん?」
「はい。…何かお悩みでしたら、ご相談にも乗りますよ」
「あの…!」
パティア嬢は、焦点の合わない目で遠くを見つめながら、とんでもないことを言った。
「私も、さらってください」

「で、どうなったんだよ! 何て返事したんだ!?」
St.フィリアは、意気込んで尋ねた。真幌馬は、蹄をテーブルにのせるな、と軽くたしなめた。
「どうったっておまえ、この花持って帰ってくださいってのとは訳が違うんだぞ? さらってくださいなんて言われて、はいそれじゃって連れて来れねーだろ。それじゃ誘拐だ」
ニルル・コルル家のガーデンパーティ翌日である。港の古い倉庫で、愛馬St.フィリアと一緒に、遅めの朝食を摂っているところだった。
「でも…」
真幌馬はコーヒーを一口飲んで、言った。
「お嬢さん、切なそうな顔をしてた。ありゃマジだ。笑って、冗談です、あなたもでしょ? なんて言ってたが、本当は何か困ってるんだ。それを一人で抱えてる、そんな顔だった」
「会ったばっかでそんなこと分かるモンかね。ま、さすがは天下のMr.トライアングルさまってとこか?」
St.フィリアはからかったが、真幌馬は、何やら真剣に考え込んでいる。
「ニルル・コルル家のパーティ、二日目…今日はたしか、仮装ティーパーティだったはずだ」
真幌馬は急に、すっと立ち上がる。
「もう一回、あの屋敷へ行ってくる。調べたいことができた」
それだけ言うと、真幌馬は倉庫を飛び出した。
「ったく、すぐ熱くなるんだから。今日は予告状を届けなきゃならんってのに…」
St.フィリアは溜め息をつく。が、口元はゆるんでいた。
「女となるとこれだ。さすがは天下のMr.トライアングル! …ま、予告状書きかえに戻ってくるまで、寝て待つとするか」

パーティ会場は、中世の騎士から魔女から、それはもういろいろな格好の人たちでごったがえしていた。
真幌馬ももちろん、仮装をして来ている。と言っても、ほとんど日常的に着ている衣装なのだが。
「まぁ、あなたは、昨日の…」
パティア嬢が気付いて、やってくる。昨日とは違って、明るく笑っている。
「…私の顔に、何かついていますか?」
パティア嬢はくすくす笑っている。
「ごめんなさい、だって…昨日もおっしゃってましたけど、よっぽどお好きなんですね、Mr.トライアングル。仮装までしてくるなんて!」
「いや、ははは…でも、軽蔑とかしないんですか? 怪盗が好きだとか言ってるヤツなんか」
「あら、私も嫌いじゃないんですよ、あの怪盗さん。悪い人から盗んで、本当の持ち主に返してあげたり、そういう怪盗さんなんでしょう? 素敵だわ、そういうのって」
「はは、そうですね…」
真幌馬は、本気で照れている。
ふっ、と、パティア嬢の笑顔に影が差す。アスティチーノ・スコラがやってきた。
「探しましたよ、お嬢さん! …この方は?」
「私のお知り合いの方です。私がお招きしたんです」
「ほぅ…」
スコラの真幌馬を見る目は、嫉妬に満ちていた。
「それじゃ、失礼しますね」
パティア嬢はスコラの背中を押すようにして、その場から離れた。二人が人込みの中に消えると真幌馬は、なるほど、とつぶやいた。人の間を縫って、ベランダへ出る。
「あまり素性の知れない男と、二人きりでは会わないで頂きたい。…何をおっしゃいます、お嬢さん。私はただ、あなたが心配なだけです!」
下のテラスでは、スコラがパティア嬢と話をしている。それを、陰からそっと見つめる視線があった。
パティア嬢の母親、ニルル・コルル婦人であった。
真幌馬は、ニルル・コルル婦人の表情が、心なしか暗いことに気付いた。この家の女たちは、みんな何か隠して、一人で背負おうとするんだな…。真幌馬はしばらく考え込んで、それから、行動を起こした。

「あぁ、ニック…!」
自室に戻ると、ニルル・コルル婦人は泣き崩れた。
一人でいると、どうしても考えてしまう…! そっくりなあの人を見ていることは、私にはできない。
涙の浮かんだ目は、しばらく虚空をさまよったあと、写真立てに止まった。
幼い頃のニルル・コルル婦人が、人形と一緒に写っている。彼女は、写真の中の彼女が抱えている人形をそっと撫でた。
「本当にごめんなさい、ニック…」

「…お、やっとお帰りか」
日が沈む頃帰ってきた真幌馬を見つけて、St.フィリアは、鼻をブルンと震わせた。
「おもしろいこと、というか、物凄いことがわかっちまった…!」
真幌馬の目は、倉庫の中を映してはいないようだった。相当ショックなことがわかっちまったみたいだな、とSt.フィリアは思った。だから、それ以上は聞かなかった。
「予告状は書きかえて届けてきた。決行は明日の夜…準備しとけ」
「あ、ああ…」
真幌馬は、そのまま寝てしまった。
いったい、屋敷で何があったんだ?
真幌馬の単独行動についての詮索は無駄なことだとわかっていた。が、それは同時に、St.フィリアの最大の暇つぶしでもあった。
今夜は、真幌馬が惚れちまったお嬢さんの顔でも想像して、朝を待つとするかな。

「そろそろ、来そうな気がするな」
と、吾妻は言った。夜の街を、車のライトが通り過ぎていく。
「何がっすか?」
ラーメンのつゆを飲み干すと、部下は聞いた。
「何がっておまえ…Mr.トライアングルの予告状に決まってるだろうが!!」
ペシッと部下の頭を叩いて、吾妻はまた、考え込む。
あの忌々しい怪盗を追いはじめてから、一年が過ぎた。
「でもよかったじゃないですか。予告状を予告できるようになって」
「そんなのうれしいわけないだろう!」
部下の刑事は、また頭を叩かれるハメになった。
「でもあれですね。ヤツが狙うのってどれもこれも、盗まれた側が、実は人から盗んできていたとかばっかでしたね」
「おまえ、あの怪盗が本当はイイ奴だ、とか言いたいのか?」
「あ、いや…」
部下の刑事は慌てて口をおさえたが、遅かった。
「あのぉ…」
食堂の店員が、電話の子機を片手にやってきた。
「お客様の中に、吾妻様はいらっしゃいますか?」
「あ、私です。──何、ニルル・コルル氏から? 誰ですか、そりゃ?」
「世界有数の大富豪の一人ですよ。吾妻さんに直接ってことは、Mr.トライアングルじゃないですか?」
「…もしもし、」
緊張した面持ちで、吾妻は電話に出た。
「ええ、はい。…! ほ、本当ですか!」

─明日の夜、ニルル・コルル・パティア嬢を頂きに参上する。 Mr.トライアングル─

「こんなに刑事がいたら、ヤツも怖じ気づいて帰ってしまうでしょうな」
豪快な笑い声と共に現れたのは、ニルル・コルル氏だった。吾妻は、苦い顔で振り向いた。
「ところで、」
吾妻はあたりを見回して、彼に聞いた。
「やけに人が多いですが…」
「ああ、今日はパーティの三日目なのでね。今夜、娘の婚約を発表するんですよ」
「パーティ!? 駄目です、それが今日を選んだ要因だ! すぐに中止してください!」
「なァにを言ってるんです。こんなに刑事がいるんだ、たとえ捕まらなくても、娘がさらわれるなんてまずありませんよ。それとも、なんですか? パーティを行なったくらいで、あんたらは娘を守れないとでも?」
吾妻は、ぐっと言葉に詰まった。そんなに言われて、中止しろとは言えない。吾妻は渋い顔でうなずいた。
「わかりました。しかし、充分注意してください」
「わかってます。ははっ!」
その間にも人は集まり、広間の時計は、パーティが始まる午後六時を告げた。
紳士たちは、婦人の手をとって、踊りはじめた。ニルル・コルル夫妻も、アスティチーノ・スコラとパティア嬢も踊っている。刑事たちは、念入りに客の行動をチェックしている。
突然、照明が消えた。会場が騒然となる。
「くそっ! Mr.トライアングルが現れるぞ、全員配置につけ!」
吾妻は、会場内の刑事たちに大声で命令した。
「Mr.トライアングル!? 怪盗じゃないか!」
「ここへ来るって言うの!? 冗談じゃないわ、私は帰るわよ!」
客たちは、一斉に出口を目指す。真っ暗闇の中で、パーティ会場は大混乱に陥ってしまった。

「大丈夫、ここなら安全ですよ」
と、アスティチーノ・スコラは言った。
小さな部屋だった。スコラは蝋燭を取り出し、火を点ける。不安そうなパティア嬢の顔が、闇の中に浮かびあがった。
「ここが安心だって? それは違うね」
突然、部屋の窓が開く。Mr.トライアングルだった。
「──怪盗さん…!」
「馬鹿な!? ここは二階だぞ!」
Mr.トライアングルの口元に、笑みが浮かぶ。愛馬St.フィリアが嘶き、はばたいて窓の外を旋回した。
「おい、あれは…!」
「まさか!」
客たちが空を見上げ、驚いている。
「天馬だ!」
Mr.トライアングルは、客たちの声に振り返る。
「どうやら、私の愛馬が見つかってしまったようだ。というわけで、私は仕事を急がねばならない。さぁ、パティア嬢を渡してもらおうか、スコラ!」
パティア嬢をうしろへ隠したスコラは、Mr.トライアングルを睨んだ。
「おまえなんぞに渡すわけがないだろう! 彼女は私の婚約者なんだぞ!」
「いいかげんにするんだ、スコラ。…もうわかってるんだよ、おまえは…」
Mr.トライアングルは、真紅のバラを一輪、投げつけた。トスッと音がして、その花がスコラの肩に刺さる。血は、流れなかった。
「おまえは、人形だ」
スコラはバラの花を肩から抜くと、パサッと床に投げ捨てた。
「おもしろい冗談だな」
「冗談なんかじゃない! もう全部わかってるんだ、おまえがこの屋敷に来た理由も…」
ガシャン、と音がして、スコラの持っていた蝋燭立てが床に落ちた。炎が、みるみるうちに広がっていく。
「もともとこうするつもりだったんだ。おまえが邪魔さえしなければ…!」
スコラは、Mr.トライアングルを睨んだ。
「そうだな、おまえの言うとおりだよ」
くっく、と不敵に笑って、スコラはぐいっとパティア嬢の腕をつかんだ。
「これは復讐なんだよ。この女の母親、エミリへのな! …自分のせいで娘が焼け死んだと聞いて、あの女がどんな顔をするか、楽しみだな!」
「やめて!」
炎の中へ飛び込んできたのは、ニルル・コルル婦人だった。
「…やっぱり、ニックだったのね」
「エミリ…」
二人は、炎の中で見つめあった。
「“ニック”は、あなたが小さい頃からずっと一緒だった、人形の名前ですね」
「ええ、そうです。この家に嫁いでくるときに、実家に置いてきたのですが…」
「そのご実家で火事が起きた際に、焼けてしまった、と」
ニルル・コルル婦人は、ゆっくりと、スコラ──ニックに近づいた。
「あなたをはじめて見たときから、あまりに似すぎていて、一緒にいると辛かった…! 守ってあげられなくて、本当にごめんなさい…!」
「そんな、私は…エミリがもう、昔を全て忘れてしまったんだとばかり、それが…そんなに、思っていてくれたなんて…! なんて…なんて私は、馬鹿なことを…!」
「今からでもまだ、遅くない! さぁ、ニルル・コルル婦人とパティア嬢を連れて、ここから逃げるんだ!」
「俺の背中に乗れ!」
St.フィリアが、窓に近づいた。
「さあ、はやく……おい、はやくしろ!」
「私は、行けない。ここに残るよ」
「駄目よ、ニック! さあ、はやく!」
「いいんだ。…さあ、行って!」
St.フィリアは、窓を離れた。音をたてて、屋敷が崩れる。炎が、全てを呑み込んでいった…。

「へぇ! ニルル・コルルのおっさんが買わされた『愛の証』は、贋作だったのか!」
ラジオでは、昨日の晩の大火事の報道をやっている。
「ああ。それを盗んで、あとであの吾妻刑事んとこに本物を置いてくるつもりだったんだ。けど、燃えちまったからな、全部」
「…アイツと一緒に、な」
一晩中燃えつづけたニルル・コルル邸は、日の出とともに、燃え尽きた。幸い死傷者は出なかったが、焼け跡から、一体の人形が見付かったという。その人形は、涙を流していたという話だ。
「でも、なぁ、真幌馬…」
「んん?」
「あのとき…アイツが行けって言ったときに、俺の腹を蹴っただろ。あれは、なんでだ?」
「…あのまま生きてても、アイツは人間じゃないんだ。普通に暮らすなんて、できないんだよ」
「つまり、思いやりってやつか?」
「ま、そんなもんだな」
真幌馬は一つ、大きなあくびをした。
「さて! 次の獲物、捜しに行くぞ」
ニュースが終わり、ラジオからは軽快な音楽が流れてきた。

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